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川崎堀之内の「ちょんの間」、摘発前の様子は?

ココがキニナル!

3年くらい前に「川崎堀之内のちょんの間はどうなった?」という記事がありましたが、最近、日本や韓国などの20代の若い子が戻ってきて、活気があるようなことを聞きました。調査お願いします。(絆マンさん)

はまれぽ調査結果!

2009年以降の警察の取り締まり後、若い外国人女性を雇うのが難しくなった。今は一部を除き、日本人の熟年女性が多くなり直近で警察の摘発があった

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ライター:小方 サダオ

文献に書かれた堀之内の「ちょんの間」

 

川崎宿の街道筋にあった遊郭がもとになっている
 

自由国民社の『赤線跡を歩く』によると「明治以来貸座敷免許地(遊郭)に指定されていたのは堀之内より南町のほうだった」とある。

 

堀之内より南町(緑矢印)が先に遊郭として指定されていた(Googlemapより)
 

「南町では、江戸時代に川崎宿の街道筋に散在していたものが、1903(明治36)年に1ヶ所にまとめられて14軒が営業をはじめた。『新開地(戦前から昭和30年代半ばにおける“神戸一の繁華街”)気分漂う新地(遊郭の多い場所)の遊郭』として門前には一杯飲み屋やしるこ屋、床屋なども並ぶようになり、大正初年には19軒にまで増えた」そうだ。

「一方堀之内もこのころ『六郷堤の色里』としてシマを形成しており、『羅生門横町』と呼ばれる銘酒屋のような一角もあった。ふたつの盛り場が市内の南と北に存在していた」とある。

 

約20年前の川崎市の盛り場の風景(『赤線跡を歩く』自由国民社)
 

小料理店などの形態をとっていた(『赤線跡を歩く』自由国民社)
 

屋号を記したお店もあった(『赤線跡を歩く』自由国民社)
 

堀之内は、江戸時代に川崎宿が設置されてできた遊郭からの流れを持つ繁華街だったのだ。



周辺住民に話を伺う



次に地元の住民に、「ちょんの間」について話を伺うことにした。

 

提灯の下がった飲み屋風の外観
 

過去に報道された新聞などによると「堀之内地区では神奈川県警により、2009(平成21)年1月から違法風俗店の一斉摘発が行われ、韓国人などの外国人を逮捕した」とある。

このことを中心に伺うと、あるお店の店主は「7~8年前、きわどい衣装を着た、中国・台湾・韓国の外国人の取り締まりがありました。今は外国人はいないと思います。また、ここは戦前から赤線で、それがソープランド街に変わりました。そのころから飲食店として登録し裏で売春行為をする場所もあり、現在とあまり形は変わっていません」

「働いている女性が、若い外国人から中年の日本人に変わっただけで、午前10時から夜まで営業しているようです。繁盛しているところはあまりないんじゃないでしょうか。お店がつぶれてシェアハウスになっているところもありますよ」

 

シェアハウスになった場所
 

「私たちは町内会の運営と関係する活動をしていますが、数が少なくなったため、例え違法の飲食店でも町内会費が回収できず、町内会の運営が大変なのです」と答えてくれた。

たとえ違法風俗店であっても、店舗の数が少なくなることで街自体が衰退することにつながっているように感じた。

また国道15号線沿いのあるお店の店主に伺うと「“警察の指導の範囲内”で行っている違法行為の風俗店と思います。40年ほど前が最盛期でした。外国人は捕まりやすいため、今は日本人女性が多いようです」と答えてくれた。

 

ソープランド街の中にある「ちょんの間」
 

またソープランドの呼び込みの男性に伺うと「『ちょんの間』は私たちとは違う違法な風俗営業店です。仕事のない熟年のご婦人が仕方なくやっているようですよ。害はないから警察も黙認してるんじゃないでしょうか?」と答えてくれた。

 

「ちょんの間」の周辺を歩く男性を見かける
 

「ちょんの間」では仕事のない熟年女性が働いているようだ