元DeNAベイスターズ選手のセカンドキャリアとは?-眞下貴之さん-
ココがキニナル!
2014年に退団した元横浜DeNAベイスターズ選手、眞下貴之さんのセカンドキャリアとは?(はまれぽ編集部のキニナル)
はまれぽ調査結果!
現在は、株式会社新昭和の総務部で働きながら、新日鐵住金かずさマジックの投手として、プロ野球とは違う野球の醍醐味を味わっている。
ライター:山口 愛愛
強気のピッチングで初先発、初勝利
(つづき)
華やかな1軍の試合で勝利をあげた
マウンド度胸の良い若手左腕に期待がかかったが、眞下さんがプロで上げたのは、この1勝だけだった。2度目の先発登板は2回で降板し、当時の尾花高夫(おばな・たかお)監督から2軍降格とフォームの改良も指示されたのだった。
過去に取材した尾花監督
左肘を伸ばして投げるフォームから、肘を曲げて前に出すフォームに改良し、もがく日々。
「そこから、ワケが分からなくなってしまった。新しいフォームが自分に合ったり、合わなかったりして、2軍でも結果が出ずに不安ばかり。そこでまたちょっとフォームを変えて、余計におかしくなってしまって。信念を持って貫けば変わったのかもしれないですけど、試行錯誤でしたね」
マウンドでは強気の眞下さんも、人知れず悩んでいた。「試合後に当時のキャッチャー橋本将(はしもと・たすく)さんが相談に乗ってくれ、励まされてその場で号泣しました」とファンには見せなかった一面を語る。
「応援してくれるファンのためにも1軍に戻りたかった」
「木塚敦志(きづか・あつし)投手コーチは、悩んで押し潰されそうな自分を、心の底から奮い立たせるような指導をしてくれた。当時は、『まだ練習やるのかよ』と思ったけど(笑)、こんな僕にいつも付き合って残ってくれて、感謝の気持ちでいっぱいです」と話す。
眞下さんは年長者からの言葉を大事にしていた。2010(平成22)年に退団が決まっていた佐伯貴弘(さえき・たかひろ)さんからは、ホームラストゲームの後に「『オマエならやっていけるよ』と声をかけてもらい、本当に嬉しかったですね」と感慨深く語る。
キャンプ中、ブルペンで投手を見守る木塚コーチ(写真右)
印象に残っている試合について伺うと「現役時代のラミレス監督にカーブを投げて、ホームランを打たれて、『さすがだな』と思った。また、当時ヤクルトスワローズだった青木宣親(あおき・のりちか)選手との初対戦では三振を奪ったけど、次は打たれて。でも、現在メジャーリーガーの青木選手から三振を取っているんだからスゴイことですよね」と、強打者との思い出を笑顔で振り返った。
現役時代の2010年はセ・リーグ本塁打王
眞下さんは2011(平成23)年に1軍で5試合登板したが、2012(平成24)年からは2軍生活が続いた。そして、2014(平成26)年のシーズンオフ、とうとうそのときを迎えた。
「携帯電話がなる度にビクっとして、ついにきたかという思いで取った」と当時の心境を話す。
「3年間1軍で投げてないし、もう終わりだろうと思った。僕を残すより違う選手を取ったほうがいいと思えたんで。悩んでいた期間の方が長く、今の状態じゃ勝負できないと、ある程度は覚悟していたからビックリしなかった」と、球団からの戦力外通告を受け止めた。
「焦って自分でプランを立てられなかったのが、戦力外通告の原因ですかね。先を見据えてできていればよかったと思う」という。こうして眞下さんは5年でベイスターズのユニホームを脱ぐこととなった。
電話を受けて気が楽になった部分もあった