公開は年に1度! 登録有形文化財に登録された金沢区の「旧長濱検疫所一号停留所」とは?
ココがキニナル!
金沢区長浜の「旧長濱検疫所一号停留所」が、2018年5月10日に登録有形文化財に登録。年に1度しか公開されない施設内部ってどんな様子?(はまれぽ編集部のキニナル)
はまれぽ調査結果!
横浜最古級の洋風建築の中には、野口英世博士が従事した記録をはじめ検疫所に関する貴重な資料ばかり。現在は明治150年の一般公開に向けて修復中
ライター:はまれぽ編集部
野口英世博士が5ヶ月間従事した記録
続いて、野口英世博士が従事した記録が残る部屋へ。野口博士は、1899(明治32)年に細菌検査室へ検疫医官補として着任。
写真左は当時24歳の野口博士
わずか5ヶ月間の勤務だったが、入港したアメリカ丸の検疫において中国人船員からペスト菌を検出し国内への流入を防いだ功績がある。
細菌検査室の内部。ここで野口博士はさまざまな検査を行っていたのだろうか
野口博士直筆の手紙
余談だが、一号停留所から徒歩5分ほどの長浜ホールの長浜野口記念公園には、野口博士が従事した細菌検査室が修復された状態で保管されている。
野口博士ゆかりの研究施設としては日本に現存する唯一の建物
場所を一号停留所に戻す。
野口博士の記録を残した部屋には、徳川宗家の16代当主・徳川家達(いえさと)氏や歌人の与謝野晶子(よさの・あきこ)氏など、各界の著名人の直筆の書が残されていた。
海に面した一号停留所の美しい風景は詩歌にも残されているという
大正時代の電話機
手旗信号
各部屋をつなぐ廊下(サンルーム)部分には、実験用に飼育されていたモルモットやラットの剥製が保存されている。
明治後期に船舶で捕獲されたネズミ
うさぎ固定器
飼育器や捕獲器も保存されていた
続いて、検疫に使用した検査機器が保存されている部屋と、患者診察器具などが保存されている部屋へ。
自動試験管洗浄機
電流調整機器
化学天秤
保存状態も良く、当時は最新機器であり、とても高価なものだったことがうかがえる。
消毒用作業服
木製の便器
外科用のこぎり
食塩水注射器
防毒メガネ
外科用のこぎりを見たときは背筋が凍ってしまった。生々しい器具などを見ると、過去があって現在があるのだと改めて感じる。
進歩するものと変わらないものもある
最後に談話室へ。
建設当時は最も進んだ洋風施設だった様子が所々に残っていた。
広さは食堂とほとんど変わらない
壁には談話室部分を描いた絵画が飾られており
レコードプレーヤーや碁盤などの娯楽や
横浜市歌のレコードも
ほかにも紹介しきれないほど歴史的価値の高い資料が多く保存されており、ファインダー越しに感嘆の吐息を洩らしてしまった。
すべてを紹介できないのが残念だが、現在「旧長濱検疫所一号停留所」は「かながわ明治150周年」の企画に向けて建物内や資料の補修を行っている最中。明治150周年、登録文化財への登録と、2018年は記念すべき1年だ。
野口博士が触ったかもしれないドアノブ
施設の担当者によると、例年夏ごろ開催している一般公開の準備は着々と進んでいるとのこと。興味のある方はぜひ足を運んで、歴史の流れを感じてみてほしい。
取材を終えて
先人の地道な歩みによって今がある。大げさかもしれないが、今を生きる喜びを再確認できる機会となった。
この時代の虫歯治療に臨む勇気がない
また、一号停留所を案内してくれた職員の方が面白い話をしてくれた。
旧長濱検疫所を保存してある横浜検疫所の向かいに、横浜高校の長浜グラウンドがあるのだが、プロ野球選手の松坂大輔(まつざか・だいすけ)投手が横浜高校時代、一号停留所の門があった道を歩いて通っていたというのだ。
門は現在、入ることができなくなっている
これもまたひとつの歴史だ。
野口博士と松坂投手が歩いたであろう道を踏みしめると、その足跡に身が引き締まる思いがした。横浜が刻んできた過去が現在にも続いていることが感じられる旧長濱検疫所。これからも歴史の生き証人として、大切に保存していってもらいたい。
ー終わりー