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世界遺産候補である鎌倉の永福寺跡は、どこまで復元されるの?

ココがキニナル!

国の史跡で世界遺産候補になっている永福寺跡は、誰が所有管理しているの?国有地なんでしょうか?キニナル。再建計画の有無なども併せて取材してください。(にゃんさんのキニナル)

はまれぽ調査結果!

永福寺跡周辺は国の指定史跡。45年かけ8割強まで鎌倉市が土地を買取り、国・県・市の出資で、来年には礎石復元、3年半後には池も復元される。

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ライター:吉岡 まちこ

復元計画が始動! 来春にはお堂のスケールを実感 

(つづき)

10月中旬にもう一度訪ねた時には、阿弥陀堂の礎石はもう復元されていた。
わずか2週間で着々と進んでいる印象だ!
 


裏山のハイキングロードから見渡せる。手前が阿弥陀堂跡(10月中旬撮影)


今年度残された作業は、三堂の基壇(基礎)の盛り土の周りを木の板で化粧すること。通常は石。木製基壇は珍しいという。
 


お堂の基壇は本来は床下部分。ここが木の板で囲われる


そして、遺構全体を縁取るように、雨落溝(あまおちみぞ)といって、樋(とい)のない屋根の軒から落ちる雨を受ける石の列で囲む。
当時の建物のスケール感が俄然リアリティを帯びてきそうだ。

ここで素朴な質問…。「建物は復元しないんですか?」
福田さんの回答は「しません。絵図がないので当時そのものにはならないので。今後資料が見つかり類推と違ったなんていうことになっても、建て替えられませんから」という実直なものだった。橋の復元も橋脚までだそうだ。
 

3年半後にはいよいよ、池に水が張られる!

今年度の作業が終わったその後、来年初夏に一時的に三堂基壇まで近寄れるようになるという。その後はいよいよ池の整備だ。

現在立ち入ることができる地点で、志賀野さんが足元を指しながら「この辺も当時は池の中だったんですよ」と示されたのがこの図面。


その場所は「中島」のちょっと上あたり


振り返ると、その中島の石組がすぐそばにあった。
 


草地はどっぷり池の中だった! 出土したままの状態で残されている石組


そして、なんと2016年(平成28年)4月には、一面が池になるそうだ!
 


池のイメージ。右下の道が遊歩道の位置(CG制作/湘南工科大学)


「当時の浄土式庭園は、“洲浜(すはま)”といって、近くの海の風景を写し取ったような浜を作っていました。復元では、基本的には頼朝が見ていたままに、池の縁は出土した石をそのまま見せようと思います」(福田さん)。う~ん、楽しみ。お堂側には芝生も貼られ、基壇や浜も歩けるようにするという。
 


三堂の左右には翼楼(よくろう)があり、池に張り出した釣殿(つりどの)があった
(写真提供/鎌倉市教育委員会 CG制作/湘南工科大学)
 

その釣殿の先端の石組は、出土したそのままを見せる
(写真提供/平成8年撮影 鎌倉市教育委員会)


しかしこの草地が本当に池に!? 「放っておくと地下から自然と水が湧くので、それは心配していません」(福田さん)。発掘はポンプで水をくみ出しながら行われたとかで、ポンプを1日止めると上の写真のように50~60cmの水がすぐ溜まったそうだ。

今は1m近く土をかぶせてあるので浸み出してこないが、復元ではその土を取り除く。ベントナイトシートという遮水シートで当時の池底を保護し、水深60cmほどの池にする。ただし水質は、昭和初期にここに温泉宿があったことからも、硫黄と鉄分を多く含むと予想しているそうだ。
 


写真のほぼ右半分は、一面の池になる!


市の構想はさらに続く。将来的には池を頼朝の時代の大きさまで拡大。そして、出土品の展示施設を建てたいという。

でも、池は今の道路近くまであったのでは…? 水は溢れないのだろうか。
明治期までは、このあたりの地形はまったく違っていて、今の道路あたりに高い堤があったそうだ。
 


フェンスの左手すぐまで池が広がったら、フェンスあたりに堤ができるかも!?



取材を終えて



国と県と市の三者で行う復元事業。発掘された状態を活かして再現するのは、すごいロマンだ。そこに高さ25メートルのお堂を蘇らせるにはかなり想像力がいるが、過去の映像を今の姿に重ねることこそが、古都鎌倉の楽しみ方の真髄と思う。
ぜひ、写真には納まらなかったスケールの大きさを実感していただきたい。

余談だがちょっとレアネタ。三堂の裏山は、かつて北鎌倉の浄智寺の茅場(かやば=屋根を葺く材料を供給)だったそうだ。そして三堂の後ろの山を覚園寺ハイキングコースと結ぶ計画もあるそうだ!


― 終わり ―
 

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  • 宇治の平等院なみに美しい極楽浄土を模した寺院だったんですね。でも「建物は復元しないんですか?」「しません。絵図がないので当時そのものにはならないので。今後資料が見つかり類推と違ったなんていうことになっても、建て替えられませんから」には笑った。確かにそのとおり。判っている範囲で必要十分な復元であるべきで、「ここはこうなってた方が良いだろう」とか言い出すと「キリストが別人になってネットで大評判な例の絵」みたいなことになるだろうから。でも、湘南工科大学のCGって、3Dモデリングの根拠になった図面ってどこにあったの???

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