県内に複数ある「熊の堂」という地名の由来と共通点は?
ココがキニナル!
横浜市営バス36系統の「熊の堂」というバス停の名前が気になります/江ノ電バスにも「熊の堂」というバス停を発見。いかにも怪しいバス停に共通点はあるの?(タラちゃんぷるーさん、茱萸澤村民さん)
はまれぽ調査結果!
神奈川県内で見つかった3ヶ所の「熊の堂」の地名は、「熊野信仰」に由来していると思われる。また、それぞれの地形にも共通点が見つかった
ライター:小方 サダオ
伊勢原市の「熊の堂」の由来は、個人宅にある社?
「熊の堂」について調査をしていると、バス停ではないが神奈川県内にもう1ヶ所見つかった。
伊勢原市の「熊の堂」のある場所(青矢印、Googlemapより)
伊勢原市にある「熊の堂」に向かった。
信仰の山として知られる大山を有する伊勢原市の「熊の堂」の由来には、熊野信仰と大山信仰を結ぶ特別な背景でもあるのだろうか。
東京都と静岡県を結ぶ国道246号線が神奈川県の県央部で小田急線の伊勢原駅方面に向かって曲がる。線路を越えてしばらく進むと、鉄塔が立ち並び畑が広がる場所があり、その先の住宅地の中に、「熊ノ堂公園」がある。
畑を横切る道路
「熊ノ堂公園」
比較的広い公園だ
名前の由来の情報を求めて畑の近くに住む地元の男性に伺うと「住宅地が出来る前、畑の外れにこんもりした小山のような塚がありましたが、そのことでしょうか」という。
現地に行ってみると家が建っていて、何の痕跡も残されていない。公園の近い場所に立っていたという塚が「熊ノ堂」だったのだろうか。
数十年前は住宅地のある場所は畑だったという
小山のような塚があった場所
次に古くからこの地に住む、地主の男性に伺うと「このあたりは『熊野堂』という番地でした。1876(明治9)年に編さんした地引帳にも載っています」。
「また近くの眞福寺のとなりの熊澤さんの裏山にお堂があり、そのあたりにある山の上が『坊の上』、下あたりが『坊の下』という字名でした。『坊』は坊さんを意味するため眞福寺のことなのかもしれません」という。
地引帳に記載された「字熊野堂」の住所
そこでそのお堂があった場所に向かうと、畑仕事をしている男性を発見。お話を伺うとその方こそ熊澤正(くまざわ・ただし)さんで、「お堂とは我が家の敷地内に先祖代々祀られている熊野神社のことです」と教えてくれた。
そして山の中腹にある熊野神社に案内してくれた。
裏山の道を上る熊澤さん
裏山の階段は約50年前の大雨で再建し、途中から曲がっている
大雨で崩れたままの状態だという
熊澤家の熊野神社の社
熊野神社については「この熊野神社は『オクマンさん』と呼ばれ、親しまれてきました。この社の山の向こう側が『熊野堂』という地名ですが、この社が地名の由来になったかどうかは分かりません」
この山から向こうが「熊野堂」という字名の場所だ
社は丁重に祀られている
「先祖代々熊野神社を祀ってきましたが、いつごろ、なぜ始めたのかなどは、私があまり興味がなかったこともあり聞いていないので分かりません。先代の父は戦死したためあまり活動は出来ませんでしたが、先先代の祖父が熱心で、毎年12月には人を集めてお祭りを開催していました」とのこと。
社につけられた絵馬
毎年和歌山県の熊野神社から絵馬が送られてくるという
御霊は和歌山県の熊野神社から勧請(かんじょう)されたもの
社を建てた人の名前が書かれているようだ
最後に熊澤さんのお名前と熊野信仰との関連についてキニナッたので、念のため伺った。
「分かりません。熊澤は名古屋あたりに多い名前のようですが・・・。当家は特別熊野信仰が熱心だったわけではないと思います」。
「敷地内には稲荷神社も祀られていますが、一般的に商売繁盛などにご利益があるといわれるお稲荷さんを祀る家は多いです。これと同じ感覚で熊野神社を祀ったのではないでしょうか」と答えてくれた。
熊野神社の隣に祀られた稲荷神社
伊勢原と「熊の堂」の関係について、『伊勢原町勢誌』という文献を調べた。
「熊野社は秋山・川上・沼目などに社跡がある。明治初年の修験道廃止令(※政府による神道と仏教を分ける運動により、仏教が排斥され、仏教由来の修験道が廃止された)により荒廃したものだろう。沼目には『くまんど』『おくまんさん』『熊野堂』という小字名が残っている」とある。
「紀州・本宮に鎮座する熊野神社(祭神・家都御子大神<けつみこのかみ>)、新宮にある熊野速玉大社(速玉之男神<はやたまのおおかみ>)、那智勝浦(なちかつうら)町にある熊野那智神社(熊野権現<くまのごんげん>)。町内熊野社に勧請されたのは、これら三山の祭神であったと思われる」
大山方面と富士山が望める
「『くま』の古語は熊、久麻など稲を意味するといわれている。出雲氏は米作に生きる人々が、稲を意味する熊野信仰に頼るのも道理。それが修験道と結びついて町内に勧請された」という。
伊勢原市には数々の熊野社があったとのことで、明治時代までは熊野信仰が盛んであったのかもしれない。その中に沼目の熊澤さんの『オクマンさん』も入っていたようだ。
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