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新山下貯木場再整備で水門はどうなる?

ココがキニナル!

新山下の貯木場、付近が再開発される気配ですが何ができるのでしょう?2つの水門は残るのでしょうか?(ぽぽ1さんのキニナル)

はまれぽ調査結果!

再整備に向けて検討中だが、具体的なことはまだ決まっていない。水門がどうなるかも、今のところ決められていない

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ライター:田中 大輔

今回の舞台は、新山下臨港地区と呼ばれる場所。
かつて貯木場があったところで、今でも当時を偲ばせる水門がドンと仁王立ちしている。
この辺りが再整備されそうとのことだが、実際に計画はあるのだろうか。また、開発が行われたら水門はどうなってしまうのだろうか。




およそ80年の歴史がある貯木場と水門

新山下臨港地区は山下ふ頭と本牧ふ頭にはさまれた、横浜ベイブリッジからもほど近い場所。現在でも、貯木場前というバス停があるし、貯木場入口という交差点もある。

実際に行ってみると辺りには倉庫が立ち並んでいるくらいで、一般の人にとって面白いと思えるものはあまりない。水門が建ち続けているのはそんな場所だ。
 


辺りには、倉庫やそこに行き来するトラック、働いている人の車があるだけ


まずは、貯木場と水門の歴史を簡単におさらいしておこう。
「新山下貯木場」は、その名の通り材木を保管しておくための施設。有名どころで言うと、東京都の新木場と同じような格好で、陸上の倉庫ではなく、材木を水に浮かべて管理していた。
 


赤で囲った場所が貯木場のあったところ。青い丸が水門の位置だ


1933(昭和8)年の貯木場完成とともに、水門もその仕事を開始した。
閘門式(こうもんしき)と呼ばれるスタイルで、1対の水門の間に水路が設けられるのが特徴。
水門に挟まれた水路は言わば緩衝地帯になり、水門の外と内の水位の差を調整する役割がある。
 


水位の差を水門同士の間で調整できるのが閘門式


1968(昭和43)年に役割を終えた貯木場は、1987(昭和62)年に埋め立てられることが決定。1998(平成10)年に工事が完了し、現在と同じ土地の形になった。



現在の水門は……

80年近くも前に建てられた水門は、今ではツタを身にまとってしまっている。フェンスに囲まれてはいるが、落書きも。
 


現役のころは、鉄板が上下して水を管理していた


その隣に建てられた詰所にいたっては、
 


わずかに窓が見えるが、ほぼ植物に覆われていて怖い


もう草の塊みたいになってしまっている。

ツタが絡まる水門の相棒である、もう一方の水門も残されている。
私有地に囲まれているので近寄ることはできないが、そのためかこちらの方が比較的キレイに残っているような印象だ。
 


近くの会社敷地に入れてもらい撮影したもう一つの水門


今となっては管理の手が入っているようには見えない水門だが、なにしろ80歳。
歴史的な価値があるような気もするし、開発するから撤去します、というのではちょっとさびしい感じもする。
実際のところはどうなんだろうか。