神奈川湊はその昔、横浜新道まで入り海が広がっていたって本当?
ココがキニナル!
その昔入江(湾)だった神奈川湊。しかし鎌倉時代までさかのぼると、今の横浜新道近辺まで入り海が広がっていたってホント? また、そのころの神奈川湊の範囲は?(yamaさんのキニナル)
はまれぽ調査結果!
縄文時代まで遡ると横浜新道の辺りまで海だった。奈良時代から近代まで、人工的な埋め立てを除き、本来の海岸線や湾の範囲に大きな変化はない。
ライター:ほしば あずみ
横浜新道は国道1号線のバイパス。
ざっくり横浜新道近辺というと、保土ヶ谷~戸塚間あたりになるだろう。
言うまでもなく現在は内陸部で、決して海が近いとはいえない場所だ。
紫のラインが横浜新道。今の海岸線まで一番近い場所でも3キロほどある
現在の海岸線は多くが埋め立てられたものであり、みなとみらい地区のように近代以降のものもあれば、江戸時代の新田開発によってできた埋立地もあるのはこれまでも何度かはまれぽでお伝えしたとおり。
だが、それらは河口付近の話。果たして横浜新道近辺まで入海だったというのは本当なのか?
調べてみると、横浜の内陸部分まで海岸線がある地図があった。
提供:(公財)横浜市ふるさと歴史財団埋蔵文化財センター
現在の地図を重ねてみると横浜新道近辺に海岸線があるのがわかる
だが、この海岸線は縄文時代のボーリングや発掘などの調査と土地の海抜にもとづく推定海岸線を参考にしたもの。縄文時代といえば今から約6000年前。約800年前の鎌倉時代よりさらに時代が遡っている。
横浜新道近辺が入海状態だったのはいったいどの時代までなのか、まずはこの海岸線の画像元である、横浜市ふるさと歴史財団埋蔵文化財センター(以下、埋文センター)に話をうかがってみる事にした。