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神奈川湊はその昔、横浜新道まで入り海が広がっていたって本当?

ココがキニナル!

その昔入江(湾)だった神奈川湊。しかし鎌倉時代までさかのぼると、今の横浜新道近辺まで入り海が広がっていたってホント? また、そのころの神奈川湊の範囲は?(yamaさんのキニナル)

はまれぽ調査結果!

縄文時代まで遡ると横浜新道の辺りまで海だった。奈良時代から近代まで、人工的な埋め立てを除き、本来の海岸線や湾の範囲に大きな変化はない。

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ライター:ほしば あずみ

海岸線の変動はダイナミックな地球の歴史

埋文センターは以前、「横浜でいちばんベストな古墳ってどこ?」でもお世話になった、栄区野七里にある公益財団法人だ。
 


旧市立野七里小学校の校舎を利用した埋文センター


なお余談ながら、「南区中村町にある廃墟のような建物の正体とは!?」にも登場した南区中村町のレトロな建物を所有しているのは「神奈川県立埋蔵文化財センター」。県立の埋文センターは主に国や県の事業に伴う発掘調査等の出土品を、横浜の埋文センターは市の出土品を管理しているのだそう。

さっそく、鎌倉時代も横浜新道近辺は入海状であったのか尋ねてみたところ、「鎌倉時代の海岸線は、現在のものとほぼ変わらないと思います。もちろん埋め立てで正確にいえば海岸線は変化していますが、おおまかな部分では変わっていないといって良いでしょう」との答えだった。

「当時の海岸線を示す史料は主に絵図ですが、鎌倉時代の保土ヶ谷あたり(今の横浜新道付近)を描いたものはほとんどありません。時代が下ると、東海道の道中を描いた絵図が出てきますが、これらも正確な測量にもとづいたものではないので、海岸線までの距離はわからないのです」
 


安藤広重が描いた保土ヶ谷宿。帷子川に架かる新町橋。海は描かれていない


江戸時代の五街道のひとつ東海道は、時代によって多少の変遷はあるものの、街道のルートはほぼ律令(飛鳥、奈良)時代に定められた道筋に準じていると考えられている。
[A8]また鎌倉時代の保土ヶ谷には「鎌倉下の道」と呼ばれる主要道路も通っており、保土ヶ谷区岩井町には北条政子が使ったという伝説の井戸も残されており、少なくとも海岸線はそこにはなかったといえる。

「地球は46億年の歴史の中で、寒い時期(氷期)と暖かい時期(間氷期)が交互に訪れています。その間隔は1000年とか1万年とか、気が遠くなるような単位です。今から約1万年前に氷期から間氷期に移行し、その温暖化のピークは5500~6500年前の縄文時代でした。
当時の横浜は平均海水温が2℃高く、南極や氷河の氷が溶けて海面は4m上昇しました。これを『縄文海進』といいます。
その後増えた海水が海底を沈降させ、海面はゆっくり下がっていきました(海退)。弥生時代、飛鳥、奈良などはもう現在の海岸線とさほど変わらなかったでしょう。もちろん、ゆっくり退いていったので干潟状に残ったり、気候の変動も多少あったので、厳密にいえば少々変化はあったでしょうが、横浜新道付近まで海だったような大規模な海岸線の変化は、直近でいえば縄文時代まで遡るといって良いです。それより前の変動だと約12万5000年前、大規模なものだと年月も何千、何万という単位になるんですよ」

神奈川湊もその範囲に大きな変動はないと考えられるが、昔の文献や絵図の性質上、どこからどこまでが湊の範囲とするかは難しい。
「厳密には今より少し海面が高かった時代で、1メートルから2メートル程度変動はあって低地が沈んでいるといった違いはあるかもしれませんが、埋め立てられる前の海岸線とほぼ変わらなかったでしょう」との事だ。
 


安藤広重の描いた神奈川湊。横浜ポートサイド地区一帯がかつての湊だった




海岸線の名残はどこで見られる?

縄文時代の海岸線は、地層を掘って行うボーリング調査や、貝塚の発掘などで推定される。
しかし、遺跡の多くはそこに建造物を建てたり道路を通したりするための調査として発掘されるため、その状態のまま保存される事は少なく、また調査の範囲でしか推定できないため、正確な海岸線を引く事も難しい。

現在の横浜新道近辺で旧海岸線の様子を目で確認できるような場所があるかうかがったところ、残念ながら思いあたらないとの事だ。
だが他の場所であれば、たとえば埋文センターが発行している広報誌「埋文よこはま」では、金沢区の瀬戸神社の旧境内地内で発掘された縄文時代~中世にかけての海岸線を示す遺跡が紹介されている。
 


中世鎌倉の外港として栄えた六浦の中心地にある瀬戸神社


それによると、1987(昭和62)年の調査で古墳時代の貝塚や祭祀場、中世の墓地、近世の屋敷や庭園の遺構などが検出された他に、まさに縄文海進時から徐々に海が後退していった様子がわかる、旧海岸線(波蝕台:はしょくだい)の跡が見つかったのだという。
社殿脇の波蝕台は現在でもその様子を見る事ができるそうだ。
 


瀬戸神社の境内に残る波蝕台。波で岩盤が削られてできる(「埋文よこはま」より)


この瀬戸神社旧境内地内遺跡は2011(平成23)年にも、京急バスロータリーの整備に伴う発掘調査で、さらに神仏分離令で廃寺となった寺の参道が見つかるなど、縄文前期から明治期までの歴史を考古学で知る事ができた(現在はバスロータリーが完成しているため、遺跡の面影はない)。
埋文センターによると、この遺跡は「横浜市における代表的な海辺の遺跡」といえるそうだ。



まとめ

横浜新道近辺まで入海だったのは本当だった。ただしそれは縄文時代まで遡る。今よりも気温が2℃高く、海面が4メートル高かった世界だった。
もちろん横浜という地名もなく、現在とはまったく違う風景が広がっていたにちがいない。
6000年前に思いを馳せ、ダイナミックな自然のサイクルを、瀬戸神社の波蝕台のような目で見える海岸線の様子で感じてみてはいかがだろう。


―終わり―
 

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  • キニナル投稿者です。 保土ケ谷区史などを読んでいての疑問を書いてみました。私のふとした疑問からここまで調べていただけるとは、いつも記者様およびハマレポ様には感謝の至りです。

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