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旭区と保土ケ谷区にある神奈川坂。その歴史と由来は?

ココがキニナル!

保土ケ谷区に「神奈川坂」という坂がありますが、旭区にも同じ名前の坂があります。保土ケ谷の方が先な気がしますけれども、どちらの歴史が古いのでしょうか?また、それぞれの由来も気になります(maniaさん)

はまれぽ調査結果!

江戸中期以降に名付けられたであろう旭区の坂に比べ、保土ケ谷区は江戸時代以前にできたと考えられている。名前の由来はどちらも坂の行き先から!

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ライター:田中 大輔

横浜市のちょうど真ん中辺りに東西に並ぶ保土ケ谷区と旭区。
この隣り合った2つの区に同じ名前の坂がある、というのが今回のキニナル。

その坂は「神奈川坂」と呼ばれているそうだが、なぜ保土ケ谷区や旭区なのに“神奈川”の名が付けられたのだろうか。
この2つの神奈川坂の由来や成り立ちを比較しながら、その謎を追ってみよう。



違う郡から同じ区、そして別の区に



まずは両区の歴史をざっとおさらいしておこう。
もともとは橘樹郡(たちばなぐん)だった現在の保土ケ谷区と、都筑郡に属していた現在の旭区。
この2つの地域は、1927(昭和2)年の区政施行と同時にどちらも保土ケ谷区に編入されることになる。
旭区が保土ケ谷区から分区されて1つの区になるのは、それから42年後の1969(昭和44)年のことだ。
 


 

保土ケ谷区役所(上)と旭区役所。かつては同じ保土ケ谷区だった


ということは、坂の命名がそれよりも古ければ、かつては同じ区の中に2つの神奈川坂が存在したことになる。
さて、実際のところはどうだったのか。両区役所を通じ、それぞれの区で郷土史を研究している人を紹介してもらい話を聞いた。



旭区の神奈川坂に迫る



まずは旭区から。
旭区の神奈川坂があるのは、相鉄線の鶴ヶ峰駅と二俣川駅の間あたり。本宿小学校の北側、タカナシ乳業の裏手といえば分かりやすいだろうか。
 


坂の上にある坂名標。側面には後述する紹介文が


坂はなだらかで、弧を描くような形。
小学校のほかは一軒家やアパートが建てられていて、言われなければ特に気になるような坂ではない。
 


何往復かしたが、それほど疲れない緩やかな坂だ


旭区役所の紹介で電話取材に応じてくれた「旭ガイドボランティアの会」の会長を務める斉藤国勝さんのお話とともに、その歴史を探ってみよう。

神奈川坂の歴史について聞いてみると、斉藤さんは「細かい記述はほとんど残っていないんです」と前置きしたうえで「相州道(神奈川往還、厚木街道とも)の一部だったようです」と教えてくれた。
 


坂の上から。左側に見えるのが本宿小学校


この名前が付けられた年代も街道の歴史から推察可能だそうで、「江戸時代の中期から後期に付けられた名前だろう」とのこと。
その名に“神奈川”と冠された理由は、「神奈川宿や神奈川湊に向かう坂ということで、この名前になったんだと思います」と話す。

つまり、神奈川坂の“神奈川”とは、坂のある場所ではなく行き先を示す言葉ということのようだ。
 


坂の周辺には“神奈川坂”と付くアパートが数件あった


坂のてっぺんには坂の名前を示す標が立てられていて、「本村橋から本宿小学校あたりまで店が並び人々は馬に水をやったり休憩したりしていた」と書かれている。
これを読むと、さぞかしにぎやかな集落だったのかとも思うが、斉藤さんは「東海道沿いの宿場のような規模ではなかったでしょう」と言う。
 


紹介文によると、相州道の中間地点がココだったとのこと


「小さな集落でお店が何件かあった程度では。記録を見ると、立て場(人足たちが休憩する場所)や足袋屋、まんじゅう屋、ちょうちん屋があったようです」とのことで「おそらく宿もあったんじゃないでしょうか」と続ける。
この坂のある本宿町という地名も、この坂沿いのお店や集落に由来しているんだそうだ。
 


坂を下っていくと、本村橋(ほんむらはし)に出る


坂の場所は往時と変わっていないだろう、と話す斉藤さんだが「地形は変わっているかもしれない」とのこと。
また、坂の下側には保土ケ谷区の随流院から旭区の三仏寺までをつなぐ観音道との交差点もあり、人の往来はそれなりにあったようだ。