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旭区にある今宿町と本宿町は関連性のある地名なの?

ココがキニナル!

旭区には本宿と今宿という「宿」のつく地名がありますが、何か関連はありますか?(maniaさん)/旭区には今宿と付く町が5つもありますがどういう経緯でこうなったの?(ココポリととさんのキニナル)

はまれぽ調査結果!

確定的な資料はないため、両方の関連性は諸説あり。東海道の宿場ほどの規模ではないが、どちらにも宿があったようだ

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ライター:田中 大輔

神奈川、保土ケ谷、戸塚。
東海道の53の宿場のうち、この三つが現在の横浜市内にあることはあまりに有名だ。
いずれも1927(昭和2)年の区政施行のときから区名として使われ始め、現在に至っている。いかに重要な場所だったかを端的に示すエピソードではないか。
 


かつての東海道


今回はもうちょっとマイナーな“宿”にまつわる話を取り上げる。
キニナルにある、旭区の今宿(いまじゅく)町と本宿(ほんじゅく)町だ。どちらも“宿”の字を含んだ地名だが、本当に宿場があったのか。そして、互いに関係性はあるのだろうか。

一度は「まとめて報告」に送られた話題だが、改めて別角度から調査を試みた。
 


現在の「今宿」と「本宿」の位置関係(Googleマップより)



■2つの“宿”
現在の今宿町、というよりも、周囲にある同じ名前を冠した今宿1丁目、2丁目、今宿東町、今宿西町、今宿南町は一部を除きひとつの村だった。
かなりバラバラと分割されているので、その変遷を表で確認しておこう。
 


今宿町の変遷。かなり町域を削られていることが分かる


この表からも分かる通り、元々はかなり広い地域が今宿と呼ばれていたようだ。
その地名は古く、1559(永禄2)年に完成した『小田原衆所領役帳(おだわらしゅうしょりょうやくちょう)』にもその名前が記されている。

一方の本宿町は、昔から独立した町や村だったわけではない。
江戸時代後期の文化・文政期(1804年~1829年)に書かれた『新編武蔵風土記稿』には二俣川村の小名として登場している。横浜市の一部となった当時も二俣川町の内で、ひとつの町となるのは1962(昭和37)年の町界町名整理まで待たなければならない。
 


各町の位置関係(Googleマップより)


以前に書いた「旭区と保土ケ谷区にある神奈川坂。その歴史と由来は?」にも登場した場所で、そのときの取材ではかつての本宿は現在の本宿町、南本宿町、大池町を含めた地域だったという話も聞いた。
 


本宿町を通る神奈川坂。相州道の一部だったと言われている


さて、この二つの町、というか、かつてひとまとめになっていた地域は、どういったわけで“宿”の字を含んでいるのだろうか。