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ココがキニナル!

2014(平成26)年1月10日に亡くなった崎陽軒会長・野並豊氏の生涯と功績をレポート(はまれぽ編集部のキニナル)

はまれぽ調査結果!

野並豊氏はシウマイ弁当・真空パックシウマイ・シウマイ年賀状・特製シウマイ等、看板商品を考案。量産体制を整え、同社の発展に大きく貢献した

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2014年01月21日

ライター:松宮 史佳

2014(平成26)年1月10日、肺炎のために91歳でなくなった「株式会社崎陽軒」代表取締役会長・野並豊(のなみゆたか)氏。
 


生前の野並豊氏


訃報を聞き、同社広報・マーケティング部の柴田菜都美さんに急遽お話を伺う。柴田さんによると、野並氏は2013(平成25)年11月末までは出社していたとのこと。まさに「現役のまま亡くなった」と言えるのではないだろうか。

社員食堂で「社員と一緒にお昼を食べることもあった」という野並氏。生前は一体どのような方だったのだろう。
 
 
 
大正生まれ、生粋のハマっ子!
 
1908(明治41)年に創業した崎陽軒。野並豊氏は初代社長・茂吉の長男として1922(大正11)年2月8日、横浜市材木町(現・平沼町)に生まれた(兄弟は姉1人、弟3人)。
 


野並豊氏著『大正浜っ子奮闘記』

 
豊氏が生まれた当時、横浜の人口(1920年統計)は42万2938人にすぎなかった。ちなみに、現在は370万3258人(2014年1月1日統計 )。同氏が生まれたころに比べると、人口は約8.8倍。野並氏は今ほど横浜が発展していないころからの横浜市民であり、地元への強い愛があったようだ。著書には「昨日・今日のハマっ子とは一味もふた味も違うと言っておきたい」と書かれている。

1923年(大正12年)9月1日に発生した関東大震災では、火災の中を母に背負われて避難したそうだ。関東大震災は崎陽軒にとって最初の大きな試練だった。初代社長の茂吉氏は焼け残った鍋や皿を掘り出し、近くの川から拾い上げた木材で焼け跡に二十坪ほどのバラックを建設。店を再開したという。
 


一番右が4歳の時の豊氏『大正浜っ子奮闘記』より

 
1928(昭和3)年、奇しくも崎陽軒がシウマイを売り出した年に、豊氏は平沼尋常高等小学校へ入学した。担任の先生の影響で算術(算数)が得意だったとのこと。1年生から6年生まで毎年優等生に選ばれ、卒業式では卒業生代表として答辞を読むなど、とても優秀な生徒だったようだ。
 
小学校卒業後は「実務を身に付けてほしい」という、父の意向を受けて商業学校への進学を決意。1934(昭和9)年、地元で唯一の商業学校「横浜市立横浜商業学校」に入学し、柔道部で汗を流した。
 
1939(昭和14)年、「横浜市立横浜商業専門学校(以下、Y専)」へ。音楽部や写真部などに入部し、活躍。放課後は当時にぎわっていた伊勢佐木町の映画館に繰り出して映画を観るなど、青春を謳歌した。
  


音楽部でチューバを担当していた豊氏
 

Y専卒業後は神奈川税務署に勤務。1942(昭和17)年に召集され、重砲隊に入営。満州に赴いた。
 
 
 
シウマイ弁当の誕生
 
復員後、Y専在学中から進学を希望していた慶応義塾大学経済学部に入学。在学中の1946(昭和21年)、合名会社崎陽軒の関連会社である株式会社崎陽軒食堂取締役に就任した。
 
1948(昭和23)年、合併改組により株式会社崎陽軒が誕生し、豊氏は常務取締役に就任。横浜大空襲で大きなダメージを受けた崎陽軒の復興を目指し、本格的に経営に携わることになった。
 
1950(昭和25)年、初代社長・茂吉氏はタバコを売る“ピース娘”からヒントを得て「シウマイ娘」を考案。「シウマイ娘」は毎日新聞に連載された獅子文六(ししぶんろく)の小説『やっさもっさ』に登場した。その後も、映画・ラジオ・漫才などに登場し大きな話題となった。
 


『やっさもっさ』は映画化され、シウマイ娘はさらなる話題に
 

1954(昭和29)年、32歳の豊氏は有名になったシウマイをもっと広げようと「シウマイ弁当」を思いつく。販売するやいなや、大きな反響を呼び、シウマイと並ぶ崎陽軒の二大看板になった。
  


「シウマイ弁当(750円)」は1954(昭和29)年の発売以来のベストセラー!

 
昭和20年代後半の横浜駅前は西口・東口ともめぼしい建物がなく、「大部分が焼け野原のまま、放置されていた」。そこで、茂吉氏は1954(昭和29)年の失火により、焼失した中華食堂跡に「お客さんにシウマイの調理過程が見える総ガラス張りのビル」の建設を考案。“横浜駅復興の足掛かりにしたい”と考えた。

豊氏は全面的に父・茂吉氏をバックアップし、本社ビルの建設を担当。1955(昭和30)年、総工費6700万円をかけ、鉄筋コンクリート3階建て、当時としてはめずらしい“総ガラス張り”の本社ビルを完成させた。
 


朝はガラスが光り輝き、夜はひょうちゃんのネオンが光り輝いた本社ビル(シウマイショップ)


豊氏の功績を柴田さんに伺うと、「シウマイ弁当を考案したこと、そして東京への販路拡大が上げられます」と答えてくれる。
 
崎陽軒は横浜をホームとした横浜ならではの企業。しかし、今日では神奈川、東京を中心に直営店や委託販売所を設けている。

シウマイショップが完成した翌年の1956(昭和31)年、東京・日本橋の高島屋から出店の依頼を受け、東京進出第一号店がオープン。以降、先方からの依頼により、有楽町そごうや東京駅の大丸に出店。崎陽軒を創ったのは先代だが、さらに大きく発展させたのは豊氏だったと言えるだろう
 
 
 
 

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