イセザキ・モールの入り口の看板とアーチの歴史を教えて!
ココがキニナル!
伊勢佐木町の入口に大きな「救心」の看板がありますが、なぜここにあるのでしょうか?また伊勢佐木町の入口のアーケードや看板の歴史をお願いします。(浜っ子五代目さんのキニナル)
はまれぽ調査結果!
「救心」の看板は、繁華街で、なおかつ電車から見ることが出来るという理由からイセビルの上に設置された。現在のイセザキ・モールのアーチは五代目!
ライター:橘 アリー
最後のネオン看板だった!?
イセザキ・モールの入口の大きな「救心」の看板とは、イセビルの屋上にあった看板。投稿を頂いた時はまだあったが、昨年撤去されてしまい、現在は存在しない。
つまり、今回の調査は、“なぜあそこにあったのか”という内容になる。
「救心」の看板があった当時の様子
さっそく、救心製薬株式会社の広告部にお話しを伺った。
看板を出したのは、1980(昭和55)年12月で、大きさは、縦5メートル、横13.7メートル。
理由は、あの場所は繁華街で人通りも多く、イセビルの上のあの位置だと、ちょうど電車の中から目線の高さになるのでよく目立ち、広告として効果が見込まれたからだそうだ。
京浜東北線の車内から、「救心」の看板を眺めた方も多いのではないだろうか。
撤去したのは、2013(平成25)年11月。
その理由は、昨年、救心製薬の社内で広告について見直しをすることになったから。
最近の主流の看板は、看板の背後から電光を当てる「電飾看板」や、電車やバスの中吊りのような「交通広告」に変わって来ている。「救心」の看板は、昭和のころに多かった、大阪道頓堀の「グリコの看板」のようなネオン管を使った「ネオン看板」で、看板としては古いものになって来ていた。
さらに、2011(平成23)年に東日本大震災が起こったこともあり、地震で看板が落ちて二次被害を出すようなことが有ってはいけないということで撤去したそうだ。
看板が無くなった現在の様子
ちなみに、あの「救心」の看板は、救心製薬の最後のネオン看板だったそうである。
とても存在感のあった「救心」の看板。
屋上に看板が無いイセビルはスッキリした雰囲気になったが、どことなく寂しい感じもする。
しかし、災害時に配慮してという理由は納得がいくものだ。
看板で、その時代が分かる!?
続いて、イセザキ・モール入口の看板の歴史を写真で見て行くと、「救心」の看板のように、電車からでも良く見るような大型の看板が多かったと分かる。
1966(昭和41)年当時の様子
(出典:『OLD but NEWイセザキの未来につなぐ散歩道』)
1977(昭和52)年当時の様子
(出典:『OLD but NEWイセザキの未来につなぐ散歩道』)
2008(平成20)年当時の様子
(出典:『OLD but NEWイセザキの未来につなぐ散歩道』)
看板をみると、その当時の様子が伺えて懐かしく楽しいものだ。