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ココがキニナル!

北方小学校の近くが久しくビール発祥の地と認識していましたが、大阪もビール発祥の地という説もあるみたいですね。どちらが本当でしょうか?(Mhamaさんのキニナル)

はまれぽ調査結果!

日本の国産ビール産業発祥の地は、外国人によって初めて醸造されたのが横浜、その3年後、日本人によって初めて醸造されたのが大阪である

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2014年09月27日

ライター:永田 ミナミ

横浜の発祥の地へ

横浜でビールといえばキリンビールである。そして、キリンビールといえば生麦にそびえる広大な工場を思い浮かべる人は少なくないだろう。
 


戦後まもなく廃止されたがかつて京急には「キリンビール前駅」もあった(クリックして拡大)


ちなみに1932(昭和7)年に開業した「キリンビール前駅」は、戦時中に現在の東急、京急、小田急、京王電鉄などが合併した、いわゆる「大東急」時代の1944(昭和19)年に、ビールは贅沢品であるという理由で「キリン駅」に改称させられたあげく、まもなく営業休止、そのまま戦後すぐに廃駅となってしまう。

「生麦」なんて何てビールにうってつけな地名だろうと思うが、実はキリンビールの発祥の地は生麦ではない。

キリンビールの歴史をたどっていくと、1869(明治2)年までさかのぼることができる。

これまで、ノルウェー系アメリカ人のウィリアム・コープランドが開業した「スプリングバレー・ブルワリー」が前年に開業していた1870(明治3)年が横浜にビール産業が生まれた年だとされてきたが、近年の研究で、その前年の1869(明治2)年に、山手本通りをはさんでフェリス女学院中学校・高校の向かいになる山手居留地46番に、アメリカ人のローゼンフェルトが建てた「ジャパン・ヨコハマ・ブルワリー」が開業していたことがわかったのである。

 


山手46番に残る昭和初期に建てられた西洋館

 
そして、同じく1869(明治2)年ごろには、ウィリアム・コープランドが、山手123番の湧水の出る天沼という池の近く(現在の北方小学校付近)に醸造所を建て、試験的に醸造をはじめた。このビールは「天沼(あまぬま)ビアザケ」と呼ばれとても人気があったという。この醸造所がそのまま1870(明治3)年ごろに「スプリングバレー・ブルワリー」として開業する。
 


後のジャパン・ブルワリー(後述)の手前に「ビヤ酒ノ池(天沼)」が写る写真絵葉書
(提供:yokohama postcard club)

 
「ジャパン・ヨコハマ・ブルワリー」が5年ほど操業したのち閉鎖すると、同ブルワリー醸造技師のE・ヴィーガントは、山手68番にあった「ヘフト・ブルワリー」を引き継ぎ、1875(明治8)年に「パヴァリア・ブルワリー」を創業する。一方、同じころ、コープランドは醸造所に併設していたビアガーデンを開設している。
 


山手68番は現在のフェリス女学院大学6号館付近

 
1年後の1876(明治9)年、競い合っていたヴィーガントとコープランドは互いの利益を考え、ヴィーガントが「スプリングバレー・ブルワリー」と合併するかたちで商事組合「コープランド・アンド・ヴィーガント商会」を設立した。
最終的に山手のビール工場は、天沼でビール醸造に適した硬水を発見した「スプリングバレー・ブルワリー」だけが残ることになる。
 


北方小学校を目指して歩いていくと、敷地内にビール井戸跡を発見
 

近づいてみると趣溢れる煉瓦造りの井戸があり、その横には
 

「いま校庭になっているところには湧水のわき出る池があっ」たという説明も
 

この校庭に水を湛えた天沼が広がっていたのだ

 
ヴィーガントとの合併によって「スプリングバレー・ブルワリー」の生産量が増えると、コープランドは、今度は販売に力を注ぎ、横浜から東京、神戸、長崎へと広げ、さらには上海やサイゴン(現在のホーチミン)など海外にも輸出するようになる。

しかしながら1880(明治13)年に商事組合は解散、そして1884(明治17)年には経営が破綻し、「スプリングバレー・ブルワリー」は、売却されることに。

そこで、タルボット(W・H・Talbot)やアボット(E・Abbott)といった居留外国人33人と、幕末に大きな影響力を及ぼしたT・B・グラバーの働きかけによって参加した三菱財閥2代目総帥の岩崎弥之助が出資し、翌年の1885(明治18)年7月、「スプリングバレー・ブルワリー」と同じ敷地に、資本金5万香港ドルで、上の写真絵葉書でも触れた「ジャパン・ブルワリー」が設立されたのである。
 


向こうに醸造所が見える写真絵葉書「横浜北方の眺め」(提供:yokohama postcard club)
 

ほぼ同じアングルの現在。緩やかな坂は「ビヤ坂」と呼ばれ往時を偲ばせる
 

坂をくだって北方小学校のすぐ南側にある「キリン園公園」には
 

とても大きな「ビール産業発祥」の碑が立っている

 
ビヤ坂側には「麒麟園」と書かれた古い門の跡。向かい側の路側帯もやや広い
(クリックして拡大)

 
翌1886(明治19)年に、本格的なドイツ式醸造法の実現に向けて製氷機を導入すると、輸入ビールとの競合が可能になると考えた渋沢栄一など日本人株主が多数参加し、会社の規模は拡大していく。

ほかにも必要な最新醸造機械や蒸気設備、さらに熟練したドイツ人技師を招き、第1回の仕込みがおこなわれたのは1888(明治21)年2月23日。そしておよそ2ヶ月後の5月、「ジャパン・ブリュワリー」が発売した商品が「キリンビール」である。
 


キリンビール初代ラベル
 

翌1889(明治22)年にはグラバーの提案で現在に通じるラベルに変更された

 
キリンビールのラベルに描かれた麒麟の鬣(たてがみ)に「キ」「リ」「ン」の文字が隠れているという話は有名だが、この麒麟は、グラバー邸に置かれていた狛犬の石像がモデルであるとか、麒麟の髭がグラバーの髭が元になっている、また麒麟は頭が龍で体が馬、つまり親交があった坂本龍馬を表しているという説など、夢が膨らむ伝説がたくさんある。



 

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