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法政二中高の歴史あるシンボルマーク“白い時計台”は、何故取り壊されてしまったの?

ココがキニナル!

武蔵小杉にある法政二高。昔から白い時計台がシンボルマークですが、校舎建て替えに伴って時計台も建て替わるそうです。新旧2つの時計台が並んでいるレアな状態!ぜひ取材して下さい!!(ぴろさんのキニナル)

はまれぽ調査結果!

旧時計塔は老朽化のために2014年に取り壊された。新しい時計塔の時計は旧時計塔とほぼ同じデザインで、塔の中は雨水を溜められるようになっている

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ライター:橘 アリー

あと半年早ければ・・・



戦争の空襲で倒壊することもなく、戦後70年という長い時を刻みながら地域のシンボルマークとして親しまれてきた法政二中高の“白い時計塔”。

2014(平成26)年3月には新校舎が竣工。新しい時計塔も造られていて、一時期は時計塔が2つ並んでいるという珍しい状態だったそうだ。
 


時計塔が2つ並んだ様子(法政二中高ホームページより)


しかし残念ながら、旧時計塔は2014(平成26)年6月に取り壊されて、現在は新しい時計塔のみとなっている。
 


現在の時計塔の様子

 
“あと半年早く取材していれば・・・”
と少し悔やみながらも、新旧の時計塔について取材させていただいた。
 


大学の予科として開校!


 


学校前の様子

 
“法政第二中高”と呼ばれ親しまれているが・・・
 


正式名称は、「法政大学第二中・高等学校」である

 
この学校では、法政二中から法政二高、そして法政大学へと、受験の枠組みにとらわれることなく豊かで伸びやかな学校生活が送れるように、10年一貫教育を行っている。
 


現在は男子校であるが、2016年の共学化に向けて校舎等の工事が行われている

 
お忙しい中、総務主任の大庭乾一(おおば・けんいち)教諭が快く取材に対応してくださった。
 


とても気さくな人柄の大庭乾一教諭

 
まずは、学校と校舎の歴史について。

旧時計塔のある校舎が出来たのは、法政大学の予科校舎として1936(昭和11)年10月のこと。
予科とは、当時の大学の専門学部に入る前の教養学部のことである。
中学と高校の校舎であるが、スタートは大学の校舎としてであった。
 


完成当初の旧校舎の様子(『ありがとう時計塔』冊子より)​

 
校舎に白い時計塔がある理由については、当時は校舎に時計塔を作るのが一般的であったからだそうである。

そのような理由で作られた時計塔だが、学校周辺に田畑が多かった当時は、農作業の合間に時間を確認するなどして、周辺地域の人々にも親しまれていた。
 


昭和30年代後半の様子(『ありがとう時計塔』冊子より)

 
このように大学の予科の校舎として造られた旧時計塔校舎は、1939(昭和14)年に、現在の第二高等学校の前身である旧制法政大学第二中学校が設立される。戦後になって、新制法政二校(現法政二校)の校舎として使われるようになった。
ちなみに、法政大学第二中学校は男子校である。
 


1940年代の校舎の風景(『ありがとう時計塔』冊子より)

 
その後の学校の移り変わり辿っていくと、1945(昭和20)年に働きながら学校に通う生徒のために法政第二工業学校の夜間が川崎校地に発足し、1948(昭和23)年には、学制改革の6・3制実施により、法政大学第二中学校は法政第二高等学校となった。
 


1940年代の学校周辺の様子(『ありがとう時計塔』冊子より)

 
そして、1959(昭和34)年には、これまで夜間部のみだった法政大学第二工業高等学校の全日制がつくられた。

1960(昭和35)年、硬式野球部が甲子園で優勝している。
 


その当時の様子(『ありがとう時計塔』冊子より)

 
その後、1976(昭和51)年に、これまで法政大学第二高等学校と法政大学第二工業高等学校の二つあった学校を統合することになり、法政大学第二工業高等学校が廃止され、法政大学第二高等学校の中に工業科が作られた。

1986(昭和61)年には中学から大学までの10年一貫養育で、豊かで伸びやかな学校生活を送れるように法政大学第二中学校が創立されて現在に至っている。
 


法政大学第二中学校創立の頃の学校周辺の様子(『ありがとう時計塔』冊子より)
 

雪景色、桜の中での旧時計塔の様子(『ありがとう時計塔』冊子より)


学校はこれまで男子校であったが、2016年には中学高校とも男女共学になるようである。
共学化は、世の中が男女共同参画社会となり、国際化や少子高齢化が進んでいくので、そんな社会の動きや変化に合わせてのことであるそうだ。

そんな共学化に向けての新校舎建設に伴い・・・
 


老朽化した時計塔校舎は解体された(『ありがとう時計塔』冊子より)