山手の銭湯『いなり湯』に飾ってある写真の力士ってどんな人?
ココがキニナル!
山手駅前の商店街を本牧通り方面に歩いた所にある、いなり湯という銭湯の脱衣所に、力士の古い写真が飾ってあります。南区出身の方らしいのですが、どんな人だったのでしょう? (keinakatさんのキニナル)
はまれぽ調査結果!
力士の名は元高田川部屋の鬼雷砲(きらいほう)。最高位は東前頭4枚目。1996年の引退後はほどなくして角界を退き、現在は消息不明。
ライター:クドー・シュンサク
以前、「はま旅」にて特集したJR根岸線山手駅。
その中でも紹介させてもらった山手駅前、大和町商店街の銭湯‘いなり湯’。
そこの脱衣所にある力士の写真は誰で、どんな人だったのか。
暑い盛りの夏の真ん中。いなり湯へ出向くことにした。
いざ、いなり湯へ
いなり湯外観。ノスタルジックな佇まい
銭湯内へおじゃますると、さっそく存在感のある写真が目に入る。
なかなかの存在感。化粧まわしにある「鬼雷砲」が四股名だろうか
そして化粧まわし。
この逸品は一際と目を引く
番頭のお母さんに話を聞くと、写真で凛々しくこちらを見すえる力士の名は元高田川部屋の「鬼雷砲」関。
いなり湯のご主人が高田川部屋の親方や、鬼雷砲の義理のお父さんにあたる方と交友があったというので、鬼雷砲関はここに訪れていたという。詳しい話はお父さんからがいいということなので、いなり湯の主人の出勤を待ち、話を聞くことにした。
壁に描かれた富士山は、今も昔も銭湯の象徴だ
鬼雷砲とは、どんな力士だったのか
ご主人の松山さん曰く、何度かいなり湯にも訪れて入湯していったという鬼雷砲関。本名、内間良三さん。立ち合いからのもろ差しで寄り切る速攻を持ち味に活躍し、神奈川県出身の力士としては歴代2人目の幕内力士という輝かしい経歴を持つ。
いなり湯のご主人。横浜市浴場協同組合の副理事でもある松山秀雄さん
新入幕から、実に25場所連続で幕内をキープしていたが、幕下に陥落した1996年の7月場所をもって現役を引退。当時30歳、体力の限界での引退とされている。