関内で澄んだ音色に酔える? トリニダード・トバゴ出身の世界的「スティールパン」奏者、トニー・グッピーさんに直撃!
ココがキニナル!
「スティールパン」という楽器がキニナル。演奏していたのは、トニー・グッピーさん。スティールパン奏者の第一人者である、トニー・グッピーさんとスティールパンの魅力について取材を!(ころすけさん)
はまれぽ調査結果!
トニー・グッピーさんはナショナル・スティールパン・ソロスキル・コンテスト優勝の世界的なアーティスト。スティールパンは多彩な音色が魅力!
ライター:ムラクシサヨコ
「スティールパン」という楽器をご存じだろうか? トリニタードトバゴで誕生した打楽器で、投稿者によると「澄んだ音色に出会った」とのこと。
トリニタードトバゴの国家楽器であるスティールパン
その「澄んだ音色」を奏でるトニー・グッピーさんはトリニダード・トバゴ生まれ。音楽好きの家に生まれ、兄はスティールパン制作者という環境で育ち、スティールパン奏者に。
演奏の仕事で日本と米国を行き来した後、2008(平成20)年から綱島に在住、関東に拠点をおいて活動している。
インタビューの前に、スティールパン発祥の地であるトリニダード・トバゴについての説明を少し。
スティールパンはトリニダード・トバゴ生まれ
ここです
トリニダード・トバゴは、カリブ海に浮かぶ島国。トリニダード島とトバゴ島からなり、英語の正式名称は「Republic of Trinidad and Tobago」。T&Tと略されることもある。総面積は5128平方kmで、千葉県とほぼ同じ広さだ。公用語は英語。というのも、トリニタードトバゴは長く英国の支配下に置かれていたから。
英国から独立したのは1962(昭和37)年。カリブ海の航海上重要な地点にあったため、英国、フランス、オランダ、スペインなど多くの国に支配された歴史を持つ。
スティールパンという楽器が誕生したのは、20世紀に入ってから。
トリニダード・トバゴの切手。スティールパンが描かれている
なるほど、長く続いた植民地支配の中、音楽を求める人々の心が、この楽器が生まれたきっかけとなったのだなあ。
では、いよいよグッピーさんに話を伺うことにしてみよう。今回はご自宅に近い綱島のカフェで、インタビューを受けてくださることになった。
気さくなグッピーさん。横浜は住み心地がよく気に入っているという
―お住まいは横浜なんですね。
綱島に住んでいます。横浜はミュージシャンがたくさん住んでいて楽しい町ですね。綱島は川もあってのんびりして過ごしやすいです。作曲をするのにもいい環境だと思っています。
横浜には住む前に何度か来たことがあり、街の雰囲気が気に入りました。忙しすぎず、人込みも多すぎず、そのバランスが私にちょうどよいと思ったのです。そして、美しい街です。ここに住むと決めたのはそんな理由からです。
綱島は水と花と彫刻文化のある街
-グッピーさんは普段どんな音楽を演奏しているのですか?
これまで演奏してきたのは、ジャズにカリプソ、ポップスなど、いいと思った音楽はなんでも。スティールパンというとカリブ音楽を連想する人もいるかもしれませんが、私が演奏するのは「私が演奏したい音楽」。特にジャンルは設けていません。
色んなタイプの音楽を聴いて育ったので、楽器に関係なく自分が演奏する音楽も自然とその影響を受けています。
ほかにもアフリカやインドの音楽、それに日本の歌謡曲や童謡も演奏したりしますよ。スティールパンはどんな音楽も演奏できる、多様性に溢れた美しい楽器です。
私はこの楽器が持つ無限の可能性を示し、引き出すことを目指しています。できること、できないことのリミットは、いつだって自分が決めることですから。そして、みなさんにスティールパンについて、正しい情報を知ってもらいたいと思っています。それこそが、スティールパンへの理解を深めるための一歩になると信じています。
幅広いジャンルの音楽を演奏するグッピーさん(グッピ・ビデオ・チャンネルより)
-スティールパンというと、中南米の民族音楽という印象が強いのですが。
そんなことないんですよ! ピアノやギターはどんなジャンルの音楽でも演奏しますよね。それと同じなんです。スティールパンで何でも演奏できますよ。日本ではカリブのお祭り用の楽器でしかないと思われていて、ちょっと残念ですね。
トリニダードでは昔から、モーツァルトもチャイコフスキーなんかのクラシックも演奏されていますよ。近年ではイギリスやアメリカの学校でも子どもたちがスティールパンを習うんです。バークリーを始めとする音楽大学でもスティールパンの講座はありますし、いまやかなり一般的な楽器です。
スティールパンは今では欧米ではかなり一般的な楽器となっている(フリー画像より)
―スティールパンについて、詳しく教えてください。
イギリスの植民地時代、イギリス人は、人々がジャンベ(アフリカの太鼓)を演奏するのを禁止しました。理由は、たぶん、怖かったから。奴隷解放のお祭りでみんなジャンベを叩いていたのです。
でも私たちは音楽がやりたい。そこで、竹とスティックでリズムを取るようになりました。ところが、イギリス人はその竹も禁止にした。竹をケンカに使う人もいたので、暴力を恐れたのでしょう。
竹でリズムを取る「タンブー・バンブー」を演奏するトリニダード・トバゴの人たち
※YouTubeにリンクしています
竹とスティックを禁止された後は、あるものなんでも使ってリズムを取るようになりました。楽器は禁止されているので、瓶やスプーン、ポット、缶など、身の回りのもの何でも使って。そうやって音楽を奏でているときに、あるとき、缶の叩く場所によって音が違うことに気がついた人がいた。
そこで、もっときれいに音が出ないかと考えるようになり、1939(昭和14)年、ウインストン・スプリー・サイモンという人が現在のスティールパンをつくり出しました。創始者については、いろいろ言われていますが、一般的にはウインストン・スプリー・サイモンがつくったということになっています。
初期のスティールパン。4音出せる
1940年代のスティールパン
最初のスティールパンは4音しか出ませんでしたが、その後、いろいろな人が改良して、13音くらいまで出せるようになった。現在の一般的なスティールパンは2オクターブ半の音が出ます。