鎌倉の隠れた存在のご当地丼「鎌倉丼」とは?
ココがキニナル!
鎌倉のご当地丼「鎌倉丼」。海老フライか海老天の卵とじ丼らしい。食べられるお店、発祥の経緯、目立たない理由も調査して(白マントさんのキニナル)
はまれぽ調査結果!
名産品だった海老を使用してご当地丼「鎌倉丼」が誕生。昭和30年代ごろから漁獲量が激減、海老=鎌倉の印象は薄れ、定着を阻んでいる様子
ライター:高橋 寿あま
海老を使用した丼ものを指すのだという「鎌倉丼」。なぜ「海老=鎌倉」なのか。
さらに「鎌倉丼」を提供していると思しき店は、下調べの段階で5軒。そのうち営業中だと思われ、電話が繋がったのは2軒のみである。
鎌倉丼、その知名度は?
そもそも「鎌倉丼」が存在するのなら
鎌倉グルメの定番として早々に世間に浸透していそうなもの。
30代女性2人組。鎌倉へは観光で
鎌倉丼とは聞いたことがないそうだ。「どんな料理だと思いますか?」と聞くと、「しらす丼とか・・・ですかね」とのこと。
「レンタル着物小袖」併設、ジューサーバーの
鎌倉美人2人は
「聞いたことないですね・・・」
観光客ではなく、頻繁にこの地へ通う人でも知らないという回答。
結果、小町通りで話を聞いた6組15人全員が「鎌倉丼」を知らず、どんな丼ものかという質問に対しても「しらす丼」「海鮮丼」という予想にとどまった。
と、ここで有力な情報が。
人力車の車夫(しゃふ)、新井智士(さとし)さん
「鎌倉丼? ああ、知っていますよ」
―海老が乗っていると聞いたのですが。
「ええ。昔の鎌倉の海では海老が大量に獲れたそうです。それを“鎌倉海老”と呼んでいて、名物として海老を使用した丼ものが作られたのではないかと」
―どのような海老なのですか?
「鎌倉海老は、今でいう伊勢海老と同一のものと聞いています」
伊勢海老! 頭のなかの“想像図”がこんな感じに(画:寿あま)
―現在、鎌倉丼を提供するお店をご存じですか?
「“長兵衛”が1年ほど前に閉店してしまって、現在は1軒でしょうか。若宮大路沿いの“天金”は昔から有名ですね」
事前の電話取材時、「長兵衛」の電話番号は既に使われていなかった。電話が繋がった2軒のうちのひとつでもある、その「天金」という天ぷら屋へ向かった。
鎌倉丼を提供する2軒へ
1905(明治38)年創業「天金(てんきん)」
鶴岡八幡宮のほど近く。鎌倉駅からは徒歩約9分
店先には「名代元祖 鎌倉丼」の文字
この店が発祥、ということなのだろうか。
古さを感じない、明るい店内
まずは鎌倉丼を注文し、その実体を確かめる。
お茶請けが出てきた
ほどなくして到着。初対面の時
これが
鎌倉丼(1260円)
ぱっと見て確認できるのは、三葉、卵、タマネギ。
肝心の海老は大ぶりの2尾、しっかりと卵でとじられている
お品書きには「えび天二本の卵とじ」という説明が。投稿にもあった“海老天の卵とじ丼”は、鎌倉丼として確かにこの地に存在した。
卵でとじられているため、海老天のサクサク感こそないものの、昆布・鰹ベースの出汁を具材がよく吸い、箸が進む。
では、この鎌倉丼はいつから提供されるようになったのか。店にはこんな写真が残る。
「鎌倉丼 天金本店 創業 金次郎(初代)」
「明治―大正時代 関東大震災前 二の鳥居」と続く。
店の歴史を語ってくれたのは、3代目の女将、古田(ふるた)さん。
「三河屋、という屋号で始めて、最初から天ぷら屋だったそうよ。由比ヶ浜のあたりでよく海老が獲れて、それを鎌倉海老って呼んでたの。伊勢海老よりすこし小さいように記憶しているけど、モノは一緒」
1923(大正12)年、関東大震災で被害に遭い、この立地に
以前の店舗は二の鳥居あたり
「本当にたくさん海老が獲れたものだから、その名産品(=鎌倉海老)を使ったメニューを作ろう、ということだったと思うのね。でも、当時は鎌倉海老を一口大に切って、生の溶いた卵をかける、っていう調理方法」
現在の調理方法になったのは?
「昭和30年代ごろから、めっきり鎌倉海老が獲れなくなって。価値も上がって、提供が難しくなっちゃったの。そんな時期に偶然、私の娘のお弁当に、残りの海老天を卵でとじて入れたらそれが大好評で。お店でも鎌倉丼として出したらどうかって話になったの」
今の姿になったのは、昭和40年代以降とのことだ。