鎌倉の隠れた存在のご当地丼「鎌倉丼」とは?
ココがキニナル!
鎌倉のご当地丼「鎌倉丼」。海老フライか海老天の卵とじ丼らしい。食べられるお店、発祥の経緯、目立たない理由も調査して(白マントさんのキニナル)
はまれぽ調査結果!
名産品だった海老を使用してご当地丼「鎌倉丼」が誕生。昭和30年代ごろから漁獲量が激減、海老=鎌倉の印象は薄れ、定着を阻んでいる様子
ライター:高橋 寿あま
鎌倉丼を提供する2軒へ
(つづき)
もう一軒、鎌倉丼がメニューにある「以志橋(いしばし)」へ
こちらは老舗のそば屋
江ノ島電鉄長谷駅より徒歩約2分
事前に連絡が取れ、電話口で「以志橋が鎌倉丼の発祥だと聞いている」と聞き、訪れた。
ただ、その“鎌倉丼”が別のものを指す可能性も
まず、3代目の奥様、石橋由紀子さんに話を伺う。
「1914(大正3)年の創業以来、この長谷の地でやっています。初代は私の主人の祖父にあたる者で、現在は私の息子が4代目として修業中です」
写真は由紀子さん(左)と娘さん
鎌倉海老については、かつての名産品だったという認識に相違はなかった。
「昭和のはじめに、地元のものを使って新しいメニューを考案できないか、という話になりました。鎌倉海老をぶつ切りにして、タケノコとシイタケを卵でとじたのがはじめです」
こちらは、天金の初期の鎌倉丼のように「生の卵」をかけたのではなく、はじめから卵とじ。調理方法は異なるようだ。
現在、鎌倉丼として提供しているのは、こちら。
これが以志橋の「鎌倉丼(1050円)」
天金の鎌倉丼とはメインの海老に大きな違いが
天金ではブラックタイガーを天ぷらにして卵でとじていたが、以志橋は小海老を使用。湯通ししたタマネギとシイタケの上に海老を乗せ、卵をかけてひと煮立ちさせる。
こちらは創業間もないころのお品書き。鎌倉丼はまだない
昭和初期に考案され、輸入海老に変更されたのは昭和40年ころ。海老以外に大きなレシピ変更はない、というのが以志橋の「鎌倉丼」だった。
確かに存在した鎌倉海老。さらにその歴史に迫る
天金、以志橋2軒の証言にはいくつかの共通点がある。
(1)かつて鎌倉周辺の海で、現在の伊勢海老と同一の海老が獲れ、鎌倉海老と呼ばれていた
(2)昭和30~40年代に、鎌倉海老の漁獲高が激減して価値が高騰。提供が困難になった
(3)地元の名産品を使ったメニューを作りたいという声から鎌倉丼が生まれた
では、「鎌倉海老」といういわば伊勢海老の異名は、いつの時代から確認できるのだろうか。
後日、鎌倉市中央図書館へ足を伸ばした
鎌倉市中央図書館、近代史資料担当係長の中田孝信(たかのぶ)さん
中田さんにご尽力いただき、膨大な中央図書館所蔵の文献から「鎌倉海老」の記載があるものを選別。
そろった11冊のなかで、最古は『大和本草』。なんと、1709(宝永5-6)年に発行された書物だという。
同館には、江戸を生きた本草学者、貝原益軒(1630-1714年)の多数の著作をまとめた『益軒全集』があり、その6巻に、著書のひとつ『大和本草』が収録されている。
『大和本草』巻之14「海鰕(いせえび)」項にこうある。
「伊勢より多く来る故、伊勢えびと号す。江戸には鎌倉より来る故、鎌倉えびと号す」。
300年以上前から、鎌倉海老は存在した!
伊勢海老と鎌倉海老は同一種であり、揚げられた地域によって呼称が変わること、江戸では高級な海老といえば「鎌倉海老」であったことが記されている。
ほかにも、1910(明治43)年発行の辞典『故事類苑第48』や、個人の随筆にも記載が見られた。「鎌倉海老」という題の鎌倉の“昔話”も存在した。
さらに、図書館職員のみなさんのご厚意で、鎌倉の海老漁を知る漁師の方にも引き合わせていただいた。
加藤茂雄さん。御年90歳(!)
現役の俳優、漁師として今なおご活躍の加藤さん。『七人の侍』や一作目の『ゴジラ』にも出演された大ベテラン。2016年3月にはまた漁も始めるそうだ。
「エビ漁ってのは、大変なもんだよ。風が吹いて海が濁ると、プランクトンが活発に動いて海老も動き出す。海の底まで月の光が差すような静かな海じゃ海老は獲れないから、きつい漁だよね」
ちなみに鎌倉周辺の漁港は、腰越・坂ノ下・材木座に大別
加藤さんは代々、坂ノ下の漁師の家系だそうだ。
「鎌倉には、夏は別荘族が集うんだ。鎌倉海老は見た目も豪華でおいしかったから、珍重されてね。仲間の漁師が、カゴいっぱいに鎌倉海老を詰め込んで、歌舞伎役者の別荘まで届けに行った、なんて話もあったよ」
海老が姿を消した時期については
「戦後だね。昭和30年代ごろから。もう海老の住める環境じゃないんだ。山を切り崩して道路ができて、山から海に流れる水が十分にろ過されない。夜でも道が明るい。かなり沖のほうへ行けば、いまも多少の海老はいるんだよ。ただ庶民が買えるような値段じゃなくなっちゃったね」
鎌倉海老は「姿なき名産品」になってしまった。
いまはご当地丼としての「鎌倉丼」が、その名残を伝えようとしているのだ。
取材を終えて
鎌倉海老が名産品だった、豊かな海の時代。「名残」と言ってしまっては淋しいが、いまもその歴史に数少ない店で触れることができる。
店主の代も変わり、その発祥の諸説というところまで行き着いたが、鎌倉海老への愛着や誇りが、同時多発的に「鎌倉丼」というグルメを生んだのかもしれない。
―終わり―
店舗情報
天金
住所/鎌倉市雪ノ下1-8-33
電話番号/0467-22-1717
営業時間/平日11:00~15:00 、土日祝11:00~16:00(夜は予約のみ)
定休日/水曜日
以志橋
住所/鎌倉市長谷3-10-25
電話番号/0467-22-0432
営業時間/11:00~18:00(売り切れ次第閉店)
定休日/木曜(祝日の場合は前日か翌日)
コロンブスさん
2016年12月23日 14時08分
かつて「大海老(おおえび)」という名前のレストランが由比ガ浜のドイツレストランの隣にあり、入ると生簀があって、雰囲気満点でしたが、現在はマンションになってしまった様ですね。昔から鎌倉=海老というイメージがあったんでしょうね。
のんべえさん
2016年03月07日 22時55分
鎌倉海老!そのまんま、ブランド海老てして高額取引されそうなタイトルですね。
∵さん
2016年03月02日 19時13分
九割がたウィ○ペ○ィア辺りの引き写しじゃねえの?…などと侮りつつ読み始めたら、さにあらず。図書館で郷土史を紐解き、地場の漁師さんにまで突撃インタビューを敢行する。足でしっかり稼いだ、良記事だと思います。そうですよ、こういう記事が読みたいんですよはまれぽさん!