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川崎と横浜の市境近く、住宅街に「原子炉」があるって本当?

ココがキニナル!

川崎市と横浜市の接するあたりに王禅寺という寺がある。まわりは開発された住宅街が迫っており、すぐ横に研究用原子炉があるらしい。また川崎市の埋立地に稼働している研究用原子炉があるとか。(まさぼーさん)

はまれぽ調査結果!

東京都市大学原子力研究所では廃炉措置中。東芝の原子力技術研究所にある臨界実験装置は停止中である。

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ライター:小方 サダオ

川崎にある東京都市大学原子力研究所



川崎市には2ヶ所原子力関連施設があるという投稿。東日本大震災による原発事故などで原子力関連施設の動向に注目が集まっている昨今だが、これらの施設の現状はどのようになっているのだろうか?

まずは現場に行ってみた。

 

東京都市大学原子力研究所がある場所(青矢印)(Googlemapより)
 

東京都市大学原子力研究所
 

施設の周囲は住宅地だ
 

川崎市麻生区の王禅寺のあたりは住宅地が広がっているが、木々に覆われた山もある。そんな山の中腹に建つのが、東京都市大学原子力研究所だ。

同学ホームページによると「1959(昭和34)年10月原子炉設置の許可を受け、1961(昭和36)年に建造し、その後は代表的な利用として、脳腫瘍患者の中性子捕捉療法治療(腫瘍細胞のみを破壊する治療法)を実施していたが、1989(平成元)年12月原子炉炉心タンクからの漏水により原子炉運転を停止した」

「その後、2003(平成15)年に廃止を決定。2006(平成18)年使用済燃料を事業所外に搬出し、現在は原子炉施設としては廃止措置中。また、併設する放射性同位元素(放射性をもつ元素)の取扱施設は現在も活発に教育・研究活動を行っている」とある。

つまり、この研究所は、現在原子炉の運転を停止し廃止措置中とのことだ。

 

東京都市大学原子力研究所の入り口
 



研究所の関係者に話を伺う



東京都市大学原子力研究所に取材を申し込むと、三橋所長と住吉美紀(すみよし・みき)係長が対応してくれた。

 

三橋偉司(みはし・いし)所長
 

まずはこの地を選んだ理由について伺うと「人里から離れていて、地震に強い地盤の場所ということでここを選ばれたそうです」と答えてくれた。

 

原子力研究所は山の中腹に建っている
 

原子炉の規模に関して伺うと「こちらの原子炉の熱出力は100kWでした。原子力発電所では約330万kWですから、発電所の約3万分の1の規模です」とのこと。

1989(平成元)年に発生した原子炉炉心タンクからの漏水の事故については「大気圧の炉心タンクに1mmほどの穴が開き、水が漏れました。その後、15年ほど再開か廃止かを検討しましたが、廃止する決断をしました。理由は種々あると思いますが、反対運動のほか、私立大学が原子炉を持ち、維持して行くことは困難との判断もあったと聞いています」

「事故の原因は『施工時にモルタルの塗り』や『燃料プールからのタンクの腐食』などが考えられました」と答えてくれた。

 

原子炉室の外観
 

次に核燃料の運搬に関して伺うと「周辺住民に運搬の告知はいたしましたが、法令に基づき、ルートと日時は秘匿して運搬しました」と答えてくれた。

現在の状態については「使用しない米国原産の核燃料物質は返却するという米国の施策があり、全ての燃料は、製造元のアメリカに返却しました」

「廃止措置に関してはまだ完了していません。現在は原子炉などの設備を解体・撤去を考えています。茨城・東海村の日本原子力研究開発機構に解体・撤去した設備を受け取っていただくことになっていますが、埋設処分場が決まっていないとのことで、一部解体撤去したものを除いて、原子炉躯体(遮へい体)など多くの設備を据付(すえつけ)状態のまま保管しています」



施設内を見学



続いて住吉係長に案内してもらい、施設内を見学させていただくことにした。

 

研究所の案内図
 

放射線マークが貼られている扉があり、その向こうが放射線管理区域となっている。原子炉室と放射性同位元素使用施設がある。
靴を履きかえて放射線を測定するポケット線量計を身に着ける。

 

扉の手前に置かれたポケット線量計
 

弧を描く通路の両側にはいくつもの実験室が並び、通路の奥の扉を開けると、ライトの光を受けた八角形の大きな白い原子炉の姿があった。

 

1961(昭和36)年に建造された原子炉
 

通路の先にある制御室
 

原子炉の最上段まで上ると通路の先には制御室があり、現在は学生の教育用の原子炉シミュレータとして利用されているとのことであった。制御盤の脇には模型の燃料棒からなる炉心模型が置かれていた。

 

制御盤と模型の燃料棒からなる炉心模型
 

淡い青色が印象的だ
 

通路の制御室側から原子炉側を見たもの
 

原子炉の周囲に置かれた数十個のドラム缶
 

汚水処理場の解体物が納められている
 

原子炉の周りに置かれたたくさんのドラム缶について話を伺うと「以前屋外には、原子炉で使用した排水の処理を行う廃棄物処理場がありました。その設備や建物を解体した解体物が中に納められています。放射能を含んでいるものもあり、埋設処分場が決まるまで室内に保管しています」と答えてくれた。

 

実験室
 

放射性同位元素の研究が行われている
 

放射線量を計る機械
 

次に実験室について伺うと「池の水などの放射線量を計っています。東日本大震災直後は福島の原子力発電所の事故後、環境中の放射能量を測定するニーズが高まり、原子炉を運転していた時に培われた本施設の代表的な利用法である放射化分析(試料を原子炉の中性子で照射し、試料中の元素の分析、定量を行う方法)の技術を生かして、環境試料の測定が頻繁に行われています」と答えてくれた。

管理区域を出る時は、手をよく洗い、放射能が付着していないことを確認するなど厳重に検査を行い退室した。

 

手洗いを行う
 

放射線の測定器
 

手と足から放射線量を計り、放射能が付着してないことを確認
 

施設内を案内してくれた住吉係長に感謝をし、お別れをした。