元DeNAベイスターズ選手のセカンドキャリアとは?-眞下貴之さん-
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2014年に退団した元横浜DeNAベイスターズ選手、眞下貴之さんのセカンドキャリアとは?(はまれぽ編集部のキニナル)
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現在は、株式会社新昭和の総務部で働きながら、新日鐵住金かずさマジックの投手として、プロ野球とは違う野球の醍醐味を味わっている。
ライター:山口 愛愛
「遅かれ早かれ野球から離れるときは必ずくる。野球をできる喜びを感じるなら、絶対にやりつづけるべき」。ベイスターズ時代のときと変わらず、強気な真っ直ぐなまなざしで語る眞下貴之(まっか・たかゆき)さん。
眞下貴之さん(25歳)
2009(平成21)年のドラフトで筒香嘉智(つつごう・よしとも)選手や国吉佑樹(くによし・ゆうき)投手、安斉雄虎(あんざい・たけとら)さんとともに、高卒ルーキーとして4巡目指名され、横浜ベイスターズに入団。
2010(平成22)年のデビュー戦で読売ジャイアンツを7回2失点に抑える好投を見せ、先発ローテーション入りの期待を寄せられていた若き左腕だった。現在、25才となった眞下さんは、地元の千葉県君津市を含むかずさ地区4市(君津、木更津、富津、袖ケ浦)を代表して活動している社会人野球チーム、新日鐵住金(しんにってつすみきん)かずさマジックで野球を続けている。ベイスターズ時代の思い出とともに、現在の野球に対する思いを語ってもらった。
新日鐵住金かずさマジック投手
強気のピッチングで初先発、初勝利
「子どもは親を越さないといけない。オマエが俺を越すならプロにいくしかない」。物心がついたときから、父親の言葉が胸に刻まれていた眞下さん。眞下さんの父親は、社会人野球チームの北海道室蘭市にある「新日鐵室蘭」の元選手だった。
父親の影響で小学5年生から本格的に野球を始め、長身の左投げを生かし、中学2年生のときに投手となった。眞下さんの才能が開花したのは千葉県市原市の東海大望洋(ぼうよう)高校の2年生のころ。3年生の春季千葉県大会では、6試中4試合を完投、3試合は完封勝利。1試合で20奪三振を奪ったこともあった。
高校時代、投手として好成績を残す
「2年の県大会決勝で強豪の木更津総合高校に負けて、先輩の最後の試合になってしまった。その後、木更津総合を倒すことだけを考え、絶対に負けたくなかった。3年の春の試合で木更津総合相手に2安打完封でき、自分の思いと冬季のトレーニングがやっと実になったと感じました」と振り返り、このころから試合で簡単に勝てるように感じ始め、プロでもやっていけるのではないかと意識し始めたという。
子どものころの憧れは松井稼頭央(まつい・かずお:現・楽天イーグルス所属)選手
高校3年の大会はベスト8で敗退するが、三振を奪える即戦力投手として注目を浴び、横浜ベイスターズからドラフト指名された。「プロになれたのでオヤジとの約束を果たして勝ったと思った。オヤジには『ここからが大事だぞ』と声をかけられました」。
ルーキーイヤーに1軍に昇格し、翌年の2010(平成22)年5月10日読売ジャイアンツ戦で初先発、初勝利を上げた。「緊張はしなかった。テレビで見ていた打者と対戦できるのでヨッシャーと燃えました」と眞下さん。