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横浜人にインタビュー
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横浜のココがキニナル!

昔から疑問。なぜに港南台駅に髙島屋が? 髙島屋の売上は横浜店が日本一のようですが、港南台店の売り上げも含まれる? 港南台店の売上の割合は? ニトリもキニナル(hamachanさん、浜っ子五代目さん)

はまれぽ調査結果

ニュータウンとして発展した港南台に出店。全国の髙島屋で横浜店は単店売上日本一。港南台店は横浜店の販売部のひとつで売上割合は横浜店全店の約7%

ライター:紀あさ (2017年02月03日)

港南台駅は、JR根岸線の駅だ。横浜駅から根岸駅経由で大船駅までの区間を根岸線と呼ぶが、初めにこの区間の鉄道の歴史を遡りたい。

話すと長くなるので、図にまとめるとこんな感じである。
 


根岸線の歴史(Google mapに筆者書き込み

 
そんなわけで今回は日本の鉄道発祥区間の一部も含まれる、由緒正しき根岸線港南台駅の前に建つ、髙島屋のお話です。



港南台駅前の髙島屋

JR港南台駅の改札を出て左へ曲がれば、バスロータリーの向こうに髙島屋が見える。
 


駅前にてパノラマ撮影


港南台髙島屋の正面に回り、午前10時の開店を待つ

 
出迎えてくださったのは、横浜髙島屋の広報・IR室の村山亜希(むらやま・あき)さん。村山さんは横浜髙島屋(以下横浜店)と港南台髙島屋(以下港南台店)の広報を担当している。
 


よろしくお願いいたします

 
まず横浜店の歴史を聞いてみよう。

村山さんによると、現在の横浜店のある横浜駅西口一帯は、戦後約10年間「横浜駅の裏口」といわれ放置されていたそうだ。この空き地を相模鉄道(以下相鉄)が入手。

その後、百貨店を中心としたビルが計画され、髙島屋が出店を受け入れて1959(昭和34)年10月1日に開店。現在も横浜店は相鉄グループ所有のビルのキーテナントとして入っている形だ。
 


開店時の横浜店(髙島屋ホームページより)

 
次に、今回の主役となる港南台。1973(昭和48)年の根岸線全線開通後、港南台駅を含む根岸沿線には大きな団地が建ち、いわゆるニュータウンとして発展し始めた。
 


開業当初の港南台駅(横浜市ホームページより)

 
住民が増えていく新しい街での買物の場として、1976(昭和51)年に同じく相鉄グループが管理するショッピングセンター「港南台バーズ」が港南台駅前にオープン。

1983(昭和58)年10月1日、同ビルの第2期部分の完成時に、髙島屋の港南台店が出店となった。
 


買い物客でにぎわう「港南台バーズ」

 
「地域一番店」としての横浜店に対し、ニュータウン港南台では「地域密着性」「デイリー性」「カジュアル性」などを重視し「地域から親しまれる百貨店」を目指している。

また、港南台は横浜店と商圏が重なるため、当初は横浜店の支店として開店。現在は横浜店の中のひとつの販売部(港南台販売部)という位置づけだ。



相鉄沿線でない港南台駅にどうして相鉄のビル?

ターミナル駅でない港南台駅への出店の経緯には相鉄グループとの関係が大きそうだ。そうなるとナゾなのは、相鉄沿線でない港南台駅の駅前になぜ相鉄グループがビルを持っているのだろうか。
現在港南台バーズを管理している株式会社相鉄ビルマネジメントによると、話は1964(昭和39)年の新田間川(あらたまがわ)を埋め立てて横浜西口を再開発する計画から始まる。

 


横浜西口を流れる新田間川

 

相鉄など7社が発起人となり、新田間川を埋め立てて横浜駅西口の再開発を目的とした「港都開発株式会社(のちに『日本市街地開発株式会社』に商号を変更)」を設立したが、河川埋め立て免許の取得に至らず、断念。
同社はその後、1972(昭和47)年に当時、日本住宅公団(現在のUR都市公団)が施行中だった港南台土地区画整理事業で「地区センター商業施設を民間に建設・運営させる」という計画に転進。商業ビルの建設・運営に多くの経験と実績を持ち横浜に本拠を置く会社であるなどの理由から発起人だった7社の中でも相鉄が中心的役割を担うことになった。

 


埋め立て事業からの転換が港南台進出の契機となった

 

1974(昭和49)年に百貨店、スーパー、専門店、銀行、駐車場からなる「港南台センター」の建設計画を決定。1976(昭和51)年1月にセンター建設に伴う資金調達のため増資を行った際、株式会社横浜髙島屋が株主に加わった。
同年4月には第1期工事が開始。百貨店を誘致した1983(昭和58)年の第2期開業に際し、株主だった横浜髙島屋が出店。「日本市街地開発株式会社」は相模鉄道(現相鉄ホールディングス)に吸収合併され、その後相鉄ビルマネジメントが設立され、現在に至っている

 
 
横浜店の売上が首位?・・・キニナル続きは次のページ≫
 

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