神奈川区の遊び場、通称「こうもり山」の山頂には何があった?
ココがキニナル!
神奈川区二本榎に30年ほど前、近隣の子どもが遊ぶ「こうもり山」と呼ばれた山(草むら・防空壕・畑)がありました。いつぐらいからあったか、その名称になった経緯がキニナル(kentaroujpさん)
はまれぽ調査結果!
中世の城があった場所で、「こうもり山」と呼ばれたのは山に掘られた防空壕にコウモリが住んでいた可能性からくる。山は今から60年前くらいまではあったようだ
ライター:小方 サダオ
「軍艦山」とも呼ばれていた「こうもり山」
神奈川区といえば横浜駅にも近い交通の便の良いエリアで、住宅地が密集しているイメージがある。そんなところに「こうもり山」などという、地方の風情を感じさせる愛称の山があったとは意外だ。
「こうもり山」があった場所(青矢印、Googlemapより)
まずは現地に向かった。
投稿の二本榎(にほんえのき)は、横浜駅近くにあるベイエリアを望める山の上にあった。周囲は一帯が住宅地になっている。
横浜駅近くの高層マンションが際立つ
周辺住民にとっての「こうもり山」の思い出とは
投稿の場所の近くに住む男性に、窓から網戸越しに「こうもり山」について伺うと「『こうもり山』は知りませんが、近い場所に切り立った崖のある『軍艦山』というものはありました。山の一部が船の先のように尖っていたので、そう呼んでいたのです。私有地でしたが、子どもたちは勝手に入って頂上でダンボールを使って滑って遊んだりしていました」とのこと。
現在は住宅地になってしまった「軍艦山」
「軍艦山」の面影を残すあたり。軍艦の先のように鋭角だった
投稿の「こうもり山」を前提にいろんな人に話を伺うも、「防空壕があって遊び場であった」ことなどから、「軍艦山」の名前をあげる人が多かった。どうやら「軍艦山」の方が広く知られていた名前のようである。
次に栗田谷中学校の近くに住む男性に伺うと「山の一部を栗田谷中学校のグラウンドを作るために壊したことがあります。40メートルほどの高さの崖でした。70年前はありましたが、30年前にここに移り住んだときにはなくなっていました」という。
崖を大きく削る前、山は高くその範囲は広かったという
山の範囲(青枠)。船の先に見えた場所(緑矢印)。グラウンドのために削られた崖(紫矢印、Googlemapより)
神奈川区の歴史に詳しい別の男性が、当時の山の様子をイラストに描いてくれた。
男性が描いてくれた、山の崖の部分
栗田谷中学校のグラウンドを作った時に削られた
グラウンドの壁にある崖の面影が残る場所
栗田谷中学校は、1947(昭和22)年の5月に、栗田谷小学校があった場所に建てられた。
1930(昭和5)年の地図。山の位置(青枠)。栗田谷小学校(緑矢印)
1947(昭和22)年の航空写真。山の位置(青枠)
約60年前のグラウンド整備によって、崖の一部が削られたのだ。
1949(昭和24)年の航空写真。グラウンドになる前の崖(青矢印)
1955(昭和30)年の地図。山の位置(青枠)
さらにこの男性は、山にあった防空壕の位置も教えてくれた。
旭ヶ丘会館裏あたりに防空壕があった
栗田谷中学校の崖にある防空壕の跡
また栗田谷中学校の近くに住む女性に伺うと「あの山には『青大将の穴』と呼ばれている場所がありました」と教えてくれた。
さらに栗田谷中学校の一期生という男性に伺うと「私の子どものころは『軍艦山』でしたが、そのあと『こうもり山』と呼んでいる人もいたようです。その山に住んでいたかは分かりませんが、このあたりには最近までコウモリはいましたね」と答えてくれた。
前出の「青大将の穴」のように、山の防空壕の穴などにヘビやコウモリなどが棲みついていたため、人によっていろんな呼び名で呼ばれていたのではないだろうか?
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