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保土ケ谷駅前にあった少年鑑別所はどんな所だった?

ココがキニナル!

昔、保土ケ谷駅東口の公団は少年院だったと聞きました。護送車の無い時代、ロープに繋がれた少年らが電車で駅から集団移動させられていたとの事です。当時の様子など凄いキニナル!(choberyさん)

はまれぽ調査結果!

国立横浜少年鑑別所が保土ケ谷駅前に出来たのは1950(昭和25)年で、1972(昭和47)年に港南区に移転。地域に根付いた施設であった

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ライター:小方 サダオ

歴史ある保土ケ谷駅前にあった鑑別所
 
投稿にあるJR保土ケ谷駅前の少年院とは、「国立横浜少年鑑別所」のことを指す。

 
鑑別所とは、家庭裁判所による少年審判の前に、対象少年の非行性や性格などを「鑑別」するための施設。鑑別の結果、社会での更生が困難と判断された場合には少年院に送られる。

 
横浜鑑別所のパンフレットによると、横浜少年鑑別所は「1948(昭和23)年7月に少年法が施行されるとともに1949(昭和24)年4月に業務を開始し、1950(昭和25)年8月に保土ケ谷区に庁舎竣工。1972(昭和47)年4月に港南区に移転した」とある。

 


横浜少年鑑別所は保土ケ谷駅前(緑矢印)から港南区に移転 (青矢印) した(Googlemapより)

 
投稿の保土ケ谷にあった鑑別所は、少年法が施行された翌年4月、神奈川県で最初の庁舎であった。ちなみに2015(平成27)年6月から、少年院と鑑別所のそれぞれの機能を十分に発揮できるように新少年院法および少年鑑別所法が施行されている。
 


港南区にある現在の横浜少年鑑別所
 

ちなみに横浜少年鑑別所は横浜刑務所に隣接している

 
 
 

保土ケ谷にあった鑑別所はどんな様子だったのか


 
移転前、保土ケ谷駅前にあった横浜少年鑑別所は、どのような様子だったのだろうか。
JR保土ケ谷駅といえば、横浜の交通網の中心地といえる横浜駅の隣駅で、古くは旧東海道の宿場町として栄えていた場所。
交通の要所として人の往来も激しいイメージがある保土ケ谷の駅前に、少年の更生施設があったとは意外だ。
 


鑑別所は保土ケ谷区岩井町123のあたりにあった(青矢印、Googlemapより)

 
この場所にあった理由や当時の様子がキニナリ、現地に向かった。
 


JR保土ケ谷駅東口
 

駅前を通る現在の東海道

 
駅前には昔ながらの商店街があり、ある商店の店主の女性に伺うと「鑑別所は、私たちが1962(昭和37)年に来たときには、今公団住宅が建っているあたりにありました。たまに入所者の脱走があったようで、怖いからあまり近寄りませんでした。面会の父兄がうちの店で差し入れのための買い物をしてくれました」という。
 


保土ケ谷駅は2017(平成29)年で開設130周年を迎えた(『保土ケ谷区制90周年記念誌 九〇年・つながり』より)
 

1982(昭和57)年に建てられた保土ケ谷駅前ハイツ

 
次に医療関係のお店の方に伺うと「消毒薬のような薬を施設に届けたことがありますが、入口にいた教官が対応したので、中には入ったことはありません。にぎやかな場所で人目に触れるし、脱走する人がいたりして危険なので、この駅の近くからほかの場所に移ったようです」とのこと。
 


保土ヶ谷駅東口駅前。市電が延伸したのは1930(昭和5)年であった
 

鑑別所の周囲には森永乳業や捕鯨関連の工場があった

 
続いて、古くから店を構える飲食店の店主に伺うと「塀は3メートルくらいと高く、鑑別所は野球場くらいの広さの敷地でした。2階は入所者、1階は教官の階でした。よく出前に行きましたが、2階には上がったことはありません。裏手に材木屋がありました。出所者が親と同伴でこの店に食べに来たこともあります。出所者は悪びれた感じはなく、普通にふるまっていましたよ」
 
「山際にあったので、山の上から『おーい!』などと入所する友達を呼んで話をしている若者がいました」という。
 
投稿の「電車移動」の話について伺うと「鑑別所から家庭裁判所まで護送するために5・6人で手錠をされて入所者が車に乗せられる様子は見たことがありますが、電車移動は知らないです」とのことだった。
 


電車での入所者の移動はあったのだろうか?

 
 
引き続き保土ケ谷にて聞き込み調査!・・・キニナル続きは次のページ≫