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日本初の跨線橋は? 横浜・神奈川区の青木橋と東京・品川区の八ツ山橋はどっちが古い

日本初の跨線橋は? 横浜・神奈川区の青木橋と東京・品川区の八ツ山橋はどっちが古い

ココがキニナル!

青木橋は1870年にかけられたとされていますが、なぜか日本初の跨線橋は1872年にかけられた八ツ山橋と言われます。これはどうしてでしょうか。青木橋の歴史を調べて真相を確かめてください(ねこぼくさん)

はまれぽ調査結果!

青木橋の完成は、記録によれば確かに八ツ山橋より早い。にもかかわらず八ツ山橋も日本初の跨線橋と呼ばれるようになったのは、鉄道開通期に合わせたからという可能性がある。

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ライター:結城靖博

神奈川区ホームページ内の「神奈川区の歴史・主要事業」によれば、1870(明治3)年に「神奈川陸橋(初代青木橋)」が完成したとある。
いっぽう、東京・品川区の八ツ山橋(やつやまばし)は、品川区ホームページ内の「明治維新後の品川 第14回」に「明治4年(1871)5月15日に着工し、翌年1月14日に完成」と書かれている。
つまり2つを比較すると、青木橋の完成のほうが早いことになる。にもかかわらず、品川区の同ホームページには「神奈川の青木橋とともに、道路が線路をまたぐ、日本で初めての立体交差の陸橋となった」とも記載されている。

八ツ山橋のほうが先とは書いていないが、「青木橋とともに」となっている。
こりゃ一体どういうこっちゃ?
ともあれ、まずは謎めく出生を持つ二つの橋の現在の姿を見届けることから調査を開始するとしよう。

ちなみに、跨線橋(こせんきょう)とは、鉄道線路の上をまたぐ陸橋のことだ。
 
 
 

初めに現在の青木橋を視察


 

青木橋の場所

 

京浜急行線神奈川駅を出るとすぐ横に青木橋がある(画面左側)
 

橋の向こうに本覺寺の建物が。うーん、これはどこかで見た景色・・・
 

そう、先ごろ筆者が取材した本覺寺道路擁壁の記事にも登場した、同寺の目の前にあるのが青木橋だ。

 

高台の本覺寺山門付近から橋全体を見下ろす

 
橋上は国道1号線。橋の手前に斜めに走る道路は、左側が第二京浜(国道1号線)の起点、右側が保土ケ谷方面へ向かう環状1号線の起点。橋の向こうの歩道橋の左側が第一京浜(国道15号線)の起点・・・と、主要幹線道路が入り組んだ地帯だ。

 

角度を変えて環状1号線側から橋を望む

 
ここから見ると、橋が跨線橋であることがよくわかるだろう。橋の下には、東海道線、横須賀線、京浜東北線、そして京浜急行線といくつもの線路が走る。橋の上を車、橋の下を電車、上も下も忙しないことこのうえない。

以上が青木橋の現在の様子だ。もっともこの橋は、今から約150年前につくられた問題の橋そのものではない。この橋は1971(昭和46)年にできた2代目である。
 
 
 

続いて八ツ山橋を視察


 

八ツ山橋の場所

 
品川駅と京浜急行線北品川駅からほど近い八ツ山橋も、周辺の道路は入り組んでいる。第一京浜(国道15号線)と環状6号線が橋の前を通るが、橋上は八ツ山通りだ。
 


橋のたもとの案内板

 
第一京浜が線路をまたぐ箇所は、上の地図上で八ツ山橋の右下にある新八ツ山橋だ。こちらは1963(昭和38)年に新たに架橋されたもの。
 


これが八ツ山橋(環状6号線品川駅寄りから望む)
 

そして向こうに見えるのが新八ツ山橋(八ツ山橋橋上から望む)

 
写真からは、青木橋に劣らない線路の多さが見てとれる。
東海道本線、上野東京ライン、横須賀線、京浜東北線、そして山手線も通る。さらにこの地下には、東海道新幹線も通っている。

しかも、八ツ山橋と交錯するように地上を京浜急行線が走り、八ツ山橋と並行する京急の鉄橋がJRの線路をまたぐ。この光景は、たぶん「撮り鉄」の方々にとって、たまらないポイントなのだろう。この日も筆者のほかに京急の線路にカメラを向けている人がいた。
 


右手が八ツ山橋、左手が京急の鉄橋、その下を京浜東北線が通過中
 

橋のたもとをまるで路面電車のように目の前を京急が横切る

 
上の写真は第一京浜側から八ツ山橋を渡って京急の線路を越え、第一京浜のほうを向いて撮ったものだ。

こちら側の橋のたもとには、もう一つ魅力的なものが存在する。
 


橋のたもとの左側に保存されている2種類の親柱(おやばしら)

 
石柱は2代目(1914年架設)、鉄柱は3代目(1930年架設)の親柱だ。裏に回ると、石柱に薄っすらと2代目の竣工時を示す文字が刻まれていた。
 


「大正三年六月成」とある

 
2代目、3代目と書いた通り、もちろん現在の八ツ山橋も、跨線橋誕生当時のものではない。青木橋以上に道路の延伸・拡張で何度も架け替えられ、現在の橋は1985(昭和60)年にできた4代目にあたる。初代の橋は木造だった。

ちなみに、この八ツ山橋、1954(昭和29)年公開の映画『ゴジラ』の中で、ゴジラが上陸して最初に破壊された橋としても知られている。