世界初の試み! 横須賀美術館「スカジャン展」の魅力に迫る
ココがキニナル!
開館15周年記念を飾る企画として横須賀美術館で開催されている「スカジャン展」の全貌がキニナル!(はまれぽ編集部のキニナル)
はまれぽ調査結果!
特別な許可を得て展示会場を詳細に撮影させていただく。その結果、スカジャンは日本、そして横須賀の歴史と文化の象徴そのものだとあらためて実感。さらにその文化は、今またドブ板通りで新たに継承・展開されていた
ライター:結城靖博
現在、横須賀美術館では開館15周年を記念して「スカジャン展」が開催されている(会期:2022年11月19日~12月25日)。
筆者は数年前、横須賀のスカジャン事情を取材したことがある。その記事の中で、スカジャンが横須賀の戦後の歴史と文化にいかに深く関わっていたかを紹介しているので、その点についてはぜひそちらを参照いただきたい。
とはいえ、いかにスカジャンが横須賀文化の象徴だとしても、あくまでもそもそもそれは実用品として販売されてきた「洋服」である。
それを周年記念の企画展のテーマに掲げるとは、横須賀美術館もずいぶん大胆な発想をするものだと、まずは感心してしまった。と同時に、大いにキニナル。
「スカジャン展」会期中の横須賀美術館
目の前は観音崎近くの東京湾。いいところです
そこでさっそく、開催間もない企画展の取材を同館に申し入れた。
すると、快く取材に応じてくれただけではなく、特別な計らいで展示会場内の一部を撮影させていただくことも許された。が、もちろん作品にフラッシュを当てることはご法度なので、今から紹介する数々の展示会場写真は若干アンダー気味になっている。その点はご容赦願いたい。
「スカジャン展」会場入り口
展示会場その1――「SOUVENIR OF JAPAN」
取材当日、会場全体を案内してくださったのは、同企画展担当学芸員の栗林陵(くりばやし・りょう)さん。お会いした時に率直に「変わった企画展ですよね」と振ると、「そうなんです。実は(公立美術館としては)世界初の試みなんですよ」という答えが返ってきた。その言葉に、秘めたる自負を筆者は感じた。
さて、最初に導かれた展示室は「第1章 SOUVENIR OF JAPAN」と名付けられた空間だ。
ここでは戦後、米海軍基地(ベース)が置かれた横須賀で、京急・汐入(しおいり)駅からベースまで続く「ドブ板通り」周辺に「スーベニヤ」と呼ばれる米兵相手の土産物店が軒を連ね、それがやがて横須賀の名を冠し「スカジャン」と呼ばれるようになる歴史を、多くの写真や当時売られていた土産物の展示で紹介している。
1950年代、ドブ板通りを闊歩する米兵の姿や当時のドブ板通りの「スーベニヤ」店舗地図
ドブ板通りと米兵との関係を知るうえで欠かせない米兵娯楽施設「E.M.クラブ」の紹介コーナー
1950年代半ばのドブ板通りの「スーベニヤ」の様子を伝える写真も多数展示
1953年に国道16号線をはさんでオープンした大規模スーベニヤ「オリエンタルアーケード」関連写真も
「一流商品を低価格で」と、ドブ板通りのスーベニヤとは一線を画していたという。
ドブ板通りの「ダイヤモンド商会」でパッチを選ぶ米兵たち
1950年代、ドブ板通りには米兵の階級章や部隊・所属を示すパッチを縫い付ける刺繍店があった。上の写真はその代表的な店「ダイヤモンド商会」の店頭風景。パッチに施されたのが横振り刺繍で、その技術を持つのが群馬県・桐生の職人たちだった。彼らがドブ板通りの店に雇い入れられ、その技術がスカジャンへ受け継がれていく。
初期の米兵向け土産物(※右襟下の白点はガラス面に写り込んだ反射光)
(Cricature Scarf “Yokosuka Japan 1946” 1946年 横地広海知氏蔵)
上は終戦翌年の1946(昭和21)年に横須賀で作られた似顔絵スカーフだ。当時全国各地の米軍基地で似顔絵のニーズがあったと考えられる。
1940年代後半、米兵が滞在記念に自分のスーツケースやバッグに日本の絵柄を描いてもらうことが流行していた
展示室中央にはクッションカバーやフォトアルバム、シガーケース、ライターなどが並ぶ
クッションカバーは、ポピュラーな土産物だったという。きっと、軽くてコンパクトに持ち帰れたからだろう(展示されているクッションカバーの一部はテーラー東洋(東洋エンタープライズ株式会社)蔵)。
どのスーベニヤも、富士山や日本地図などひとめで滞在地がわかるデザインが多い。そして、スカジャンにつながる横振り刺繍も目立つ。
米兵のオーダーでカスタマイズされたセーラージャケット
(Custom Sailor Uniform “Dragon Embroidered with Liberty Cuffs” 1940年代前期~中期 横地広海知氏蔵)
よく見ると、袖口に龍の刺繍パッチが施されている。米兵のカスタムカルチャーを感じる一着だ。
こちらは同展示室の壁面に燦然と輝くMIKASA所蔵のデッドストック・スカジャン
MIKASAは前回の記事でも紹介した通り、ドブ板通りの中で、スーベニヤから始まる老舗のスカジャン店。ここに展示された1950年代後半から60年代中期のMIKASA所蔵のスカジャンは、戦後横須賀の米軍基地との歩みを象徴する逸品たちだ。
その中の1点を接写(Mt. Fuji and Golden Tiger “Dead Stock” 1950年代後期~60年代中期 MIKASA蔵)
このスカジャンは、横振り刺繍職人が多く存在しスカジャン生産の実質的な拠点だった群馬県・桐生の行商人が、横須賀・ドブ板通りのMIKASAまで売りに来たものだという。
ここまで紹介してきた展示品は、第1章会場のほんの一部に過ぎない。だが、このあと企画展のメインである第2章の会場が控えている。本稿での紹介はここまでにしておこう。
展示会場その2――「ヴィンテージ・スカジャンの世界」
いよいよ展覧会の中核をなす「第2章 ヴィンテージ・スカジャンの世界」の展示室へ。
ここでは、本展の監修を担当した、テーラー東洋(東洋エンタープライズ)の企画統括であり、スカジャン研究の第一人者でもある松山達朗(まつやま・たつろう)さんに案内をしていただいた。
テーラー東洋(東洋エンタープライズ)の前身は「港商(こうしょう)」。港商は戦後いち早く米兵が欲するスーベニヤとしての和装刺繍入りのジャンパー、今ではスカジャンと呼ばれるジャケットをPX(米軍基地内の売店)に納入。1950年代、米軍へのシェアは95%を占めていたという。その後、世界情勢の変化とともに、国内向け衣料メーカー「東洋エンタープライズ」となって現在に至る。
本展では、その東洋エンタープライズが所蔵する貴重なコレクションから厳選した約140点のヴィンテージ・スカジャンが出品されている。これこそ、今回の最大の見どころだ。
本展のキービジュアルとなっている1940年代の貴重なスカジャンを紹介する松山さん
第2章のヴィンテージ・スカジャンの展示会場は、一般の観覧者にもわかりやすいようにスカジャンの絵柄がモチーフ別に区分けされている。
初めに、スカジャンを代表する三大モチーフ「鷲・虎・龍」を施したヴィンテージ・スカジャンが展示されているセクションがあった。
その初めは「龍」
松山さんにご紹介いただいた、本展キービジュアルのスカジャンの絵柄も龍だ。
(YOKOSUKA Dragon 1946年 テーラー東洋(東洋エンタープライズ株式会社)蔵)
※以下「★印」はすべてテーラー東洋(東洋エンタープライズ株式会社)蔵
なぜこのスカジャンが展覧会のキービジュアルになっているかというと、制作されたのが1946(昭和21)年――まさに終戦直後の最先駆けといえるスカジャンだからだ。形は軍服をベースとしており、米兵が自前のジャケットをカスタムオーダーしたものと思われる。
「龍」の次は「鷲」
鷲柄は米兵に最も好まれたデザインだったという。
(The Stars and Stripes, Earth with Eagle 1940年代後期~50年代前期 ★)
横振り刺繍の精緻さに息を呑む(Pine Tree and White Eagle(部分) 1950年代中期 ★)
こちらは羽を閉じた鷲。羽を広げていない鷲の絵柄は珍しいそうだ(Pine Tree and Eagle 1940年代後期~50年代前期 ★)
続くセクションは「虎」
日本に野生の虎は筆者の知るところ確かいなかったと思うが、米国人にとってはアジアを象徴するオリエンタルな図柄なのだろう。
ただ、虎の絵柄に「JAPAN」ときっぱり書かれると少々戸惑う(Banboo and White Tiger 1950年代中期 ★)
だが横振り刺繍の精緻さが、虎の毛並みや縞模様に見事に表現されている。
(Face of Roaring Tiger(部分) 1940年代後期~50年代前期 ★)
それが、米兵たちが好んで求めたこの絵柄の魅力のひとつだったのだろう。
「三大モチーフ」に続いて展示されているのは「日本地図」の絵柄だ
ヴィンテージのスカジャンはリバーシブルで着られる作りが特徴で、日本地図は鷲・虎・龍の三大モチーフの裏面に描かれることが多かったという。
地図には日本の主要都市と米軍施設のある都市が示され、富士山や桜、舞妓など日本的なモチーフが添えられ、日本土産であることが一目瞭然だ。
このスカジャンには日本地図の面にも鷲と龍が(Eagle, Dragon and Japan Map 1940年代後期 ★)
なかには朝鮮半島も描かれているものも(Mt. Fuji, Eagle, Korea and Japan Map 1950年代前期~中期 ★)
よく見ると38度線も示されていて、1950年代に米軍が参戦した朝鮮戦争の時代背景を反映している。
続くセクションは「日本の風景」
富士山・城郭・日本庭園・桜など、いかにも日本的な絵柄の取り合わせだ(Castle Tower 1940年代後期 ★)
これは舞妓だけを大きく描いたヴィンテージのなかでも珍しいもの
(Weeping Willow and Maiko 1950年代中期~後期 ★)
「TACHIKAWA」とある。スカジャンは横須賀だけではなく、日本全国の米軍基地のPXで売られていたことがよくわかる。
いや「日本全国」どころではないことを、続く「海外の図案」のセクションが教えてくれた
日本で爆発的な人気を得たスカジャンは、世界各国の米軍基地にも納入された。むろん、その土地の地図やシンボルをあしらって。
こちらはアラスカ(Alaskan Moose 1950年代中期~後期 ★)
で、こちらはホノルル(Hula Girl 1950年代後期 ★)
いかに世界的な人気を博していたかを証しているが、そのすべては日本で生産され、世界各地の米軍基地へ輸出されていたという。
続くセクションは「ミリタリー」
陸・海・空軍ほかあらゆる部隊にスカジャンが愛好されていたことが見て取れる
これらは所属部隊や仲間内、個人の記念としてカスタムオーダーで制作された。
少々いかめしい「ミリタリー」の隣りには可愛らしい「キッズ」コーナーが
本国で待つ子どもたちへのスーベニヤとして兵士たちが買い求めたのだろう。なかにはジャンパーではなく上下つなぎのベビー服も見られる。
しかし、子ども用といっても横振り刺繍のワザに手抜きはない。
その先には、これまでの技術とは異なる「ハンドプリント」のセクションがあった
ハンドプリントには、色ごとに版を作り、版の数だけ手作業で摺(す)り重ねていく手間と熟練のワザを要する「手捺染(てなっせん)」の技術が用いられていた。1940年代後期から1950年代初期の限られた期間にしか作られていないレアもので、ヴィンテージの世界では非常に高額で取引されているそうだ。もはや土産物の域を超えている。
その精緻さは浮世絵の摺師の職人技を彷彿とさせる(Roaring Tiger 1950年代前期 ★)
次のセクションは「カスタムオーダー&レア」がテーマ
ヴィンテージでも特に珍しい作品のみを展示していて、まさに唯一無二のスカジャンならではの個性が光る逸品ぞろいだ。
実は筆者、このコーナーで一番長く足を止めたのだが
なんといっても心惹かれたのは、このブルドッグのスカジャン(Bulldog 1958年 ★)
米兵のカスタムオーダーで作られた一点もので、飄逸な絵柄も味わい深いが、ヴィンテージ・スカジャンの生地の多くが半合成繊維のアセテートであるなかで、この素朴な色合いの別珍(ベッチン)がまたなんとも温かみを感じる。
そして第2章展示会場のトリを飾るのは、ケースの中に1点だけ収められた次の一着だ。
(KOSHO and CO. “Dead Stock” 1950年代前期~中期 ★)
東洋エンタープライズがまだ「港商」だった時代に作られ、デッドストック状態で発見された一品。注目すべきは当時のタグがまだ付けられたまま残っていることで、タグには「KOSHO & CO.」と記されている。
第2章会場の終わりには、1950年代に実際に職人が使用していた東洋エンタープライズ所蔵の貴重な刺繍型が展示されている
刺繍型は柿渋を染み込ませた和紙を図案にあわせて切り抜いたものだ。
(Pattern of Embroidery “Mt. Fuji and Japanese Landscape” 1950年代前期 ★)
これを生地にあて特殊な溶液を刷毛で塗り生地に下絵を残す。1950年代当時はその下絵をガイドラインに職人が刺繍を施していた。
なお、ここまで見てきた第2章会場の膨大なヴィンテージ・スカジャンを前にして、監修者の松山さんが次のように語ったのが印象的だった。
「スカジャンは日本発祥の唯一の洋服なんです。戦後の日本で米兵向けの土産物(スーベニヤ)としてアメリカと日本の文化が混ざり合って生まれた洋服。その美しさに魅了された米兵たちが持ち帰ったスカジャンを大切に残していたからこそ、今ここで私たちは貴重なヴィンテージ・スカジャンを目の当たりにすることができるんです」
それらが、1990年代の空前のヴィンテージブームで、アメリカから日本に里帰りしてきたというわけだ。
さて、第2章会場の先の通路は、過去と現在のドブ板通りとスカジャンの関係を伝える空間となっていた。
ドブ板通りとゆかりが深い映画『豚と軍艦』のポスターやスチール写真が展示され
向かいの壁面にはドブ板通り商店街で扱うスカジャンが飾られている
横須賀を舞台にした『豚と軍艦』(1961年公開)では、長門裕之演じる主人公が終始スーベニヤジャケットを着用し、一般にこのジャケットの存在を強く印象付けた。のちに横須賀ジャンパー、略して「スカジャン」と呼ばれる要因のひとつとなったとの見方もある。
またドブ板通り商店街振興組合では、同組合が企画・商品化した「東京2020公式ライセンス商品 スカジャン」が話題を呼び、その後2021、2022年と連続してオリジナルスカジャンを発表している。
こちらは「ドブ板通り商店街オリジナルスカジャン 2022」(2022年 ドブ板通り商店街振興組合蔵)
展示会場その3――「スカジャンの現在」
ドブ板通りワールドのまさにその「通り(通路)」を抜けると、そこには「第3章 スカジャンの現在」の世界が広がっていた。
戦後の日本で誕生したスカジャンは、過去記事でも紹介した通り、今では世界のファッションシーンから注目される存在になっている。
ここでは、そうした近年のスカジャン事情の「多様性と広がり」を紹介している
壁面に展示されているのは、第2章の貴重なヴィンテージをもとに復刻されたTAILOR TOYO(テーラー東洋)の作品群だ。そして、中央に陳列された5着のスカジャンの顔ぶれが凄い。
一番右が、本展のキービジュアルとなっている1946年製のヴィンテージ・スカジャンの復刻版。こちらもTAILOR TOYO(テーラー東洋)による制作だ。
その左に続く逸品たちを右から順に紹介すると「Y’s」「DIOR」「COMME des GARÇONS」「Chrome Hearts」と錚々たるブランド名が並ぶ。
こちらは中央の「DIOR×空山基 ボンバージャケット」(DIOR 2019年 空山基氏蔵)
モチーフがいかにも現代的だ。
また第3章会場には、このようなスカジャンの意匠を取り込んだ商品も展示されている
(Slip-On “SKAJUM” ROLLICKING×VANS 2018年 個人蔵)
さらにこの空間の先には、スカジャンの横振り刺繍の技術を生かした創作活動を続ける現代アーティストの作品も展示されている。
最初に展示されているのは横振り刺繍の第一人者として名高い大澤紀代美(おおさわ・きよみ)さんの作品
この作家の作品には美しさを越えて凄味さえ感じる(「羽織(雲龍)」(部分) 1989年 作家蔵)
だがそれを写真ではとても伝えきれないことが歯がゆい(「闘魂」(部分) 2001年 作家蔵)
ぜひ会期期間中に足を運んで、自身の目で直接実物に向き合ってほしい(「響き」 1993年 作家蔵)
また、横振り刺繍の技術で立体作品を作る作家も紹介されている
作家名は「ヌイコズ・ドール・スタジオ」。「縫う人」を表す「縫い子」が由来なのだろう。
作品は可愛らしいものが多いが、横振り刺繍の技術をほぼ独学で学んだという
こちらは直球の正攻法といえる田沼千春(たぬま・ちはる)さんの作品
曽祖父が桐生の刺繍職人、その後横須賀に拠点を移した祖父から受け継いで横須賀刺繍職人としては3代目にあたる。
コンピューター刺繍が主流になりつつある今、横振り刺繍に頑固にこだわるアーティストだ。でもよく見ると、絵柄のモチーフはけっこうキッチュなものも多い。そのハイブリッド感が面白い。
そしてもう一人。こちらはオザキフミナさんの作品
リサイクル着物業界に就職した後、独学で横振り刺繍の技術を習得し、アートピース・帯・和装小物などをオーダーメイドで受注制作しているという。
植物や動物が繊細かつダイナミックに表現され、鮮やかな色彩が印象的だ。
以上で、「スカジャン展」の起点から終点までの紹介が完了した。
とはいえ、繰り返すがテーラー東洋(東洋エンタープライズ)所蔵のヴィンテージ・スカジャンだけでも約140点の出品だ。ここまでの記事で紹介した作品は展覧会全貌のほんの一部に過ぎない。
ぜひこの機会に、スカジャンの多彩な魅力と奥深い世界を体感してみてはいかがだろうか。横須賀美術館の目の前は、東京湾の海。そして横須賀美術館は今、スカジャンの海です。
「スカジャン展」と連動するドブ板通りの今へ
実は、横須賀美術館での「スカジャン展」開催初日に、ドブ板通りで新しい動きがあった。とある横振り刺繍作家が、この通りに新しい店をオープンしたのだ。
その作家とは、「スカジャン展」に作品を出している大澤紀代美さんの弟子であり、筆者のスカジャン過去記事にも登場した山上大輔(やまがみ・だいすけ)さんだ。
山上さんは、過去記事で老舗スカジャン店「ファースト商会」取材時に店先で偶然遭遇し、黄金町のアトリエも取材させていただいた(黄金町のアトリエは2022年内まで)。
2019年5月、ファースト商会前でバッタリ出くわした際の山上さん
あれから3年半後の2022年11月19日、オープン初日に山上さんの店を訪ねるべくドブ板通りに赴く。
お店の前にたどり着いてみると、少々驚いた。「スカジャンの店をオープンする」ということだったので、通常ならこんなイメージの店を想像する。
ドブ板通り沿いに数多く並ぶスカジャン店はこんな感じ
店頭にずらりとスカジャンが吊るされ、店内も所狭しとスカジャンが飾られている――それが普通だ。
ところが、山上さんのお店はこんな様子
まだシャッターを下ろしていたモトキ時計店の右隣りにある「DOBUITA KOBA STUDIO」。ここが、その日オープンした店だ。
見たところ、店の中は真っ白く、そこにミシンが2台置かれていて、そしてミシンの前に人がいる。山上さんかな?
店内に入ると、そこにいらしたのは山上さんではなかった
山上さんは、とある事情で急遽オープン当日に店に来られなくなり、代わりに応対していただいたのは、この店のパートナーである菅原瞭(すがわら・りょう)さんだった。
菅原さんも、山上さんとほぼ同時期に大澤先生に弟子入りした横振り刺繍職人だ。
筆者はこの店を最初に見た時、「スカジャン店」と言うより、イタリア辺りの職人工房のような印象を持った。山上さんたちも、「ここにスカジャンのファクトリーを作りたい」と考えているようだ。
店名に「KOBA」と付したのは、町工場のような温かみを持ちたいから。そして「STUDIO」と付したのは、単なるスカジャン制作の場ではなく、伝統の横振り刺繍の価値を発信・普及する場所にしたいからだという。
現在は2台の横振りミシンが置かれているが、いずれはもう1台増やしたいそうだ
そして来店したお客さんに、通常のミシンとはまったく操作が異なる横振りミシンの操縦体験もしてもらえればと考えている。
菅原さんに横振り刺繍の実演をしていただいた
過去記事での山上さんの実演の際もつくづく感じたのだが、手先・足先・そして膝を連動させて操作する横振り刺繍は、ほんとうに特殊な職人ワザだ。
とはいえここは、横振り刺繍の見学や体験をメインにする店ではない。基本は、あくまで来店者の求めに応じて、フルオーダーの手縫いカスタムスカジャンを制作・販売する店なのである。
今はいっぽうの壁際中央のテーブルに3点置かれているだけだが
一見すると鑑賞用の絵画のような上の写真の3点は、すべて横振り刺繍のスカジャンで、その背面を表にして木枠のアートボックスに収納し展示している。
同店では、従来のスカジャン店とは異なり、こうしたアートギャラリーのような展示方法を今後展開していくそうだ。今は真っ白な店内の壁面が、あたかも画廊のようにスカジャン・アートボックスで埋め尽くされる日がいずれ来るのだろう。
ちなみに上の写真中央が、師匠の大澤先生の作品、左右が山上さんの作品とのこと。
菅原さんは店の奥から唯一無二の貴重なスカジャンも出してくれた
こうした作品も、この店を訪れれば直接目の当たりにし、手に触れることができる。
「DOBUITA KOBA STUDIO」――ここは、コンピューター刺繍が当たり前の昨今において、昔ながらの手縫いの横振り刺繍とフルオーダーメイドのカスタムスカジャンに徹底的にこだわりぬく、アーティスチックなスカジャン店なのだ。
いっぽうで、山上さんも菅原さんも、横振り刺繍の師匠である大澤先生のもとへ今なお月に1回は通っているという。わざわざ横須賀から桐生までだ。技術の向上を求めてやまない職人魂も失っていない。
まだ30代になったばかりの若者たちが、時代に反骨するような高い志を持って立ち上げた店が、これからどのように展開していくのか楽しみだ。
伝統と未来のクロスオーバー・・・もうひとつの店
「DOBUITA KOBA STUDIO」の取材を終えた後、ドブ板通りにあるもう1軒の店を訪ねた。過去記事でも取材した老舗のスカジャン店「MIKASA」だ。すでに紹介したように、同店からは「スカジャン展」に貴重なデッドストック・スカジャンが何着も提供されている。
ちなみに「MIKASA」の隣りには、ドブ板通りのインフォメーション・センターである「DOBUITA STATION YOKOSUKA」がある。
DOBUITA STATION YOKOSUKA
数年前の取材時は、この中にはドブ板通りの歴史を伝える古い写真がたくさん展示されていたが、
この日はスカジャンでいっぱいだった
ここは今、「スカジャン展」の第2会場になっていて、一時的に模様替えをしたのだという。
その左隣りにあるのが「MIKASA」
相変わらず、店頭にスカジャンを吊るす他の店とは一線を画す、洗練さと老舗感をあわせ持つ店構えだ。
そしてこちらが店主の一本和良(ひともと・かずよし)さん
店内奥には、「スカジャン展」のキービジュアルとなった1946年製のスカジャンの復刻版が飾られていた。
リバーシブルになっていて、裏側も披露してくださった。やっぱり日本地図の柄だ
一本さんは現在、スカジャン絵師・横地広海知(よこち・ひろみち)さんと二人で「ドブ板スカジャン研究会」を結成し、今回の「スカジャン展」に企画協力として携わっている。
これは「スカジャン展」とドブ板通り商店街の連携の象徴ともいえるステッカー
同展の半券を持参してドブ板通りで食事や買い物をすると、このステッカーが1枚もらえ、6種類すべて揃うと、さらに500円の割引券がゲットできるそうだ。
一本さんに、以前の取材以降の変化について尋ねてみると、
真っ先に見せてくれたのが、このスカジャンだ
名付けて「還ジャン」。ファッション・アイテムからプレゼント品に視点を切り替えて生み出したスカジャンだという。
贈られる人の干支や名前を刺繍して、還暦祝いの贈答品として提供する商品だが、これがとても好評を博しているとのこと。
「今どきの60歳って、まだ全然若いじゃないですか。赤いちゃんちゃんこなんて誰も着ないし、それに赤は昔からスカジャンの定番色でもあるんです」と、一本さん。かく言う彼も今年60歳だとか。
「還ジャン」のバックとフロント。サンプル品は亥柄だ
ちなみに価格は66,000円(税込)。オーダーメイドのスカジャンは5~6万円するのが当たり前とはいえ、なかなか気軽に手が出る価格でもない。
だが、一生に一度のプレゼントとなれば、話は別だ。家族みんなで資金を出し合って還暦祝い当日にサプライズのプレゼントをすれば、きっとスカジャン好きのおじいちゃん(いや、おばあちゃんかも)は泣いて喜ぶことだろう。
また、一本さんはスカジャン研究会の横地さんとともに、昨年(2021年)12月に「ジャパンジャケット合同会社」を設立した。
この会社では、デジタルコレクティブスカジャンNFTとフィジカルなスカジャンを抱き合わせて、ブロックチェーン技術を利用した世界最大手のNFTマーケットプレイスOpenSea上で販売している。もちろん世界初の試みだ。
「早い話がスカジャンの啓蒙活動をやってるんですよ」と笑って言う一本さんだが、伝統と最先端技術を軽やかに行き来する行動力は驚くばかりだ。
取材を終えて
スカジャンの過去記事で取材した、当時御年88歳だった老舗スカジャン店「ファースト商会」の店主・松坂良一(まつざか・りょういち)さん。「DOBUITA KOBA STUDIO」の菅原さんによれば、今年92歳になる松坂さんは今もご健在とのことで、最後にお店を訪ねてみたが、この日はたまたま閉まっていた。
過去記事の中で、松坂さんに後継者がいないことを聞いて、「松坂さんがこの店を閉じるとき、いよいよ横須賀・ドブ板通り商店街から、完全フルオーダーのオリジナルスカジャンを製造販売する店がなくなってしまうということか」と書いたが、それは杞憂に過ぎなかったことが今回明らかになった。
アートとしてのスカジャンの魅力を発信する美術館が横須賀にあり、ドブ板通りには伝統と未来の懸け橋に情熱を注ぐ人々が今もなお確かに存在する。
今回の展覧会に冠された「PRIDE OF YOKOSUKA」という言葉の重みを実感する取材だった。
―終わり―
取材協力
横須賀美術館
住所/横須賀市鴨居4-1
電話/046-845-1211
開館時間/10:00~18:00
休館日/毎月第一月曜日(ただし祝日の場合は開館)、12月29日~1月3日
※「PRIDE OF YOKOSUKA スカジャン展」
会期:2022年11月19日~12月25日
観覧料:一般1300円
テーラー東洋(東洋エンタープライズ株式会社)
住所/東京都墨田区緑2-14-12(東京本社)
電話/03-3632-2321
DOBUITA KOBA STUDIO
住所/横須賀市本町2-1
営業時間/10:00~17:00
Johnagami.lab@gmail.com
https://tautau.jp/
MIKASA
住所/横須賀市本町2-7
電話/046-823-0312
営業時間/11:00~18:00
https://sukajyan.com/
参考資料
『PRIDE OF YOKOSUKA スカジャン展』図録 横須賀美術館発行(2022年11月刊)
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三日坊主さん
2022年12月08日 22時41分
横浜に来る前に由来も何も知らず買い求めました。さすがに年甲斐もないので、久しく着ておりませんが、結構温かいので重宝しておりました。私は日本地図のが好みです。
Yang Jinさん
2022年12月03日 15時46分
なるほどでしたね^_^〜