解体予定の川崎市庁舎、大空襲を生きのびた時計塔の内部に潜入!
ココがキニナル!
川崎市役所の塔に戦時中の弾痕が残っていると昔聞いた記憶が・・・ホントかキニナル。(m_kさん)
はまれぽ調査結果!
川崎大空襲を生き延びた川崎市役所本庁舎には、弾痕があったようだが現在は目視不可能。秋以降、解体工事開始後に調査が進められる予定。
ライター:岡田 幸子
戦前生まれ戦後育ちの本庁舎は歴史の目撃者
さて、今回残念ながら解体が決まった川崎市役所本庁舎だが、そのなりたちや変遷は大変興味深いものだ。
和田室長によると、現在本庁舎があるのは、以前は川崎尋常高等小学校があった場所だという。北側の一画にあった川崎町役場が1923(大正12)年9月の関東大震災で崩壊したこと、1924(大正13)年7月に川崎町・大師町・御幸町が合併して川崎市が誕生したことを受けて、1925( 大正14)年10月に移転した。
本庁舎北東はす向かい(赤矢印)に町役場があったらしい
しばらくは校舎や校門を転用していたようで、当時の様子は『かわさきのあゆみ−写真でみる明治・大正・昭和−』掲載の写真でも確認できた。
JRの「川崎」駅及び「京急川崎」駅東側にあたる市役所付近には、東海道の旧道が走っている。江戸時代に東海道2番目の宿場町・川崎宿がおかれたエリアで、現在の「小川町」バス停付近から六郷橋付近までの約1.5kmに、交通機能を司る問屋場、助郷(すけごう)会所、高札場、田中本陣などの施設が集中していたという。
左手の路地を進むと旧東海道にぶつかり、京急川崎駅に至る
当時の人の流れを再現し、にぎわいを取り戻す計画だとか(川崎市まちづくり局提供)
「本庁舎建替計画を検討した際に、武蔵小杉や溝の口などの市内の別の場所に移転した場合との条件の比較を行いました。しかし、江戸時代の東海道かわさき宿から現在まで、川崎の要所であり続けてきたこの場所ならではの歴史的な蓄積も大事にすべきです。そうしたことも、現在の敷地での建替を行うこととなった理由のひとつになっています」
時計塔、玄関など、戦後復興のシンボルとなってきた本庁舎を復元し、超高層ビルとアトリウムでつなぐという建替計画の概要は、すでにその詳細を伝えてきた。
本庁舎等建替基本計画のホームページにも、和田室長らが検討している新本庁舎のコンセプト動画も掲載されている。この動画は3Dで動く新庁舎の透視図も含めて、すべて市職員の手によるとのことだ。
解体前の本庁舎館内をひと巡りしてみよう
重厚感あふれる玄関内部の様子
こうした歴史ある建物の味わいは残していくという
ここで本庁舎建替準備室建築技術調整担当の畑透(はた・とおる)課長と渡健一(わたり・けんいち)係長から、興味深いお話を伺えた。1938(昭和13)年落成の本庁舎だが、当時の一般的な鉄筋コンクリート造りの建物に比べて、屋根に厚みを持たせた作りになっているというのだ。
「1938年といえば日中戦争の真っ只中。5月に国家総動員法が施行され、日本全体が戦争に向かっていた時代です。そんな中で新築された本庁舎ですから、空襲などを受けることも想定して、防災的な観点から屋根を頑丈に作ったのでしょう」
左から、準備室の青木さん、畑さん、渡さん。暑いなかご案内ありがとうございました!
歴代の市長が執務した市長室も
いまは夏の風が吹き抜けるばかり・・・改めて平和の大切さを思う
戦時中、本庁舎の屋上と3階には高射砲部隊の本部が置かれ、屋上には重機関砲が備えられていた。また、時計塔が空襲監視塔として利用されていたのは前述の通りだが、停電により警報機のサイレンが使えないことを見越して、戦時中の塔最上部には教安寺(小川町)の鐘もおかれていたとのことだ。
焼け野原に建つ川崎市役所本庁舎の姿(川崎市平和館提供)
そうした軍事利用のためか、当時の本庁舎は外壁の一面に迷彩色が施されていたという。戦後は市のシンボル的な存在として市民に親しまれた時計塔も、ものものしい迷彩色に塗られていたとは。重苦しくきな臭い時代の空気を感じられるエピソードだ。
悲しくなるほどに迷彩柄だ(川崎市平和館提供)
戦争へと突き進む時代の中で生まれ、戦火をくぐり抜け、さらに戦後の復興を見守ってきた川崎市役所本庁舎。神奈川県内に残る唯一の戦前創建の市庁舎であり、その歴史的・文化的価値は大きい。
解体前にもう一度その姿を目に焼き付けたいという方も多いのではないだろうか
そこで、川崎市では2016年10月14日(金)、15(土)、16日(日)の3日間、「川崎市役所本庁舎さよならイベント~しばしのお別れ、復元後にまた会いましょう~」と題し、愛着ある建物と市民が最後に触れ合えるイベントを企画している。
本庁舎にしばしのお別れを告げるチャンスだ
イベントではプレイベント(12日午後6〜7時)として庁舎の簡単な掃除を行ったのちに、市長室や講堂などの庁舎内部のツアーや、庁舎の壁をキャンバスにして自由に楽書きができるアートイベント、当記事でご紹介した星野氏、原氏と和田室長によるトークイベントなどが企画されている。
もとは議場として使われた円形の講堂や
市長室、副市長室などを見学できる
また、時計塔内部の鉄骨階段一部が初公開されるほか、講堂では世界各国で演奏を行っているピアニスト、小川典子(おがわ・のりこ)さんによるピアノコンサートや地元ジャズプレイヤーによるジャズライブも。ジャズライブには普段から市内のライブハウスなどでジャズの演奏活動をしている和田室長も出演するとのことだ。
時計塔公開は最初で最後! 健脚さんはぜひ挑戦を!!
取材を終えて
川崎市在住経験がないため、市役所本庁舎内にお邪魔したのは今回が初めてだ。
重厚な玄関ホールにクラシカルな階段、円形の室内にバルコニーが設けられた講堂など、シンプルな白の外観からは想像もつかないほどの美しいディティールに満ちた建物だった。
国産大理石など、いまでは貴重な素材や技術を見ることができた
戦前に生まれ、戦火に耐え、戦後の復興を見守った逸話の数々に触れ、さらに建物への思いは強まるだろう。市民に愛された庁舎を良い形で残す今回の建替計画により、新しく生まれ変わる市役所と周辺エリアが楽しみだ。もちろん、時計塔の弾痕についても、期待しつつ続報を待ちたいと思う。
―終わり―
<取材協力>
川崎市 本庁舎等建替準備室
http://www.city.kawasaki.jp/170/soshiki/45-5-0-0-0.html
「川崎市役所本庁舎さよならイベント~しばしのお別れ、復元後にまた会いましょう~」
開催日時:
2016(平成28)年10月14日(金)午後1時~午後5時
2016(平成28)年10月15日(土)午前9時~午後5時
2016(平成28)年10月16日(日)午前9時~午後5時
(プレイベント「庁舎のおそうじ」のみ平成28年10月12日午後6時~午後7時)
開催場所:川崎市役所本庁舎(川崎市川崎区宮本町1番地)
問い合せ:044-200-3939(サンキューコールかわさき・年中無休 午前8時~午後9時)
・入場無料
・予約不要(一部先着順・参加者数限定のイベントがあります。)
・詳細は以下参照
http://www.city.kawasaki.jp/170/page/0000078982.html
参考文献
『神奈川の戦争遺跡』神奈川県歴史教育者協議会(1996)
『かわさきのあゆみ -写真でみる明治・大正・昭和-』川崎市市民局広報課(1986)
撮影:猪俣博史
sunなすびさん
2016年10月05日 17時32分
よくわかる記事で感心です。あと、ひとユーモアほしいかなぁ・・・。よくばりですかね・・・。
マッサンさん
2016年10月01日 22時04分
川崎市役所本庁舎、当初は耐震補強工事でもたせる計画でしたが急きょ建て替えに変更した経緯があり、また武蔵小杉あたりへの移転話もありましたがいつの間にか立ち消えました。やっと落ち着きました。良かったと思いますよ。川崎市民としては。
横浜大好きくんさん
2016年09月30日 19時46分
川崎市は最近どうかしてると思う。コリアン圧力かな?