日ノ出町駅にある三浦半島のタイルアートが作られた経緯って?
ココがキニナル!
京急日ノ出町駅ホームにある三浦半島のタイルアートは、いつ頃どういう経緯でつくられたの?(もこもこさんのキニナル)
はまれぽ調査結果!
三浦半島のタイルアート。制作者、時期、経緯、全て不明。推測では京浜電鉄が三浦半島への路線延伸と飛躍を願い制作されたといわれている。
ライター:クドー・シュンサク
駅員の方に訊ねる
取材当日、日ノ出町駅の駅長さんは休暇をとっており不在のためということで、助役の小島節夫さんが丁寧に話を聞いてくれた。
まず制作時期については、確認できる資料もないので実のところ不明。よって、制作者及び発案者についても不明とされているとのこと。制作の狙いや経緯について訊ねると、それについても不明。
助役の小島さん。「謎ですねぇ」と訊ねると「謎なんですよね~」と
味のあるモノだし名物となるまではいかなくとも、駅を利用していただけるお客様方が少しでも興味を持ってもらえていたら幸いです。と、小島さん。
さらに詳しく、というより何かタイルアートについての情報を得るべく、京急電鉄の総務部広報課の方に問い合わせた。
タイルアートの諸々を
電話にて京急電鉄の総務部広報課の方に用件をお伝えすると、詳しい回答は後日とのことで連絡を待ち、総務部広報課の飯島学さんからタイルアートの諸々について回答をいただいた。
結果、京急電鉄の公式資料からも、日ノ出町駅の建設に関する資料は見当たらず、経緯等については不明とのこと。作者についても、やはり不明。
全てが謎のタイルアート
駅の建設において、横浜~戸部~日ノ出町~湘南京浜分界点(黄金町駅付近)は京浜電鉄、湘南京浜分界点~黄金町間は湘南電鉄が行ったという。
そして2社は後に合併するものの、京浜電鉄として三浦半島への路線延伸と飛躍を期待して作られたものではないかとの説明をいただいた。
確認はできていないが、可能性としては駅開業当時から存在していたこともありうる。
いずれにせよ、古くから日ノ出町の駅で息をするタイルアートが現在まで残っているというのは現実。町の新陳代謝が目まぐるしい昨今で、駅の改装を経ても残るこのタイルアートに情緒が無いわけはない。
ひき写
まとめ
結果、三浦半島をデザインしたタイルアートの詳細については、何ひとつつかめず、謎のアートということになった。
現在バリアフリーと耐震の工事中ではあるが、新しくなった駅にどういった空気を放つのか三浦半島タイルアート。
謎のまま終わった諸々でもあるが、実物のタイルアートは、色・年季・存在として、古き時代の情景を映すかのような、独特の情緒を醸し出していた。
― 終わり ―
ushinさん
2012年09月19日 17時18分
京浜急行の日ノ出町駅を出たあたりから南太田近くまでは、本来鉄道省が計画した京浜電車(後の京浜東北・根岸線)の延長線予定地を走っている。そのため根岸線延長前の桜木町駅は野毛方面に少しカーブを描いたホームで、その延長線上に線路の幅の区画が続いて日ノ出町で京急と合流していた。また南太田の婦人センターもその予定地にあり、その先は蒔田を経由して井土ヶ谷-保土ヶ谷への半環状線とか、平戸方面に抜け戸塚へ接続、鎌倉街道に沿って大船方面を目指すなどの検討もされていた。関東大震災でその計画が中止となったが、震災復興の都市計画に伴い、湘南電鉄も最初は予定地を利用して桜木町まで接続する計画がされたり、旧神奈川駅までだった東横線が平沼経由で久保山を縦貫して日ノ出町・伊勢佐木町に乗り入れなど、いろいろ夢の様な計画があった。結果的に現在の(三代目)横浜駅の計画が定まり今の鉄道網と成った。そのへんも面白いですよ。
ushinさん
2012年08月14日 01時49分
正式には両者の分界点は駅そのものではないようだが、一般的にも黄金町-日ノ出町間を湘南電鉄が、横浜-日ノ出町間を京浜電鉄が、「湘南電鉄仕様で建設」と解説されていることが多く、京浜電鉄の改軌までの間湘南電鉄が横浜駅まで乗り入れていた形式だったので、実は両者が手を結んだ駅として日ノ出町を象徴するモニュメントと言えるでしょう。