大船が本気で「日本のハリウッド」を目指していたって本当!?
ココがキニナル!
日本のハリウッドを目指した大船を知りたい。田園都市開発され、鎌倉山に別荘地と巨大スタジオ+ビバリーヒルズはハリウッドにウリ二つ。松竹アパートや山椒洞も解体中です(katsuya30jpさんのキニナル)
はまれぽ調査結果!
1935年「東洋のハリウッド」を目指し田園都市開発された大船は1970年ごろ映画関係者でにぎわい撮影所は2000年に完全閉鎖。今は若干の遺構のみ
ライター:ほしば あずみ
松の木はのこった
「この写真館は1970(昭和45)年からやっているけど、そのころ松竹は斜陽化していたとはいえ町はまだ華やかでしたね。よく映画スターや女優さんが通りを歩いていたり、夜になると町のあちこちでロケをやったりね。
映画の撮影所があるって、町の誇りみたいなところがあったし、俳優さんたちが通うお店は、どこかハイカラでした」
だがその後も松竹は斜陽化が進み、昭和50年代に入ると撮影所敷地の一部は「松竹ショッピングセンター」という商業施設になる。
今でも交差点名に「松竹」の名が残る
また、1995(平成7)年には、敷地内にテーマパーク「鎌倉シネマワールド」がオープンするものの評判はいまひとつで結局3年足らずで閉鎖。
「鎌倉シネマワールド」(『松竹百年史』より)
松竹撮影所は2000(平成12)年には完全閉鎖。跡地は鎌倉女子大学に売却された。
「撮影所がなくなって町の雰囲気はまったく変わってしまった」と菅野さんは言う。
松竹映画の撮影所があったおもかげは、人々の記憶からも消えてしまうのだろうか。
いくつかの遺構をみてみよう。
松竹関係者の社宅「松竹アパート」は2010(平成22)年ごろ姿を消し、マンション建設がすすむ
「松竹」の名が残る橋
そのそばには笑顔で横たわる寅さん(故・渥美清さん)と故・美空ひばりさんのパネル
松竹のマークが入ったマンホール蓋も残されている
筆者は以前、鎌倉の庭師からこんな話を聞いたことがある。
「鎌倉女子大学の校門わきにあるクロマツは、撮影所にあった松の木なんです。土地を売却する際、その松の木を残すというのが条件だったそうです。昔は映画にも登場した、大切な松なんだとか。それで我々庭師があの場所に移したんです」
鎌倉女子大の校門わきに移植されたクロマツ
その話をしたところ、「ありえる話かも」と菅野さん。
「松竹はもともと白井松次郎、大谷竹次郎という双子が創業者。二人の名前の松と竹をとって松竹と名づけられたから、松は大事にしていたかもしれない」
では、どこかに竹も?
実は竹も、松のすぐそばにあった。
鎌倉女子大同様、撮影所跡地に建てられた「鎌倉芸術館」。
鎌倉女子大学に隣接する鎌倉芸術館
芸術館の中庭は吹き抜けになっていて、そこは竹林になっている!
取材を終えて
鎌倉女子大学の松と、鎌倉芸術館の竹が対になって「松竹」を現している証しは、実際のところない。だがかつて松竹映画撮影所があった地に寄り添うように松と竹が植えられているのは偶然ではない気がする。
幻の田園都市計画と映画撮影所の夢を、松と竹はひそかに伝えているのかもしれない。
―終わり―
元大船小学校生さん
2014年02月11日 14時18分
40年ほど前大船に住んでた頃、田園眼科に通ってました。そのころは、なぜ田園という名前なのかわからなかったですが。先生はまだお元気なんでしょうか?
pennyswassyさん
2013年11月24日 13時51分
ちょうどイトーヨーカドーができた頃、33年前7歳まで近所に住んでました。友達と探検して馬小屋?辺りから忍びこんだのを思い出しました。
栄区かまくらさん
2013年11月22日 20時43分
松と竹の話、面白かったです。大映京都みたいに門柱くらいは残して欲しかったです。シネマワールド、行きました!やはり現代劇のスタジオパークだと難しかったのでは・・・。ちょっと暗い館内でしたが、出ましたかー!まあ映画撮影所と幽霊は切ってもきれないものなのでしょう。