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横浜の古道を歩く 稲毛道その2 ―かまくら道下道編―

横浜の古道を歩く 稲毛道その2 ―かまくら道下道編―

ココがキニナル!

市内に残る「古道」を調べていただけませんか?「えっ!普段歩くこの道が?」「こんな崖っぷちの道が?」など。家の裏の小道が昔は重要な街道だったとか、凄く浪漫があります。(よこはまうまれさんのキニナル)

はまれぽ調査結果!

江戸幕府の天領だった稲毛領に向かって北上する稲毛道第2回は、「かまくら道下道」に沿って歩く旅だ。少しずつ古道らしい史跡も増えてくる。

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ライター:結城靖博



中世の道を歩く





稲毛道(いなげみち)の第1回はここで終わった


写真右手の路地を下ってきて合流したこの道。後ろを振り向けば東横線菊名駅がすぐそばにある。そして、カメラを向けた先が稲毛道の続きだ。

前回の終わりに述べた通り、この道は鎌倉幕府成立後、東国武士が鎌倉へはせ参じるために整備された上・中・下3本の「かまくら道(みち)」のうちの一つ、「下道(しもつみち)」と重なる。とはいえ「かまくら道下道」は、鎌倉から東京湾を巻くようにして常陸まで続く遠大な街道だ。稲毛道と重なる箇所は、そのほんの一部に過ぎない。

稲毛道を北へたどる旅は、ここから「いざ鎌倉へ!」ではなく「いざ綱島へ!」となる。


菊名駅を背に50~60メートル進むと五差路の交差点に出る


いつも交通渋滞の激しい菊名駅前交差点だ。

上の写真左前方の道路が現在の綱島街道で、歩道橋の下を通って右手へ続く。稲毛道である「旧綱島街道」は、その間の右側の細い道だ。


交差点を渡ってまっすぐな道を進んでいくと



1分かそこらで左手に鳥居が見えてきた



菊名神社だ



境内には色鮮やかで大きな解説板が


「『がまんさま』は菊名神社の手水鉢(ちょうずばち)を支える鬼の石造のこと」だと書かれている。


実物は解説板の向かい側にあった


神社自体の歴史はそれほど古くなく、1935(昭和10)年に周辺の5つの村社を合祀して創建されたという。だが、この「がまんさま」が支える手水鉢は寛政年間(1789~1801年)に築かれたと伝えられている。長い年月重さに耐えてきた我慢強い姿が、参詣者に努力・忍耐・継続こそ開運を招くことを諭しているそうだ。

というわけで、筆者も辛抱強く古道歩きを続けていくとしよう。


神社をあとにして先へ進むと、次第に右手に大きな家が目立ち始める



菊名を過ぎて、大豆戸町(まめどちょう)に入ってきたのだ


この辺りはかつて街道の左側に田んぼが広がり、右手の山裾に豪農の屋敷が点在していたという。その名残が今もうかがえる。


菊名神社から7分ほど歩くと右手に白いビルが現れる


この富士食品工業のビルの前には、東日本大震災の前まで立派な旧家の長屋門(ながやもん)が建っていたが、震災で倒壊したという。しかし、ビル右隣りの民家も、現代風とはいえなかなかの門構えだ。


などと感心しつつ歩いていると、やがて大通りにぶつかる


ここは区役所前交差点。目の前を横切るのは環状2号線だ。


この交差点を渡ってさらに前進



だが200メートルほどで、斜め左に下る細い路地に入る



下るとすぐまた大きな通りとぶつかる


目の前の道路は、菊名駅前の交差点で目にした現・綱島街道だ。交差点名は「大倉山」。この道路を渡って直進すると、東横線大倉山駅に突き当たる。

今回のスタート地点からここまでの距離は1.2km強。徒歩約15分だ。

下のマップを見ると、旧道を通って菊名から大倉山までざっくり一駅分歩いた格好になる。見どころが少ないようにも感じられるが、坂もなく、いにしえの街道をのんびり想像しながら快適な散策が楽しめるルートだ。


赤いラインがここまでのルート(© OpenStreetMap contributors)




ようやく古道にふさわしい旧跡に遭遇





この交差点では、通りを越えて大倉山駅へは向かわず、右折を選ぶ。


つまりここから交通量の多い綱島街道沿いの道中となるわけか


なんて思っていると、100メートルも行かないうちに、右手の道路脇に素敵なものを発見!


青面金剛像の浮き彫りがしっかりと残る庚申塔だ



しかも右側面には「文化五戌辰年四月吉日右綱島橋道」と刻まれている


稲毛道の旅で初めて遭遇した道標だ。造立は1808(文化5)年。


また庚申塔の奥には小さな祠(ほこら)も見える



太尾妙義神社(ふとおみょうぎじんじゃ)だ


創建は古く江戸時代中期頃とみられている。もとはこの地域にあった西照寺(さいしょうじ)境内に祀られていたが廃寺となり、太尾村集落の氏神として祀られていた祠だけが残った。


稲毛道はここで早くも綱島街道を逸れて祠の右脇の坂を上る



しかし上ったかと思うと、またすぐ左手の坂を下る


まだ左下には祠が見えているのに…。

どうしてすぐ左折するかというと、本来の古道はこの坂を上りきった尾根道へ続いていたようなのだが、現在は少し先で旧道が途絶えているからだ。


左の小道を下るとすぐまた綱島街道


そりゃ、そうだ。


大通りに戻るとしばらく稲毛道自体は、現・綱島街道をたどることになるのだが



最初の信号、熊野神社入口交差点でちょいと寄り道する



交差点を右折した角には「師岡熊野神社」の石標が建つ



坂を上って数分歩くと左手に法華寺(ほっけじ)がある


が、寄り道の目的地は、その右隣りにある師岡熊野神社(もろおかくまのじんじゃ)だ。


こちらが右隣りの神社参道



鳥居をくぐると境内には風格漂う本殿がドーンと構える


この神社の創建はなんと聖武天皇の御代、724(神亀元)年にさかのぼる。そして885(仁和元)年には光孝天皇の勅使から「関東随一大霊験所熊埜宮」の勅額を賜り、以来関東地方の熊野信仰の拠点となる。今でもパワースポットとして人気が高い。

なかでも、村上天皇御代より一千有余年続く粥占いの一種である筒粥神事(つつがゆしんじ)はとみに有名で、現在、横浜市指定無形文化財になっている。


今も続く筒粥神事の詳細を伝える解説板



また境内の奥には、決して涸れることがないと言われる「の」の池がある


筒粥神事はこの池の水を使って行われるそうだ。


だが、実は筆者が一番見たかったのは、境内にあるこの石塔群だった


中央の青面金剛像(庚申塔)には「正徳四年」(1714年)、左の地神塔には「嘉永五年」(1852年)の銘が刻まれ、いずれも古いが、


特に注目したいのは右にある馬頭観音像だ



左側面にくっきりと「右 可な川道」「左 いなげ道」の文字が読み取れる


稲毛道の道標を、ここで初めて発見したのだった!

3基とも近隣からここに集められたものなのだろうが、この馬頭観音像は、付近にかつて「いなげ道」と呼ばれていた街道が確かに存在していたことを証明するものだ。

ちなみに、今はブロック塀で隠れてしまっているが、事前調査によれば、裏面には「文政七年申年四月吉日」と銘記されているそうだ。1824年の造立である。

なお、この師岡熊野神社に隣接する法華寺は、1868(明治元)年の神仏分離によって神社から二分されたのだった。

さて、そろそろ寄り道から綱島街道に戻ろう。


その後はしばし交通量の多い綱島街道沿いの道中が続く


熊野神社入口交差点から5分ほど歩くと、大通りの右手に祠を二つ見つける。


ちょうどバス停「大曽根町」の目の前だ



近づいてみる。こちらは右側の小さいほうの祠


造立年は不明だが、かなり年季の入った双体道祖神塔だ。


こちらは左側の大きいほうの祠



なぜか厳重に囲われているが石塔2基が見える


2基とも庚申塔で、事前調査によれば1774(安永3)年と1824(文政7)年の造立だ。

この二つの祠から100メートルほど進んだところで、稲毛道はいったん綱島街道から離れることになる。


ここで滑らかにカーブする脇道へと左折する


おおむね綱島街道に沿って大倉山交差点からこの地点まで800メートル弱歩いてきた(寄り道は別として)。本道だけなら10分もかからない距離だ。

熊野神社への寄り道も含め、ようやく古道歩きのコアな雰囲気が漂い始めてきた感がある。

下のマップの赤いラインが稲毛道、紫のラインが寄り道。


© OpenStreetMap contributors)




鶴見川を越え綱島へ





左の脇道へ入ると、最初に現れた細い道をすぐ左折する



ズンズン行こうとすると



ズンぐらいで、また四つ辻に


旧道はここを右折するのだが、


右折して立った道は、あら懐かしや


この通りは、綱島温泉の楽園「東京園」の顛末を追った筆者の過去記事で取材した…


大曽根商店街通りではないか


渋い銭湯が通り沿いのすぐ近くにあるはずなのだが、今は稲毛道を前進しよう。


商店街をしばらく進むと、道はゆるやかに右にカーブして



少し太い道に合流する


ここを左折。


住宅地の中をしばらく進むと



お~っと、車がビュンビュン通る大きな道路に突き当たった


ハイ、ここで再び綱島街道に合流だ。ここを左折。


すると、すぐ目の前にある交差点の左手に、こりゃまた懐かしき石碑が


前記した東京園の記事で紹介した、綱島温泉の起源を示す「ラヂウム霊泉湧出記念碑」だ。とはいえ、本来この碑が建っていたのは別の場所だが。詳しくは過去記事を見てほしい。


そして記念碑の向かい、進むべき方向には「大綱橋」が架かる


だが、かつての旧綱島街道では、旧名「綱島橋」は、二つ前の写真の旧道を延長して鶴見川に突き当たった辺りにあったそうだ。


つまり、こんな感じ(© OpenStreetMap contributors



現在の大綱橋のたもとから、かつてあった綱島橋の方向を眺める



そうは言っても今はないので、大綱橋を渡り鶴見川を越える



越えたところで右手を向く



鶴見川の土手を少し歩く



たぶんこの辺りが旧道から直線で結んだ位置の対岸辺りだ



後ろを向くと、そこに土手を下る階段があった


一応、ここを旧道からのつながりの道と認定し、この土手の階段を下りていく。もちろん、かつて旧綱島橋が架かっていた頃、こんな近代的な土手などなかったわけだが。


階段を下りてちょっと歩くとすぐに突き当たり


突き当たりの白いフェンスの向こうは綱島駅周辺の再開発エリアだが、まだまだ工事中のようだ。稲毛道はここを左へ曲がる。


するとすぐに綱島交差点に差しかかる


稲毛道はここを越えて続くのだが、ついつい過去記事の取材場所が気になり、この交差点の右側に目を向ける。


工事現場のフェンスにはこんな「綱島今昔」の写真展示があったりして



その先に見えるかつての綱島のオアシス、旧「東京園」跡地は相変わらずの姿だった


しばし旧懐にふけったあと、きびすを返して稲毛道の先へ向かう。

二つ前の写真、綱島交差点を越えると…


わあ、道は狭まり、車も人も密だ


すぐ目の前に東横線の高架橋が見える。その高架橋をくぐって、すぐ右を向くと…


東横線綱島駅前の通りが見える。ここを右折



するとすぐ右手に綱島駅西口のビルが現れる


綱島街道を左に逸れてから、ふたたび綱島街道に合流し、最終的に東横線綱島駅までたどり着いた――距離にして約1.3km、徒歩16分ほどだ。


© OpenStreetMap contributors)




かまくら道との追分の辻へ




稲毛道をたどる旅は、綱島駅を境にようやく東横線沿線から遠ざかり始める。


綱島駅西口は右側。そのほぼ正面に位置する左手の道を入る



人混みの多い商店街通りをまっすぐ進むと



まもなく斜めに交差する道に突き当たる


稲毛道はここを左折するのだが、突き当り正面に寺院があるのでちょっと立ち寄る。


曹洞宗の東照寺(とうしょうじ)だ


日曜坐禅会も催される禅寺で、江戸時代初期の1649(慶安2)年に開かれた古刹だ。


門前には1715(正徳5)年造立の庚申塔(右)や



1805(文化2)年の銘が入った六地蔵が立ち並び


寺の歴史の深さを伝えている。


また本堂前に立つ大きな布袋尊(ほていそん)は「横浜七福神」のうちの一体だ



まだまだ続く道中の安全を祈念してお参りする


そして、ふたたび稲毛道へ。


東照寺沿いのやや狭い道を進んでいくと



100メートル足らずで綱島小学校入口交差点にぶつかる


稲毛道はここを右折して、少し大きな道をしばし歩き続ける。この道路は県道106号子母口(しぼくち)綱島線だ。


途中左手になかなか立派な郵便局(綱島本通局)などを目にしたりして



5、6分ひたすら歩いていくと、右手にほっそ~い路地が現れる


古道はここで県道から離れ、この脇道へ続く。


人一人通るのがやっとの極細の路地



とはいえ、さすがにその状況は数十メートルで終了



極細道を抜けた右手に古風な和風門構えの邸宅があった


確かに古道らしくなってきたぞ。


そこからまた数十メートルほど歩くと交差点に行き着く


実は、菊名駅前交差点からずっと続いてきた「かまくら道下道」との合流ルートは、ここまでだ。つまりここが、かまくら道との追分(おいわけ)に当たる。

正面奥にまっすぐ続くのが稲毛道で、かまくら道下道はここを右折して日吉方面へ至る。


四つ角の左手を見ると、先ほど歩いてきた県道があり



右手を見ると、この先のかまくら道下道が続いている


上の写真右側の角に建つ古びた家屋が、辺りに異彩を放っていることに気づく。周りの建物が比較的新しそうな民家やマンションばかりなだけに、なおさらのこと。

一見したところ古民家かな?と思わせるが…


いやいや、ここは来迎寺(らいこうじ)というお寺なのである


地図を見ても、はっきりとその名が記されている。

といっても、明治時代初期に「無壇無住廃寺願」が提出され、以来無住なのだという。だが、無住になって百数十年経つ今も、こうして本堂は朽ちずに残されており、廃寺になっているか否かは定かでないらしい。

なんとも不思議な気がするのだが、さらに注目すべきは、その敷地内(境内?)にたくさんの古風な石塔が配置されていることだ。

なんとなく敷地(境内?)に足を踏み入れるのがはばかられて、撮影はすべて敷地外から行い、それぞれの石塔に近づくことはできなかった。そのため、以下の造立年の一部は後日古道関連資料で調べたものだ。


敷地の一番手前右手には「南無阿弥陀仏名号(みょうごう)碑」がある


特徴的な書体から「徳本行者(とくほんぎょうじゃ)碑」とわかる。徳本行者は江戸中期に念仏を唱えて全国を行脚し、民衆から諸大名まで多くの崇敬を受けた僧侶だ。この石碑の造立は1818(文政元)年で、時代も重なる。


また本堂正面に向かって左隅のところに3基の石塔が並ぶ


中央の背の高い石塔は「聖徳太子像庚申塔」で、正面に「元禄五壬申年正月吉日」の銘が刻まれている。元禄5年は1692年だ。その左右にある石仏は傷みが激しく修繕されたような跡が見える。

その手前、写真左側の角柱塔は「天地神祇時中衛護」の8文字がはっきりと読み取れる。


また本堂の左側面にも歳神塔(左)と石祠があり



さらに正面に向かって右側の塀際にも、青面金剛庚申塔と地蔵庚申塔が建っている


資料によれば左の青面金剛像は1681(延宝8)年12月の銘があり、太子像よりさらに古い。右のお地蔵様は1858(安政5)年の造立だ。

ほかにも「百万遍供養塔」がどこかにあるようなのだが、取材時は気づかなかった。

2基の庚申塔の左脇に無造作に置かれた資材らしきものも気になるが、とにもかくにも、まったくこの場所が放置されていたら敷地の草はボウボウのはずだ。

きれいに草が刈られているところを見ると、少なくとも今もどなたかによって管理されていることは間違いないだろう。


今回は興味の尽きないこの異空間がある、かまくら道との追分辻を終点としよう


綱島駅西口から来迎寺までの道のりは800メートル弱。徒歩10分足らずの距離だ。下のマップの赤いラインがその行程、オレンジの矢印がこの先向かう稲毛道、青い矢印がかまくら道下道だ。


© OpenStreetMap contributors)


そして、下のマップの赤いラインが稲毛道第2回の全行程。およそ4kmで、ひたすら歩けば徒歩50分程度か。


© OpenStreetMap contributors)





取材を終えて




ようやく道標と出合えた第2回だった。

とはいえ、これまでの街道歩きと比べると、やはり古道ゆかりの史跡類は、今のところそれほど多い道中ではない。それは横浜市内港北エリアが、近代以降いかに都市化され交通網が整備されてきたかの証しとも言えるだろう。

それにしても、だからこそ最後の最後にたどり着いた来迎寺は、予想外のお堂の姿も含めて驚きだった。ただし、そこにある数々の石塔が、古道ゆかりかどうかは定かでないが。

さて、次回はいよいよ川崎市との市境へ向かう。次第にまた道の様相は変わってくるはずだ。乞うご期待のほどを!

―終わり―


参考資料

『横浜の古道』横浜市教育委員会文化財課編集・発行(1982年3月刊)
『横浜の古道(資料編)』横浜市文化財総合調査会編集、横浜市教育委員会文化財課発行(1989年3月刊)

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  • なかなか興味深いです。起点から終点まで知っている場所だらけなので親しみも湧きました。古道を訪ねてというランニングコースにしてみても楽しそう(でも道に迷うかもw)。

  • よじはまうまれです。シリーズ続編をありがとうございます。神奈川区出身の自分にとっては特に「稲毛道その1」は非常に馴染みのある道であり景色ばかりで楽しく読ませていただきました。しかし「古道シリーズ」もここまで壮大な企画になると投稿者としては3つくらい昇格してほしいですねー(笑)

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