横浜市内にお城は無いの?
ココがキニナル!
神奈川県だと小田原城が有名ですが、横浜市内にお城は無いの?整備(復元)などもあわせて取材して欲しいです。(にゃんさんのキニナル)
はまれぽ調査結果!
現在、横浜市内にお城は無い! 伝承の域にとどまるものもあるが昔は44個のお城があったといわれ、その中で遺構が確認されているものは4つ。
ライター:橘 アリー
横浜のお城とは
「お城」と聞くと、キニナル投稿にある小田原城のように、「高く積まれた石垣の上にそびえ立つ天守閣」を思い浮かべる人が多いのではないだろうか?しかし、横浜市に今、そのようなお城はない。
とは言うものの、横浜にも古代からの長い歴史があるのだから、お城が存在していたとしてもおかしくはない。ということで、まずは横浜市の文化財係に聞いてみることに。
横浜には、お城がたくさんあった!?
文化財係に、「横浜にお城はありましたか?」と問い合わせてみると、「いっぱいありましたよ」と返事が返ってきた。対応してくれたのは、横浜市教育委員会事務局総務部 生涯学習文化財 文化財係の廣瀬有紀雄さん。
「文化財係」の入り口
廣瀬さんのお話によると、戦国時代横浜には数多くの、主に「山城」と呼ばれるような城があったそうだが、現在、横浜市によってその遺構が確認されているのは、寺尾城・茅ヶ崎城・小机城・篠原城の4つだけのようだ。
文化財係で見せて頂いた資料(168の囲みが茅ヶ崎城のあった場所)
寺尾城址は小さな公園として、茅ヶ崎城址と小机城址は城址公園として保存されており、篠原城址は、今後の整備も検討した上で保護・保存されているようだ。
たくさん有ったというお城の数は、朝日新聞横浜支局が出している「神奈川の城」という本に載っていると言うので調べてみると、遺構が発見されていないので伝承の域にとどまるものもあるようだが、横浜市内には44個のお城があったそうだ。
横浜市内に44個ものお城があったとは、実に驚きである。
なお、その中には、「陣屋」「砦」「館」「台場」という名前で記されているものもある。
では「陣屋」「砦」「館」「台場」も城なのか?というと、横浜のお城は、主に防御目的で築かれていて、その目的が同じであることから、これらも城と呼ばれるようだ。
ちなみに、「本牧台場」はペリー来航に備えた対外的なお城で、『昔、本牧山頂公園付近にお城があった?』の記事でも調査した所。
お城の分類
お城は、江戸時代の軍学者によって地勢(高低や山・川の配置など、その土地全体のありさま)をもとに分類され、「山城[丘城]」「平山城」「平城(ひらじろ)」の三つがある。
「山城」は、主に戦国時代に防御施設として山の上に築かれたお城。「平山城」は、戦国時代末期に防御と政治機能を併せもつものとして、築山や丘陵などに築かれたお城。そして、「平城」は鎌倉時代初期から南北朝時代にかけての武士の住まい、室町・戦国時代にかけての守護の居館として、平地に築かれたお城である。
ちなみに「小田原城」は、もともとは「山城」であったが、城下町が拡張を繰り返し、お城と城下町が一体化していき大規模な平山城として発展していったものである。
小田原城
お城の分類が分かった所で、遺構が確認されているそれぞれの城跡へ行ってみることに。
寺尾城址
寺尾城址は、小さな公園になっているが、周囲はほとんど宅地化されていて「寺尾城址」の碑も住宅の一角に置かれている。
公園の所在地は、横浜市鶴見区馬場3丁目で、お城の分類では、平山城のようである。
住宅の一角に置かれている「寺尾城址」の碑
寺尾城の歴史に関しては不明点が多く、一説によると信州の名族・諏訪氏の支流、鶴見諏訪氏が戦国時代に築城し、1569(永禄12)年、武田信玄の小田原城攻撃の際に、城主不在で落城したとされている。
公園の中にある、寺尾城の遺構の説明板
小さな公園である