検索ボタン

検索

横浜のキニナル情報が見つかる! はまれぽ.com

横浜にこんなすごい会社があった!Vol.2「日本初となる『固形コンソメ』を開発、富士食品工業株式会社」

ココがキニナル!

横浜にこんなすごい会社があった! 第2回は日本で初めて「固形コンソメ」を開発した、富士食品工業株式会社をご紹介!

  • LINE
  • はてな

ライター:吉田 忍

世界一や日本一、日本でここだけという企業が横浜にもたくさんある。世界に名だたる有名企業もあれば、知る人ぞ知るという会社もある。
そんな企業を訪ねて、一番やここだけの製品や技術を紹介するシリーズ。「横浜のすごい会社」第2回は、スープに関して世界初や日本初の開発を行った食品会社をご紹介。



日本初の固形コンソメを開発



横浜市港北区大豆戸町(まめどちょう)に本社がある富士食品工業株式会社(資本金3735万円、従業員数1100人)。主力商品は業務用の調味料だが、一般向けに売られているものもいくつかある。中でも、ラベルに「蠣味醤(はおみじゃん)」と書かれた「富士オイスターソース」は主婦ならスーパーなどで見かけたことがある人も多いはず。
 


富士食品工業のオイスターソース「蠣味醤(はおみじゃん)」
 

国産カキから作られたカキエキスを使用した「オイスターソース極」


富士食品工業株式会社は、第二次世界大戦後いち早く日本初の固形コンソメを開発。その後も、世界で初めて麺用の粉末スープの素を作ったというスゴい会社。

しかもその開発秘話は、とてもドラマチックなものだった。
 


会社の歴史や製品について、いろいろ教えてくれた営業企画部の西川正之さん




捕虜生活の中で出会ったコンソメスープ



富士食品工業株式会社は、初代社長である松倉賢治氏が、東京・蒲田で1938(昭和13)年に粉末醤油や味噌などの非常用食品製造をはじめたことがルーツになっている。

第二次世界大戦がはじまると、松倉氏は徴兵され、東南アジアに出兵。終戦後はシンガポールで捕虜生活を送ることになった。

そこで出された食事に松倉氏は深い感銘を受ける。「コンソメスープとパン」というシンプルなメニューだった。スープのおいしさに「こんなに旨いものを食っている軍隊に勝てるわけがない」と思ったそう。

しかも、スープの作り方を見ていると、固形のものをお湯で溶くだけという簡便さ。お湯さえあればこれほど旨くて栄養のあるものを、いつでもどこでも食べられるということに松倉氏は圧倒された。
 


本社に松倉賢治氏の銅像があった


今でこそ、日本は世界をリードするインスタント食品文化が花開く国。顆粒(かりゅう)のコンソメやかつおだしだけでなく、インスタントのスープもおなじみだが、その当時、お湯で溶くだけでスープになる固形コンソメは日本人にとって、驚くほど画期的なものだった。

「なんとかしてこれを日本で再現したい」そう思った松倉氏。帰還できることになったが、固形スープの持ち出しを許してもらえなかったため、なんとかこっそり持ち出せないかと思案を重ねた。

「どこに隠したと思いますか?」西川さんがいたずらっぽく笑いながら聞いてきた。

まったく見当がつかなかったので伺うと、「実はパンツの内側なんです」と西川さん。脇腹のあたりに手を添えて、「パンツの横腹部分の内側にしっかり固形スープを塗りつけて持ち帰るという方法を思いついて、それを実行したそうです」と続ける。

確かにそこだったら、ちょっと折り返しておけば肌に触れないし、見つかりにくそうだ。

こうして固形スープを密かに隠しつつ無事に日本へ帰還した松倉氏は、さっそく持ち帰ったスープを分析し、研究を重ねる。そして、1952(昭和27)年、とうとう国産初となる「固形コンソメ」の開発に成功した。

一般向けの固形コンソメスープ発売では大手に出し抜かれたが、スープやソース、そばつゆなどの分野で研究を重ね、1958(昭和33)年、現在地に富士食品工業株式会社を設立。オイスターソース、粉末そばつゆ、コンソメスープの発売を開始する。
 


 

コンソメスープをもとにできたオニオンスープ


そしてこの年、世界で初めて麺用の粉末スープを開発し、特許を取得。1961(昭和36)年には、即席ラーメン用別添スープを開発し、国内メーカーへの技術援助をはじめた。

この時代、インスタントラーメンはすでに発売されていたが、それはチキンラーメンに代表される、麺自体にスープの素が染み込ませてあるもの。富士食品工業の粉末スープ開発で、ラーメンにはじめて別添スープの素というものが登場することになったのだ!

スープにこれだけ情熱を注いだ松倉初代社長はどんな方でしたかと西川さんに伺うと、「入社して40年近いとはいえ、設立当初のことはわかりませんが」と前置きして、「戦中・戦後と、松倉社長は食べ物で苦労したからでしょうか、ケーキをみんなで食べるようにと社員全員(当時180人)分のケーキ代をそっと渡してくれることが何度もありました。そういう人柄から、社員に広く敬愛されていたんですよ」と懐かしそうに話してくれた。

社員みんなにケーキをごちそうしてくれる社長さん。なんだか家族みたいに温かく、ほんわり優しい雰囲気が伝わってくるエピソードだ。