石川町付近に不法係留されていた『船の休憩室』はどこに消えた?!
ココがキニナル!
打越坂を下った先、車橋近辺に係留されていた「ダルマ船」らしき「船の休憩所」が、忽然と消えました。どうなったのか調べて頂けませんか。(まやさんのキニナル)
はまれぽ調査結果!
不法係留だったこの船は、役所に関係者から「撤去します」と連絡してきた上で自主的に処理されたが、既に所有者は亡くなっており、詳細は不明。
ライター:ワカバヤシヒロアキ
船の休憩室とは?
根岸線石川町駅の下を流れる中村川。
そこに長年停泊していた「船の休憩室」が今年になって姿を消した。
古く劣化した船には「船の休憩室 一泊1000円」と看板が掲げられており、北斗星という名前だったそうだ。
数々の通行人の目をひいていたようで、ウェブ上にもこの船を見かけたというブログ記事などが多数確認できる。
「船の休憩室」があった当時の写真(編集部撮影:2010年7月)
戦後、この地域では船の上で生活する人達であふれていた。
空襲で家屋が焼け、市の中心部の土地の大部分が接収されてしまったことが大きく影響している。
船の上に生活空間を求めた人達にはある程度公的に保護されていたようで、水上生活者のための小学校まで作られていたほど。
中区山手町にあった水上小学校も昭和42年に姿を消した
(昭和42年3月22日読売新聞夕刊)
そんな水上生活者の船を「ダルマ船」と言ったそうだが、今回の船もその頃からのものなのだろうか。
それならば誰が経営し、なぜ突然姿を消してしまったのだろうか。
真相を確かめるべく、まずは現地に向かってみることにした。
船の痕跡は?
車橋から見た中村川、船の形跡は無い
北斗星があった場所
現地に行ってみると、既にその船は跡形も無く撤去されている様子が確認できた。
いくらか残っている鉄骨は係留するために使っていたものだろうか。
入り口となっていた場所も固く閉ざされている
相当長くここにあった船ならば、地元の人が何か事情を知っているかもしれない。
近くにいた人に聞き込みをしてみることに。
このあたりで暮らす男性に話を聞いた
―船の休憩室は無くなったのですか?
「役所が撤去したよ。不法係留だったからね。電気も電線から勝手にひいていたみたいだったしね」
―誰の持ち物だったのでしょうか?
「ちょっと詳しいことはわからないね」
不法に船が停泊していたので、役所が撤去したということだった。
不法係留に対する告示看板もあった
その他にも聞き込みをすると、「昔は船の中で映画を上映していたり、宿泊施設として使っていたみたいだったよ。まぁ利用する人は少なかったけれど」と話してくれたのは近くの花屋さん。
川沿いの工場で聞けば、「あんなの宿泊施設なんて言えるものじゃないよね。許可も出てなかったし」と話してくれた。
その存在は近隣でも知られていたようだが、具体的な事情を知っている人は少ない。
そこで、船を撤去したと言われる川の管理者、横浜川崎治水事務所に聞いてみることにした。
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