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昔、横浜モアーズの屋上に遊園地があった!?

ココがキニナル!

子どもの頃によく連れてってもらった、今はなき「横浜モアーズの屋上遊園地」について調査をお願いします。観覧車はなかったけど、レールと水路の乗り物があった記憶があります。(chihirock!さんのキニナ

はまれぽ調査結果!

確かに遊園地があったが、1982(昭和57)年から縮小され、2008(平成20)年にはすべて撤去された。現在は、駐車場と屋外広場になっている。

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ライター:美村 翔

横浜おかだやデパート誕生

時は、1968(昭和43)年。今から44年前の11月30日、横浜駅の西口に、横浜モアーズの前身である横浜おかだやデパートが開店した。初日の土曜日は入店客12万人、翌日曜日には15万人と大盛況。2日間の売り上げは、1億4,600万円という記録が残っている。

そのころの日本は4年前の1964(昭和39)年に東京オリンピックが開催され、高度経済成長期の真っただ中。郵便番号制が導入され、東京では日本最初の高層ビルである霞ヶ関ビルが完成した。また、厚木ナイロン工業のパンティストッキングや大塚食品のボンカレーが発売され、東京・府中市では、あの3億円事件が起こった年だった。
 


開店当時の横浜おかだやデパート


当時の横浜おかだやのキャッチフレーズは、「楽しさとセンスを創る新しい百貨店」。若い客層、とりわけファミリー層を獲得するために、屋上スペースに併設されたのが遊園地であった。その名も、「港の見える夢の国 屋上スカイランド」。首都圏の人気遊園地を参考にして造られたというそこは、アラビアンナイトの世界を連想させる、まさに子どもたちの夢の国だった。
 


夢の国の完成予想図


乗り物は、4種類。

・象さんの飛行塔
・高架を走る王朝風馬車鉄道
・丸い水路を回る回転ボート
・子ども自動車

そして、港や市街が一望できる展望台があった。
 


象に乗れる飛行塔は、いちばん人気だった
 

2頭の白馬がカボチャ型の馬車を引くモノレール型馬車鉄道


おたずねのレールの写真は見つかったが、水路の写真は手に入らなかった。しかし、完成予想図には、水路の様子がしっかりと描かれている。

残念ながら、写真が残るだけで、当時の遊園地の様子は明らかではない。しかし、イラストや写真から、子どもたちの楽しそうな歓声が聞こえてくるようだ。屋上にこのような大掛かりな遊園地があったとは! 



子どもが大好きな食堂、おもちゃ売り場、遊園地



白土健著『なぜ、子どもたちは遊園地に行かなくなったのか?』創成社によると、昭和30年代の子どもたちにとって、デパートの三種の神器といえば、家族食堂に、おもちゃ売り場、屋上遊園地だったそうだ。休日に家族みんなでデパートにお出かけして、屋上遊園地で遊び、お昼には食堂でお子様ランチを食べ、そして、おもちゃを買って帰る・・・・。それが、休日のお決まりフルコースになっていたという。

実際、当時の横浜おかだやにも、屋上すぐ下の9階に家族向けのおこのみ食堂「スカイプロムナード」が設けられ、6階はチャイルドフロアだった。
 


横浜おかだやの開店を知らせるポスター


しかし、屋上遊園地に転機がやって来る。

1982(昭和57)年11月23日、横浜岡田屋モアーズがファッショビルとして装いを新たにオープン。それまでのファミリー対象のデパートから、ヤング層を対象にしたファッションとアミューズメントのビルに路線を変更。キャラクターブランドのテナントを多くそろえ、横浜のファッションリーダーを目指した。

そのとき、夢の国は規模を縮小されることに。中央部の回転ボートはゲームセンターになり、乗り物は子ども自動車だけになった。売り場からチャイルドフロアもなくなった。
 


飛行塔の象が外され、その下はゲームセンターになった


その後1992(平成4)年1月、さらなる改装によって、屋上遊園地は幕を閉じた。飛行塔とゲームセンターの建物を残してすべて撤去され、ゲームセンターの上を海の見える公園とした。

そして、2008(平成20)年10月のリニューアルオープンとともに、塔もゲームセンターも撤去され、現在のような広場となった。

小島店長は、「1983年に東京ディズニーランドが、1990年にサンリオピューロランドがオープンし、デパートやショッピングセンターの屋上遊園地は、それら大型テーマパークの勢いに押されて衰退したのではないか」と話してくれた。



ビアガーデンやフリーマーケットの会場に



とはいえ、現在も屋上スペースは、期間限定で有効利用されている。夏季にはビアガーデンとして人々に涼と癒しを与え、またあるときは、催物会場として活気づく。
 


毎年ライブ演奏で盛り上るビアガーデン(2011年撮影)


2012年10月7日(日)には、リニューアル4周年記念のフリーマーケット「フリモ」が行われた。あいにくの雨で、駐車場スペースのみでの開催になったが、ファッションメディアをにぎわすファッショニスタたちの熱気で会場内はヒートアップしていた。
 


「フリモ」の様子。流行のファッションアイテムが並んだ(写真は昨年10月のもの)


横浜おかだや開店から44年。かつての子どもたちの夢の国は、おしゃれな大人たちの憩いのパラダイスになっていた。



取材を終えて

タイムスリップした昭和の時代、家族連れでにぎわうデパートに屋上遊園地が存在した。そして、そこに向かう子どもたちには満面の笑みがあったことだろう。
しかし、今の子どもたちにとって、横浜駅周辺のエリアは、どのように映っているのだろうか。かつてのように楽しい買い物の街なのだろうか。それとも、学習塾や予備校が林立する受験戦争のメッカなのだろうか。

横浜モアーズ近くで、休日なのに塾のかばんを背負いながら、うつむいて歩く小さな受験生たちを見かけ、そんなさびしい疑問を持った。


―終わり―


横浜モアーズ
〒220-8533 横浜市西区南幸1-3-1 
TEL 045-311-1471(代表)
yokohama-mores.jp 

参考文献
『岡田屋創業者と百年の歩み』
『なぜ、子どもたちは遊園地に行かなくなったのか?』白土健著 創成社
 

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  • 岡田屋は地上から見上げた記憶だけです。高島屋の屋上はペンギンとアザラシかアシカがいて、生のアジを売っていてエサやりができた。高島屋の5階あたりに渡り廊下でつながっていた相鉄百貨店の屋上はモノレールと豆自動車によく乗った。野澤屋の屋上遊園地も行った。亡き母との記憶がよみがえります。

  • 屋上遊園地、どこも本当に楽しかったなあ。

  • 懐かしいですね~、父の実家から徒歩圏内だったので子供の頃親に連れられて良く行っていたと思います、不思議な鏡やボートにも乗った記憶も。初詣の帰りに立ち寄って似顔絵を描いてもらったのも確か岡田屋だったと思います。高校時代は学校帰りに屋上でブラブラ遊んでいたりしました。それにしてもダイヤから直接入れなくなったのはホントに不便に思います。

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