横浜に本社を構える開局55年のAM局「ラジオ日本」って?
ココがキニナル!
横浜のラジオ局というとFMばかりが注目されがちですが、中区長者町には開局55年にもなる地元のAM局「ラジオ日本」があります。地元企業の一つとして、一度特集して欲しいです(濱のホタルさんのキニナル)
はまれぽ調査結果!
今年開局55周年を迎えるラジオ日本。独自のスタイルを確立、古き良き時代には横浜に欠かせない存在で、現在は関東全域を視野に入れた放送文化を発信
ライター:クドー・シュンサク
ラジオ日本の歴史
都営大江戸線赤羽橋駅から徒歩10分弱。株式会社アール・エフ・ラジオ日本の東京支社へ。
外観写真はNG。中へ
お話は総務局総務部次長の関島徹也(せきじまてつや)さんに話を伺った。
ラジオ関東として産声をあげた、現ラジオ日本。1958(昭和33)年の開局から昭和末期に至るまでは、パソコンの普及どころかテレビでさえ一家に一台という時代で、ラジオというメディアが力を持っていた。この頃は独自のスタイルで、ラジオ日本も最盛を誇っていたという。
当時の娯楽中心ではなく、ニュースと音楽をふんだんに取り入れ、スポーツの実況中継に力を注ぐという型破りなスタイルは、ラジオ日本の独自なスタイルであった。
話を続けてくれた関島さん
開局からラジオ日本のひとつのカラーとして、「港が見える横浜の野毛山の発信局からジャズを流す」というものがあった。当時、ドラマや演芸、歌謡曲に特化したラジオ局のなかで、ハイカラな洋楽を中心とした構成にはリスナーから絶大な支持があったという。
発信局と本社を横浜に置くラジオ局として、存分にその魅力を発揮していた。
取材日は歌謡曲に特化した番組が収録されていた
お洒落な音楽を提供し続けた歴史を持つラジオ日本。関島さんに、ラジオ日本が誇る音源の倉庫を見せていただいた。
それがこちら。
ラジオ日本が誇る・・・
膨大な量のレコード
ここに保管されている音源数はおよそレコードが10万枚弱、CDは約8万5000枚。ラジオ日本の音源はほぼすべてここで管理されている。
矢沢ヨロシク
懐かしい電リクのブース(現在は不使用)
音楽の歴史はラジオ日本の輝かしい歴史の1ページ。
続いて古き良き時代のお話を
隆盛を誇るラジオ関東時代の大看板の番組のひとつはなんといっても、「昨日のつづき」。台本なしで進められるトーク番組で、永六輔氏をはじめとするパーソナリティーの面々による軽妙かつどこかシニカルでユーモアのあるやりとりがウリであった。メインパーソナリティーは永六輔氏から大橋巨泉氏に変わり、番組はさらにラジオ関東の看板番組として勢いを増した。
ラジオ日本に保管されているポスター資料
番組のシメに言われていた名文句、「今日の話は昨日のつづき、今日のつづきはまた明日」は語り草にもなっている。
ラジオ関東の転機が訪れる
1964(昭和39)年、東京オリンピックの年にラジオ関東は本社機能の主力部分を横浜から麻布の東京支社に移転。
その後1981(昭和56)年には社名を現在の株式会社アール・エフ・ラジオ日本に改名。今でもおなじみジャイアンツナイターと競馬中継、音楽は洒落たジャズをはじめとする洋楽から演歌に特化したスタイルに変わり、現在は、夜帯にアイドルを起用する番組を増やす試みもしている。
取材を終えて
1960年代には、ラジオ関東(当時)の中継車が後楽園から帰社の途中にデモ隊と遭遇し、機動隊との衝突を中継していたアナウンサーが殴られ、「警官が今私の顔を殴りました」と報道した事件や、1963(昭和38)年の列車脱線事故「鶴見事故」の際、局員が乗車していた電車から本局に一報を送り、迅速に中継車を送りこむという報道の機動力が光るエピソードもあった。
横浜の野毛に開局した現ラジオ日本。60年代の横浜を語るうえで、欠かすことのできない存在であったともいう。
なお、開局55周年を迎える今年、親会社で筆頭株主である日本テレビの協力により、日本テレビのキャラクター「ダベア」をラジオスタイルにデザインアレンジしたキャラクターを作成。
このキャラクターをグッズとして番組宣伝に広く起用し、開局55周年のイベントも開催予定とのこと。盛り上がりをみせるであろうかラジオ日本。その「これから」に耳を傾けたい。
口が“べ”やね
―終わり―
htさん
2017年07月12日 13時34分
ラジオ日本、もとラジオ関東といえば、自分は土曜日の14時からだったかな?から始まる、「全米トップ40」!当時は中学〜高校くらいで、洋楽一辺倒だったので、毎週楽しみに聴いていました。ケーシーケーサム氏の語り口が懐かしい。
Markanekoさん
2016年09月17日 00時49分
ばんどさん、このベリカードが、ラジオ関東がRFラジオ日本に社名変更した:旧社名のラジオ関東にかえ、『RFラジオ日本』を名…わからない。どうしょう? ありがとう。金子健二マルコスより。http://tokyobombers.sakura.ne.jp/sblo_files/amateurradiostation/image/20130610080855798_0001.jpg
よこはまいちばんさん
2014年11月18日 13時53分
本社:横浜と言えども名ばかりで、実質は東京支社がメインとなっており地元民としては大変残念であり、その影響もあり愛着のもてないラジオ局である。事実、現在本社としている中区長者町のビルも他社との共同ビルであり人の出入りも疎ら。地元軽視のイメージからなのか、窓越しに生放送をしているも外(路上)からの観客も殆どゼロ。取材・放送関連の車両も殆ど見られず・・・新本社建設の際には東京支社(残念ながら実質の本社)から引き戻す覚悟で全面地元回帰を目指して頂けていれば、地元横浜でももっと支持されていただろうと。番組内容に横浜市広報番組や地元企業の提供番組が見られる程度しか地元ラジオ局としては見いだせない。野毛山をメインにしていた頃の方が地元らしくて良かったと思える。