屈指の観光地で穴場スポットはあるのか!?はま旅最終回「みなとみらい」編
ココがキニナル!
横浜市全駅全下車の「はま旅」。最終回となる第120回は、みなとみらい線「みなとみらい」駅。屈指の観光地で穴場スポットはあるのか!? 横浜の歴史に思いをはせながら、2年間の「はま旅」を振り返る。
ライター:松宮 史佳
大さん橋建設~高度経済成長期ゾーンへ
1896(明治29)年、500~600本のスクリューパイルを海底に埋め込み、大さん橋が完成した。以前は“はしけ”と呼ばれる小舟で陸と船を行き来していたが、大さん橋ができ、大きな船舶が直接、さん橋岸に着けるようになった。
表面は塗り直したが、これは当時の実物!
以後、1896(明治29)年と1898(明治31)年には船の修繕施設である第二号・第一号ドックが完成。また、保税(関税を待つ貨物の保管場所)倉庫の赤レンガ倉庫が1911(明治44)年と1913(大正2)年に完成し、「近代港へと発展していった」と山口さん。
1930年代は「海外との交流が盛んだった」そうで、ベーブ・ルースやヘレン・ケラー、チャップリンなどが横浜港に来航した。
戦後は米軍が港の約9割を接収。戦後利用を考え、港を空襲しなかったようだ
(黄緑部分が被害を受けた地域<クリックして拡大>)
以前、黄金町駐車場の取材をきっかけに横浜大空襲を調べた。お話を伺い、空襲時には多くの市民が犠牲になったことを思い出す。
なんとも言えない気持ちになりながら、高度経済成長ゾーンへ。
山口さんによると、高度経済成長期から1960年代後半くらいまでの横浜港の景気は、かなりよかったらしい。
1950~60年代、横浜は松宮が愛する“日活映画”のロケ地としても多く使われていた!
1968(昭和43)年にはコンテナ船が登場。対応するために「新しく港を造り変えた」と山口さん。バブル崩壊後、横浜港は東アジアの中で「コンテナ貨物取扱数では下位の方になってしまった」そうだ。が、しかし! 現在「南本牧に新しいコンテナふ頭を建設中」とのこと。横浜港の“これから”に期待したい!
操船シミュレーターに挑戦!
3時間が経過し、閉館時間に。
「そろそろ帰ろう」と歩いていると・・・小学生の男子2人が船を操縦している!
閉館時間間近だが、山口さんにお願いし、一度だけトライさせていただくことに!
ナビ役=スタッフの柏木麻衣さん
コースは「ぷかりさん橋→大さん橋」「大さん橋→ぷかりさん橋」の2種類。“常に無謀なチャレンジャー”松宮。もちろん難しい後者を選択!
“ドッキドキ”でいざ、スタート!
一見、カンタンそうに見える船の操縦だが、結構難しい。舵(かじ)を切ると、数秒遅れで曲がっていく。その感覚がなかなかつかめない。・・・操縦に慣れぬまま、ゴール目前!
「もっと右に切って!(柏木さん&山口さん)」
アドバイスを受けながらも、舵を切るのが遅れてしまい、「ぶつかる!!!」と目を閉じてしまう松宮。
恐る恐る目を開けると・・・
なんと! 「ゴール」の文字が!・・・なんだかよくわからないが、助かった!
認定書を手にし、大感激!
立ち去る前に「みなとみらいで穴場スポットはないか」と山口さんや受付の方に尋ねる。すると、新商業施設「MARK IS みなとみらい」の辺りに、“旧日本軍の空母兼油槽(ゆそう)船「山汐丸」のイカリ”があるとのこと! ほかにも、臨港パークに“耐震岸壁”や“奇抜な果実のオブジェ”、“リマちゃんという女の子の像”があるらしい!・・・これはかなりマニアックな情報だ。
スタッフの方々にお礼を言い、山汐丸のイカリを探してみることに!
山汐丸のイカリを大・大・大捜索
まずは手がかりであるマークイズへ。受付の女性や植え込みをしていたおじさんに尋ねるが、わからず。
途方に暮れ、以前取材をさせていただいた「横浜美術館」に駆け込む。
美術館の取材ではないにもかかわらず、スタッフの方々は親切に「山汐丸のイカリ」を調べてくれる。
松宮もスマホで調べるが、“イカリの設置場所”は見当たらない。
すると、スタッフの方が「みなとみらいセンタービルの庭」にあるらしいと突き止めてくれる!
しかし、“庭のどこにあるかまではわからない”とのこと。
スタッフの方にお礼を言い、とにかく探してみる!
約10人に聞いたのに「見つからなかったらどうしよう・・・」と思いながら歩いていると、前から男性が!
ここぞとばかりに「みなとみらいセンタービルの場所」と「山汐丸」について尋ねる松宮。すると、「ちょうど行くところなので」と案内してくれる!
山汐丸のことはよく知らないが、「以前庭で船のイカリが見つかった」と教えてくれる男性。
“お助け紳士”にお礼を言い、庭へ!
「イカリはどこだろう?」と見まわしていると、庭の右端に何かある!
走って近づくと・・・「ああっ!」
ついにイカリを発見!!
真新しいビルに囲まれ、ひっそりと佇む“山汐丸のイカリ”
松宮のほかに足を止める人はいない。このイカリの存在に気付く人はいるのだろうか?
敷地にはかつて三菱重工横浜造船所があった
1945(昭和20)年2月17日、停留中の山汐丸は米軍の爆撃を受ける。解体され、船は岸壁に、イカリは「長年行方不明になっていた」そうだ。2008(平成20)年、イカリがみなとみらいセンタービル建設中に発見された。その後、造船所の歴史の継承、横浜という場所の記憶として設置されたそうだ。
時が経っても山汐丸の存在を「忘れないでほしい」と言っているのかもしれない。山汐丸のイカリを見つめ、古(いにしえ)の日々に思いをはせる松宮。
今も移り変わるみなとみらいを見守り続けている
「出会えてよかった」とイカリに別れを告げ、次のスポットへ!