男性器をかたどった石像が保土ケ谷区にある!?ライター松宮が設置された由来と歴史を大捜索!
ココがキニナル!
保土ケ谷区上菅田町289番地付近の駐車場の片隅にある、男性器の形をした道祖神がキニナリます。由来や、何故このようなシュールなデザインになったのか、調査をお願いします!(もしもしもさんのキニナル)
はまれぽ調査結果!
石像は二代目。故人が25年ほど前に子孫繁栄を願い建立。体は男、顔は女を表し、1つの石像で男女を表していると推測される。
ライター:松宮 史佳
大・大・大捜索!
取材すべく、近隣の会社や通行人のおばあちゃんに伺うが、手掛かりなし。
「どうしよう・・・」と思っていると、作業着姿の男性3人の姿が! 男性を呼び止め、「あの、その・・・」「“変わった石像”を取材してるんですけど・・・」と言いにくそうにしていると、1人の男性が「ああ! 男性シンボルの?」とニヤリ。「地主さんがいるから聞いてみれば?」と教えてくれる。
と、いうことで山一体を所有する地主さんの家へ。すると、ちょうど帰ってきた女性と遭遇! 「アヤしい石像」について伺うと、「ああ! あの女性の顔をした!」と女性。・・・そういえば顔は女性っぽいかも! 女性の言葉に思わずハッとする。
体は男らしいが、顔は女性っぽいかも
しかし、「亡くなった父なら知っていたかもしれないが、自分はわからない」との返事。お母さんにも聞いてくれたが、真実はわからずじまい。
この辺一体の土地を所有する地主さんでも「わからない」となると、どうすればよいのか。再び途方に暮れる。すると、歴史に詳しい“しげちゃん”という男性宅まで案内してくれることに!
だが、残念ながらしげちゃんは「畑に出ている(by奥様)」とのことで不在。嗚呼、ふたたびピンチ!
すると、「りきおさんなら知ってるハズ!」としげちゃんの奥様。親切にも、地主の女性がりきおさん宅まで連れて行ってくれる。だが、しかし!!! りきおさんも「(石像の由来は)わからないなー」「やっぱりしげちゃんだよ」との返事。「畑はどこですか? 歩いて行きます」と松宮が言うと、「遠いから一緒に車で行こう」とりきおさん。
いよいよ真実が明らかに!?
・・・親切な地主の女性といい、本当に人のあたたかさが身に染みる。女性にお礼を言い、りきおさんと車へ。
15分ほどで畑に到着!
松野利喜雄さん(左)とついにお会いできた松野重信さん! ちなみにお二人はご親戚
・・・ついにあの石像の真実が明らかに!? ドキドキする松宮。重信さんにお話を伺う。
「あの石像(二代目)体は男だけど、顔はほっかむりした女性みたいだよね」と重信さん。話を進めると、石像はもともとあの場所にはなかったらしい。しかも、あの形(男性器)ではなかったとのこと。・・・衝撃の事実が発覚! 一体どういうことなのか!?
石像の歴史
以前、石像はバス亭(寺下橋)の近くにあった。石像は男性のシンボルではなく、「石が二段か三段重なったものだった」とのこと! つまり、男性シンボルは“二代目(以下、二代目)”なのだ!
思わぬ事実が発覚し、驚く松宮。初代はいつからあったのか伺うと、「多分、子どものころからかなあ」と重信さん&利喜雄さん。ちなみに現在、重信さんは85歳、利喜雄さんは81歳(お二人ともお若い!)。
“初代石像のイメージ”(松宮走り書き・取材メモより)
“実は二代目だった”という、驚愕の事実が判明!
正確な時期はわからないが、初代は80年ほど前にはあったと推測される。お二人に初代の由来を尋ねると、「気づいたらそこにあった」「意識したことないから(なぜあったのか)はわからない」との答え。
お二人が子どものころ、初代は道祖神として祀られていた。道祖神とは、村の堺や辻に置かれ、「(村の中に)悪いものが入らないように村を守る神様」「地域の豊作や子孫繁栄などを願うもの」と重信さんが教えてくれる。
小正月には初代の前に書初めや松飾りなど高く積み、燃やしていたとのこと。これは“どんと焼き” (地域によりサイノカミヤキ・左義長<さぎちょう>など呼称はさまざま)と呼ばれ、無病息災を祈る行事。
『年中行事辞典(西角井正慶<にしつのいまさよし>・編)』
小正月は陰暦で1月15日、または1月14日から3日間など、地域により異なる。ちなみに、どんと焼きは「今でも二代目を囲いながら開催されている」らしい。
『年中行事辞典』によると、どんと焼きは道祖神の祭場で行われるので、双方が関係あるらしい。だが、道祖神がいない地域でもどんと焼きは行われるという見解もある(『道祖神のふるさと 性の石神と民間習俗(伊藤堅吉・遠藤秀雄著)』)。
後ろ姿はこんな感じ
また、道祖神はサエノカミなどさまざまな呼び方があるらしい。
確かに二代目にも“歳ノ神(サイノカミ)”と書かれている!