本牧のディスコ文化から生まれたダンス「ハマチャチャ」の歴史と現在について教えて!
ココがキニナル!
ハマチャチャの歴史や現在についてが気になります。(BaOHさんのキニナル)
はまれぽ調査結果!
ハマチャチャは1970年代、横浜で小山成光さんら5人の若者が黒人兵が踊っていたものをアレンジして生まれたダンス。今もイベントで楽しむ方もいる。
ライター:大和田 敏子
ハマチャチャの創始者、小山成光さんを直撃!(続き)
小山さんにハマチャチャ創生期のお話をうかがい、そろそろ失礼しようかと思っていたところ、最初のお客さんが来店。なんと、小山さんの三番弟子、栗林秀明さん。「リンディ」のスタッフだったという。LA-JOYを訪れるのは、本当に久しぶりだそう。奇跡のような出会いに感謝!
久しぶりの三番弟子の来店に上機嫌の小山さん
ハマチャチャについて動画などで、説明してくれた栗林さん
当時はディスコ全盛時代。「リンディ」と前後して、元町には「エルバンバ」、石川町には「アップル」があった。横浜駅西口には、「パープルフィッシュ」、「ソランテ」があり、その後、「K&E」、「ソウルトレイン」といったディスコができた。
さらに、桜木町の「インフィニティ」、中華街の「ミルキーウェイ」、伊勢佐木町の「プラスワン」、元町の「アストロ」、関内の「シャーク」などが続々とオープン。それぞれの店に個性があったようだ。
「リンディ」昼間の様子
その中にあって「リンディ」は、日本で初めて、入店の際の服装チェックや男性同士での入店を禁止したディスコで、流行の最先端を行く店だった。他店より遅くまで営業していたこともあり、東京からも多くの客が訪れ、横浜中の他店ディスコスタッフも踊りにやってくるような店だったそう。店内のDJブースが黄色のシトロエンだったことも注目された。
リンディの店内にあったシトロエン
車内がDJブースに
店内の様子。黒人兵の8ビートに合わせて踏むステップがハマチャチャにつながった
男女で向かい合って踊るチャチャと、気の合う同性同士で踊るフリーチャチャを合わせて、ハマチャチャと呼ぶそうだが、実は、ハマチャチャは当初からの呼び名ではなく、横浜で生まれたステップだということで、しだいにハマチャチャと呼ばれるようになったのだという。
そのステップにはすべて名前がついていて、一緒に踊る仲間同士で声を掛け合い、ステップをそろえるのだそう。
リンディのスタッフの方々
当時は、横浜だけでなく、横須賀ではスカチャチャ、東京でパルスビートなど、独自のステップがあったという。
しかし、ディスコブームが終焉をむかえ、リンディも1986(昭和61)年ごろには閉店。
行き場を失ったハマチャチャは、パーティで披露したり、イベントの場で楽しむという形で残されてきた。栗林さんも、リンディ閉店から15年後の2002(平成14)年から2005(平成17)年まで、「リンディナイト」というイベントを開催していたという。
横浜開港150周年ヨコハマカクテルコンベンションでの小山さんと栗林さん
軽やかなステップを見せるお二人(クリックで動画サイトへリンク)
現在のハマチャチャは?
発祥や歴史が分かったので、今度は現在のハマチャチャの様子を知りたいと調査開始。横浜のディスコやダンススクールを調べるも、なかなか良い機会が見つからない。そこであらためて栗林さんにも助言をいただく。
ハマチャチャオンリーのイベントというわけではないが、70年代のディスコを楽しむイベントで、横浜からも多くの方が参加され、ハマチャチャが踊られる機会も多いと聞き、6月29日(日)マハラジャ六本木で行われた「SOUL STEP NIGHT(登録商標)」 にうかがうことにした。
イベント開始前のマハラジャ六本木店内
イベントを主宰した石島弘章さん
石島さんは、2000(平成12)年9月から年4回程度、同イベントを開催している。30代前半、呼吸不全で生死をさまよい、このまま死んだら悔いが残ると感じた。万が一、元気になったら、楽しかった青春時代を再現するようなディスコイベントをやりたいと思ったという。
湘南出身の石島さんは、横浜にあるディスコによく踊りに行き、高校1年生のころ、ハマチャチャに出会った。ステップをそろえて踊っている姿を見ると、自分も踊りたくなった。
「同じステップでも、その人の体形などによって見せ方も違うし、踊る仲間によって技の入れ方も違う。ハマチャチャは、個性を一番楽しめるダンス!」と石島さん。
「長身を生かした小山さんの踊りは、シンプルですごくカッコよかった!」とも。
今回のイベントチラシ
イベントには毎回100人以上の人が集まるという。昔踊っていた人には、リフレッシュしてもらいたいし、昔の仲間がつながる場にしたい。若い方にも広めたいし、東京の人にも知ってほしい。以前は横浜でイベントを行なっていたが、そういう意味では、六本木の方がハマチャチャを広めやすいという面もあるそうだ。
「世代や店によって、多少踊りが違うのは当然。自由に楽しんでほしい!」と石島さんは言う。
少しずつ客が集まり始めたころ、石島さんによるハマチャチャのレッスンが始まった。
初めは基本形のステップから。編集部・宮城(後列・中央)も必死で覚える
最初は、基本形のステップだけでも追いつくのがやっとだった宮城だが、繰り返し練習するにつれて、滑らかにステップを踏むことができるようになっていた。
ターンや手に足をタッチするような難しいステップも
レッスン終盤。簡単なステップはなめらかになってきた!?
20分ほどで5、6種類ほどのステップを教えてもらい、レッスンは終了。前半はまずまずの感じでステップについていった宮城だが、難しいステップになると、そう簡単にはいかなかったよう。
「後半は難しかった! けど、ダンス初心者でも練習を繰り返せば、なんとか踊れそうな感じがする。徐々に難しい技を習得していければ、どんどん楽しくなりそうですね」と宮城。
レッスンが終わると、フリータイム。
自分の好みの曲がかかると、フロアに出ていく
みんな楽しそう!
来場者にも、少しお話をうかがうことに。
片瀬江の島から来場した箕田雄樹(みたゆうき)さん
箕田さんは40歳。ハマチャチャ世代ではないが、地元で主宰の石島さんと出会い、ハマチャチャにはまったとか。
海老沢昌子さん(左)と塩川恵子さん
横浜出身のお二人は、35年以上前、別々にディスコに通っていたが、周囲からいっしょに踊ることを勧められ、以来、いつもペアを組む仲に。ハマチャチャは、どちらかというと男性の方が映える踊り。女性のペアは少ないようだ。
70年代の横浜のディスコは、女の子にとっては危ない店も多かった。親しいスタッフがいたり、安心できる店を選びながら、ほぼ毎日、ディスコに通っていたというお二人。数種類のステップ連続技などには、二人にだけわかる合図があって、互いのステップを合わせる。「ハマチャチャの組み合わせは無限大。自分達の個性を出せるダンス」と話す。
そうこうしているうちに、フロアでショーケースが始まる。