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多摩川河川敷に国内初のサーキット場があったって本当?

ココがキニナル!

川崎市中原区に「多摩川スピードウェイ」というサーキット場があったらしいのですが、どのようなものだったのか気になる(紀州の哲ちゃんさんのキニナル)

はまれぽ調査結果!

なんとあの本田宗一郎も参戦していた国内初のサーキットでは、1936年に第1回レースを開催! たしかに多摩川河川敷に存在していた

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ライター:ムラクシサヨコ

本田宗一郎がクラッシュ!?



「多摩川スピードウェイという常設サーキットが、1936(昭和11)年に存在しただけでも驚きですが、さらにすごいエピソードがあるんですよ」と松島さん。

それはなんと、多摩川スピードウェイで同年に開催された日本初の本格的な自動車レース「第1回全国自動車競走大会」にホンダの創業者・本田宗一郎がレースに出場して、クラッシュしたということ。

松島さんはレースのクラッシュを伝える当時の新聞も探し出した。
 


本田宗一郎「選手」が事故を起こしたと伝える当時の新聞
 

あの本田宗一郎が選手としてレースに出ていたことがまず、びっくりだ。「これは知らない人がほとんどなんです。こんな面白いネタ、ぜひ多くの人に知ってほしいですよね」と松島さん。

驚きの連続だが、なんとこのレースの様子は動画が残っている。

1936年に行われた自動車レースを、現在の風景に合わせて再現させた映像


動画に登場する観客や旧式の自動車が時代を物語っている。観客席の盛り上がりぶりも興味深い。ちなみに、このレースが行われた年は二・二六事件があった年。戒厳令の敷かれた中でのレースだったが観客が大勢集まり、大興奮に包まれていたという。
 


1938(昭和13)年4月のレースの写真(c) 『s-kobayashi archive』
 

本田宗一郎は、この第1回自動車競走レースに自らフォードを改造した「浜松号」で参加。1936年の出来事なので、30歳のときだ。本田技研を創設するずっと前(本田技研設立は39歳の時)、自動車修理工場「アート商会」に勤務したのちに、浜松に一人で支店を出していたころの話だ。

本田宗一郎は、顔の左半分が潰れる大怪我で、右肩を脱臼。手首も骨折して、このときのケガの完治まで1年半もかかった。メカニックとして弟の弁二郎さんも同乗していて、肋骨を4本折ったという。1歩間違えば兄弟の命も危なく、世界のホンダがこの世に存在しないことになっていたのかもしれない。

「この話はホンダの社員に聞いても知らないというんです。クラッシュしたから、あまり縁起のよい話ではないと、公にしていないのですかねぇ」と松島さん。なお、第1回全国自動車競走大会の優勝者は大田区の「オオタ自動車」。強豪・日産自動車を破っての勝利だった。


同年秋に行われた第2回自動車競争レースの映像も残っている

 
多摩川スピードウェイでは、1935(昭和10)年の開設以降、年2回レースが開催されていた。1939(昭和14)年、太平洋戦争が開戦されると、レースは行われなくなるが、1949(昭和24)年11月6日、「全日本モーターサイクル選手権」によって、日本の戦後レースが復活した。

やっと訪れた平和な時代、バイクレースが復活し、かつての熱狂も戻ってきた。しかし、1950(昭和25)年に、千葉県船橋市にオートレース専用のコースが造られると、大規模なレースがこちらで行われるようになった。

次第に、多摩川スピードウェイでのレースは行われなくなり、その後、ほぼ自然消滅してしまう。跡地は野球用のグラウンドになり、現在に至っている。
 


現在も野球の練習場として使用されている
 



サーキットの名残が残っている



松島さんによると、サーキットだったころの名残がいくつかあるという。
まずは、この階段。
 


多摩川スピードウェイの観客席としてつくられた階段が今も健在
 

何気なく当たり前のように見ていたが、この階段はサーキットの観客席だったのだという。
この階段をよく見ると・・・
 


穴が開いている
 

等間隔で穴が開いているが、これは、観客席の手すりかベンチの跡ではないかと言われているそうだ。

筆者が河川敷を訪れたときは判別ができなかったが、松島さんによると、うっすらとコースの跡も見えるのだという。
 


このカーブがサーキットの名残だとか
 

ここに多摩川スピードウェイがあったことを知る人は少ない。

現在、多摩川スピードウェイのレースに出場したり、車両を出した方々の子孫などが集まった「メンバー多摩川スピードウェイの会」が中心になって記念プレートを設置しようという動きもあるという。日本初のサーキットがここにあったことを多くの人に知ってもらおうと松島さんも奮闘中だ。



取材を終えて



多摩川河川敷に戦前にサーキットがつくられていたというだけでも驚きだが、本田宗一郎が選手として出場していたり、動画が残っていたりと驚きの連続だった。

動画に出てくる国産レース用自動車のクラシカルな雰囲気もなんともいえない味わいだ。

こんな面白い話がなぜあまり知られていないのだろうか。二輪文化を伝える会の松島さんも首をかしげていた。松島さんにはお話のほか、資料提供など大変お世話になりました。ありがとうございました。


―終わり―
 

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コメントする
  • Ozokさんが書かれている自動車教習所跡とは、交通公園の事かもしれないですね。川崎市が運営していた交通公園が河川敷にあって、遊びに行った記憶があります。同様の交通公園は上平間の平間公園等何か所かありましたね。

  • たまたまここを見つけましたが,感謝です.こどもの頃からのキニナルが解けました.この階段跡のすぐ傍で,25年間育ちました.河原では毎日のようにバッタをとったり草野球して遊んでいたのですが,物心ついた時から触れていると当たり前で気にならないのですよね.でも大人になって,これ観客席だよなぁーーと思っていたのでした.ここには出てきませんが,オーバルコースの横には,自動車教習所の跡もありました.クランクや踏切などです.そのため,大きなコース跡も自動車学校のものと勝手に理解していたのです.でも,やっと,観客席とのツジツマが合いました.自動車教習所と観客席ではイミフメイでしたので.こんどは,自動車教習所の歴史も調べて頂けると嬉しいです.跡は昭和50年代まで残っていたはずです.嬉しくて,たくさん書いてしまい,すいません.

  • 私(56)が小学生の頃はコースが残っていていて自転車でレースの様な遊びをしましたよ~(笑)

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