防空壕跡? 保土ケ谷の切通しにある埋められた穴の正体は?
ココがキニナル!
保土ヶ谷橋バス停(井土ヶ谷切通し側)のそばの石垣に、大きな穴を埋めたような跡があります。何の跡なんでしょうか?(たろすけさんのキニナル)
はまれぽ調査結果!
戦時中に掘られた防空壕だったが、近隣住民の要望で埋められた。入り口を埋めただけなので、中は空洞になっている。
ライター:小方 サダオ
周辺住民が語る穴の正体とは(つづき)
そして、戻られた前出のSさんご主人に話を伺うと「あの跡はもともと防空壕です。そして、その防空壕があった石壁は、戦前からあり、井土ヶ谷への切通しを工事した際に整備されたものです。その壁の表面の石積み部分を四角く切り抜き、奥の岩盤を丸く削って作ったのが、あの防空壕です」とのことだった。
『保土ケ谷区史』によると「震災後の復興計画として1930(昭和5)年3月に切通しが完成した」とあった。壁が整備されたのは、1930年ごろのようだ。
切通しを工事した時に整備された壁だという
石積みの内側の岩盤が露出した場所
防空壕の入口というと、天井部分が丸みを帯びたものが一般的なイメージで、四角い穴であることに違和感があった。しかしここのものは外側の石積み部分を四角くくりぬいたもので、その奥の穴は円形に掘られたものだったようだ。
壁に打ちこまれた錆びた金具
歴史を感じさせる排水口
さらにご主人は「穴の奥ゆきは10メートルほどありました。あそこにある2つの防空壕は、戦時中に役所のほうで公的なものとして作ったものです。しかし私たちは個人で家の敷地内などに作った防空壕を使用していたため、あそこの防空壕は使ったことはありませんでした。穴の近くにあるマンションが建った後くらいに穴がコンクリートでふさがれました。それまではゴミを捨てられて臭くなったりしていたので、木の板で柵などを作って防いでいました」と続けた。
穴が開いていたときはゴミなどが捨てられていた
そこで、保土ケ谷土木事務所の担当者に、防空壕の工事について伺うと「当時の資料はなく詳しいことは分かりません」とのことだった。
法務局で調べると、横浜市の所有地だったため、防空壕の工事は土木事務所で行われたものなのだろう。
土木事務所が管理する投稿の壁がある場所(青矢印)
埋められた穴の跡は、戦後、使われなくなった防空壕が、市民の要望により埋められたものだったようだ。
周辺にある防空壕跡を探す
続いて周辺住民から保土ヶ谷区には防空壕が多かったと聞いたため、近くの防空壕も探してみることにした。
投稿の防空壕(青矢印)と大仙寺(だいせんじ:緑線)と遍照寺(へんしょうじ:青線)の位置関係
この辺りは宅地造成などで埋められたものが多いようだが、お寺の敷地内にあったものなどは面影が残る場所もあった。
大仙寺
東海道線の線路沿いに建つ大仙寺では、敷地内に防空壕は2ヶ所あったが、どちらも埋められいた。
防空壕があった場所の1つ
このあたりにも防空壕があった
また周辺には埋められたものが多く、実際にまだ穴として残っているものがないか探してみたところ、旧東海道の近くの遍照寺には、今でも防空壕に使われた穴が残っているという。
遍照寺の柴義彰(しば・ぎしょう)住職に伺うと「当院の敷地内にある山には横穴が貫いており、入口のほうは空いていますが、出口のほうは蓋がされています。戦国時代の小田原北条氏の脱出時の抜け穴である、という説があるのですが、戦時中はこの横穴が近隣の人たちの防空壕として利用されました。横穴の中には、家族ごとに入れるように、通路に沿っていくつもの部屋が作られていたそうです」と答えてくれた。
遍照寺の柴住職
境内の山に掘られた横穴
横穴の出口は石版でふさがれている
石板には「大東亜戦争 帷子町月見洞 起工1944年8月1日 竣工昭和19年11月3日」などと彫られ、ほかに工事の関係者と思われる人たちの名前が記されている。
穴をふさぐ石版
町内会で作られたという「帷子町月見洞」
時代とともに、減ってきた戦争の痕跡は、さまざまな形で現在に残っていた。
投稿の場所では放置された防空壕が問題になったようだが、遍照寺の場合のように歴史的遺産としての価値を感じるものもあるといえよう。
取材を終えて
戦時中の歴史の産物である防空壕の跡が、交通の激しい道路沿いに今も残っている。いろいろな使われ方で姿を変え、立ち続ける石積みの壁が印象深かった。
戦時中の痕跡を残す壁面
―終わり―
ポスポスさん
2016年08月26日 14時56分
昔日吉にもたくさんありました。今はどうなっているのかは不明ですが4歳5歳当時は中に入って遊んでいました。「防空壕」の意味も知らず・・。
マルヲさん
2016年08月26日 12時30分
本牧にもあります。中図書館の裏手です。
私は逆に、戦争の傷痕は危険のない範囲で残した方がいいと思ってます。
先祖が空襲を必死になって逃れてくれたおかげで、私達の命が繋がっているのです。
たろすけさん
2016年08月26日 11時45分
この質問の投稿者です。
小さい頃から何となく不思議に思っていた穴について30年越しで知ることができました。はまれぽさん、詳しい調査ありがとうございます!
さらに、この場所の近隣にも戦争遺構があるとは!地元でありながらまだまだ知らないことだらけで、地元愛がより深まりました。