港南区のダイダラボッチ伝説、その真実とは?
ココがキニナル!
市営地下鉄上永谷駅から野庭団地に向かう途中、昔ダイダラボッチという巨人がいたようですが、どんな真実がありますか。他にも横浜市内での都市伝説などがあればレポお願いします。(ハマっこ3代目さんのキニナル)
はまれぽ調査結果!
平地が少ない地形と、要路が交差する地理的条件などが複合的に重なり伝説が生まれたと考えられます。足跡は今でもありました!
ライター:ほしば あずみ
ダイダラボッチの足跡だという「飛び田」は?
貞昌院では年代毎に航空写真を撮っており、周囲が開発される前、昭和27年のものを見せて頂いた。
それに適宜書き込みをしたものをごらんいただきたい。
川沿いに広がる田んぼの他に、山あいにぽつぽつと田んぼが存在するように見える。
これが「飛び田」である。
足跡らしき飛び田が確認できた!
野庭のダイダラボッチ伝説とは、武相国境のたたらとダイダラボッチ、鎌倉下の道の北条政子、二つの伝説が同じ地域で語られていくうち、一つの話として合わさっていったものであるという仮説が立てられる。
では、今そのダイダラボッチの足跡は?亀野副住職によると、伝説で「糞山」とされていた馬洗橋付近の山も数年前にマンションに変わってしまったという。
前方に見えるマンションがおそらく例の名前の山だった
「ただ野庭には農業専用地区があるので、そこで昔の様子が感じられると思いますよ」
と、案内していただける事に。
これがダイダラボッチの足跡!
農業専用地区、略して「農専」は横浜市が計画的に保全している農地である。
農専なら周囲の環境も含めて、かつての野庭の田畑の様子を残しているかもしれない。
はたして…
山間に点在する野庭の田んぼ。その一つひとつがダイダラボッチの足跡だ
野庭に飛び田があるのは平らな場所が少ないという地形的な理由によるようだ。
なんとなく、山の向こうから大きな顔がにょっきりと覗いても不思議ではない気がする。
山に囲まれた狭い谷戸を開墾した苦労がしのばれる
さらに、現代に残る鎌倉下の道にも案内していただいた。
場所は丸山台の端。かつて尾根伝いの、こんな道を人々が往来した
下の道を背にすると、天谷大橋や馬洗橋交差点が遠望できる。ランドマークタワーも見えた
尾根道はここで切り取られているが、かつては前方の丸山台の頭上を通って続いていた。
この場所もまもなく開発で姿を変えてしまう場所だという。
ダイダラボッチの力を借りるまでもなく、我々は山を崩し川の流れを変え、まちなみを変貌させているのだ。
まとめ
一晩で山を築き、足跡が海や沼になる巨人ダイダラボッチ。
一見突拍子もない話のようだが、かつては当たり前のように抱いていた自然への畏敬の念や、火の中から硬い鉄を生む異能集団の姿から発生した伝承なのだろう。
意外と身近な場所にダイダラボッチがいたことも驚きだったし、郷土史にふれることでその土地の記憶に宿る、昔の人の営みや思いを改めて考えさせられた。
他にも市内でのキニナル伝説をご存じの方は、ぜひ編集部までご連絡いただきたい。
<取材協力>
天神山貞昌院
http://teishoin.net/
<参考文献>
『港南の歴史 区政10周年記念』
港南の歴史発刊実行委員会/編(1979年10月)
―終わり―
Mickyさん
2020年02月12日 12時36分
相模原市淵野辺にも同様の伝説があります。足跡は淵野辺駅南口の鹿沼公園の池と淵野辺駅北口の旧カルピス倉庫敷地内。現在青学から線路に行く場所にお堂と記念碑が残っています。私の小学校時代の遊び場所でした。
さぶさん
2014年10月25日 19時04分
>>場所は丸山台の端。かつて尾根伝いの、こんな道を人々が往来したこの場所の詳細を記載してほしかった。
都筑のふくちゃんさん
2013年06月28日 10時29分
足跡発見すごいですね!レポートありがとうございました。世界遺産に登録された富士山とデイダラボッチの伝説を結び付けてまとめていただき、今年は大いにPRしたいと思いました。港南区だけでなく、富士山から東の地域には、たくさんの伝説が残っています。