ラー博「支那そばや」卒業当日の様子をレポート!【現場レポート第2弾】
ココがキニナル!
「支那そばや」が12月1日、ついに新横浜ラーメン博物館を卒業した。約20年間に渡ってラーメンファンの胃袋を満たしてきた名店の最後の様子がキニナル(はまれぽ編集部のキニナル)
はまれぽ調査結果!
多くのファンに愛される支那そばやには、最終日も大勢の人が詰めかけた。ラー博は卒業してしまうが、今後も引き続き戸塚の支那そばや本店は元気に営業する。あの味が恋しくなったら本店に行こう!
ライター:はまれぽ編集部
天国の佐野実氏に届く、終わらない行進
いよいよ開店した支那そばや。開館前の行列がそのまま流れ込んだように、店先には大行列ができた。
ついに開店!
この瞬間を待ちわびていた
開店と同時に満席となる
行列がぎっしり
階段の下まで行列は伸びている
次から次へとお客さんが押し寄せ、順番にお店に流れていく。その様子はまるで、ファンによる支那そばやへの祝福の行進のようだった。この行進はいつまでも終わることなく続き、なんと、10時30分の開店から20時を過ぎるまで列が途切れることはなかった。
この間、ずっと店頭に立ちチケットのもぎりをしていた人物がいる。
ひとりは、しおりさんの娘で株式会社エヌアールフード代表取締役・佐野史華(さの・ふみか)さんだ。
卒業祝いの花束を持つ史華さん(左)としおりさん
史華さんが支那そばやの運営に携わり始めたのは、佐野実氏の死後からだという。それまでは、百貨店・三越で受付の仕事をしていた。
はじめ、まったくの未経験であるラーメン店での仕事には苦労が多かったという。現場のスピード感についていくのに必死だったが、このときにチームワークの重要性を再認識した。スタッフ同士が協力し合い、その調和のとれたおもてなしが、支那そばやの強みだ。
三越時代の同僚もお手製の「佐野実お面」で駆けつけた
いまでは、ホール、洗い場、仕込みといった現場仕事のほか、会社の運営もこなす史華さん。途切れない行列を前に、「20年間の重みを感じる。もう感謝しかありません」としみじみ語ってくれた。
そしてもうひとり、店頭に立ち続けた人がいる。
支那そばやに小麦粉を卸している大和産業株式会社の一色優暢(いっしき・まさのぶ)さんだ。
チーム支那そばや小麦粉担当・一色さん
一色さんは入社して初めての仕事が、なんと佐野実氏のお墓掃除だったのだという。その時点から、支那そばやの担当になることは運命づけられていたのかもしれない。
麺にこだわる支那そばやだ。配合も細かく、気温や湿度によって小麦粉の状態も変わるためその仕事は困難を極める。しかしだからこそ、責任とやりがいを感じて日々取り組んでいる。
「卒業はさみしいです。でも、これは新たなスタートラインですね」
まっすぐに前を見つめる一色さんの瞳には、むしろ希望が滲んでいるように見えた。これからもチーム支那そばやとして、小麦粉担当の役割は担っていく。今後の活躍も期待したい。
さて、ラー博に出店する他店の方にも支那そばや卒業にあたってお話を聞いたので、ここでご紹介する。
まずは「八ちゃんラーメン」店長・中谷睦(なかたに・まこと)さんだ。中谷さんは以前にもはまれぽにご登場いただいている。
「八ちゃんラーメン」店長・中谷さん
八ちゃんラーメンの記事はこちら
支那そばや卒業について、中谷さんはまず「さみしいですね・・・」と心境を吐露。
「八ちゃんラーメン開店のときに、佐野しおりさんにはお世話になったんです。いろいろと心配して気にかけてもらって、アドバイスももらって、とにかく助けてもらいました」
同じ福岡のよしみで、ラー博出店時よりしおりさんには気にかけてもらっていたという。お店はライバルであっても、そこにいる人間同士のつながりには絆や情愛がある。素敵だ!
次にお話を聞いたのは「無垢ツヴァイテ」の清水さん。
熱い思いを語ってくれた清水さん
清水さんは昼休憩の際、支那そばやに行くことが圧倒的に多いという。ラー博に出店する店員のみなさんは、互いのお店で昼食をとることが多いそうだ。
清水さんは支那そばやを、「ラーメンの聖地25年の歴史を築き上げた立役者」と評した。テレビで佐野実氏を観ていて、そのラーメンへの情熱と向き合い方、チャレンジを忘れない姿勢に深く感銘を受けたという。
「卒業は本当に残念。心から敬服の念といいますか・・・いろいろと勉強させてもらって、感謝の気持ちでいっぱいですね」
朴訥(ぼくとつ)とした職人気質の清水さん。しかし、その言葉には熱い思いをしっかり乗せて語ってくれた。
同業者からも尊敬され、その卒業を惜しまれる支那そばや。改めて、ラー博で歩んできた20年という歴史の重みを感じた。
いよいよ閉店、大団円の卒業!
21時30分。ついにラストオーダーの時間が迫ったそのとき、ひとりの男性が駆け込んできた。支那そばやラー博店最後のお客さんとなったその男性は、スタッフに好きな席を促されると、迷わずある席へ向かった。
カウンター席右端を選んだのにはワケが・・・
そして、最後の一杯を前に神妙な面持ちで手を合わせる男性。静かに、気持ちを込めて「いただきます」とつぶやいた。
これがラー博店最後の一杯
ゆっくりと、ひとくち、ふたくち、スープを口に運ぶ。
そのときだった。
突然、声を詰まらせて男性は泣き始めた。
思わずカメラのシャッターを切った筆者だが、あまりに予想外の事態にうろたえてしまった。しばしの嗚咽のあと、ふたたび男性は箸を手に取った。
しかし、尚もあふれる感情を抑えきれない
その頃、お店の外では最後のお客さんを送り出すため、スタッフが一列に並んでいた。
横一列に整列する支那そばやスタッフ
ひとくちひとくち噛みしめるように箸を進める男性。そして、名残惜しそうに最後の一滴までスープを飲み干すと、ふたたび泣き崩れた。
しばらく顔を伏せたままだった
「ごちそうさまでした」。しみじみとそう呟くと、男性はおもむろに席を立ち、店内に深々と一礼してお店を出た。
そして、外で待ち構えていたしおりさんとガッチリ握手。スタッフ全員に見送られ、支那そばやをあとにした。
最後はしおりさんと固い握手
スタッフ全員の拍手で見送られる
さて、キニナルこの男性。支那そばやに相当な思い入れがあるに違いない。早速、直撃してみた。
最後の客となった杉山さん
男性は静岡県在住の杉山さん。まずは、迷わずカウンター席右端を選んだ理由から聞いてみた。
「あの席は、初めてこのお店に来たときに座った席なんです」
支那そばやは、ラーメン店のある地下フロアへの階段を下りるとすぐ右手にある。杉山さんが初めて支那そばやに来店した理由は、単にそれだけだった。
「最初に目についたお店がここだったので、ふらっと、何も考えずに入りました」
しかし、このときに杉山さんは大きな衝撃を受ける。
杉山さん曰く、当時静岡にはおいしいラーメンのお店があまりなかったのだそうだ。
「静岡で食べていたラーメンと同じビジュアルなのに、支那そばやのラーメンはあまりにおいしかった。一瞬で虜になりました」
あまりの衝撃に、退店後すぐまた並び直し、2杯目を食べたという。以来、「つらいことがあってもここのラーメンを食べると頑張れる。背中を押してもらえる」と通うようになった。
某テレビ番組の取材も受ける杉山さん
最後の一杯を食べたときの心境についても聞いた。――あの涙のワケは?
「これを食べたら閉まってしまうと思うと・・・我慢できませんでした。正直、ラーメンに集中することはできませんでした」
初めて支那そばやのラーメンを食べたときのことや、これまでの思い出が次々と胸に去来したのだろう。最後は笑顔で去っていった杉山さん。突然の密着にも快く応じてくれた。どうもありがとう!