横浜市会議員の荻原隆宏さんを徹底解剖
ココがキニナル!
フリーターから横浜の市会議員になった荻原隆宏さんってどんな人?
ライター:吉田 けんたろう
飲み会にすら行けなかったフリーター時代を経て初当選
─なぜ横浜から立候補したのですか?
横浜は国際港湾都市。自分の海外経験を生かしたいという考えから。また、日本はもっと世界的視野を持つべきだという政治理念を持っていたし、開国の地で政治をやってみたいという思いもありました。そして、横浜の中でもみなとみらい地区など都心部は細胞分裂が激しい場所だと感じていて、西区から立候補しました。
本議会で市長に質問をする荻原さん
─市会議員になって良かったと思えたことは?
以前、ご自身の病気のことなどで政治に怒りを持っている方が、私のポスターを見て電話をかけてくれたことがありました。その人は国会議員と話をしても何も世の中は変わらないと嘆いてらして、私は20分くらい話を聞いていました。そうしたら、こんなに長く話を聞いてくれたのは初めてだと最後に泣いて喜んでくれたことがあったんです。その人は今後も辛い思いをするかもしれない。けれど、人間の温かさを国民と政治家が感じられない今、そのような人間味を少しでも共有できたことは議員をやっていて良かったなという部分ですね。
─逆につらかったことは?
私は市会議員になることができて、西区民の方たちに第二の人生を頂いたと思っています。その原点に立ち戻ることを忘れるとつらくなることはあると思いますが、すべては西区民、横浜市民のために働いています。だから市会議員をやっている間は、つらいことをつらいと自分が受け取らないと思います。
地域のまつりやイベントに参加して市民と交流
─条例によると議員報酬は月額97万円。フリーター時代と比べて何倍に?
一番貧乏だったのは選挙に出る2年前くらい。その当時は1日の食費が100円なんてこともありました(笑)飲み会なんてもってのほか。3000円が払えないんです。その頃に比べれば10倍くらい?正社員の時の給料と比較しても5~6倍ですね。
それでも非常に高額だとは思います。今まで通りの政治家のイメージを守るなら金額的には厳しいと思いますが、若い政治家が増え、新しいライフパターンが確立されれば議員報酬はどんどん下げても良いと思いますね。
未来の社会を考えることが政治参加への第一歩
─成人式を迎える若者にメッセージを。
20歳はひとつの数字的な区切りにしか過ぎません。成人して、お酒とタバコが許されて、選挙権が持てる。大人になるとはいっても実感がないのが当然です。だからこう考えてほしい。世間から大人として扱われるというのは、これまで周りに支えられてきた自分が、これからは支える側に立つ。その順番が巡ってきたということ。そして、自分が今生きているのは、自分の力だけではないということ。先人たちが築いた現在の社会があるから自分が生きていられる。そういうことをしっかり自覚することが大切です。
若者に熱いメッセージを送ってくれた
日本という国も国際社会の中で支えあって存在しています。この社会というシステムを存在させるために政治・経済があり、それを安定させるベターな方法が民主主義です。家族という小さな社会から、日本という大きな社会まで、そこで心地よく暮らすため、自分になにができるか。それを考えることが、自分の快適さに繋がります。選挙権を持つということは、その社会の一員になること。もし子どもが生まれたら、その子は自分が残した社会で生きて行くことになります。そういったことを想定して、これから政治に興味を持って頂きたいと思います。
インタビューを終えて…
極貧?だったフリーター時代を感じさせない爽やかな印象だった荻原さん。
しかし、そのお話には苦労を重ねたからこそ語ることができる切実な言葉があふれていた。
今年の統一地方選挙には立候補の予定。
選挙期間中は西横浜駅や戸部駅前で立会演説をする姿を発見できるかもしれない。
─終わり─
熱烈餃子さん
2011年09月02日 12時23分
所詮議員など何の役にもたたない、税金ドロボー。自らの私利私欲なに走る議員の多いことか、もし真に横浜市民のことを考えているのなら横浜も少しは変わっている。