ハロー坂は、何故「ハロー」?
ココがキニナル!
本牧に「ハロー坂」という名前の坂があるのですが、なぜ「ハロー」なのですか?(FMヨコハマレポーター藤田君からのキニナル)
はまれぽ調査結果!
アメリカ兵を「ハロー」と呼んでいた時代があり、その名残りで付けられた!
ライター:永田 ミナミ
中図書館で手がかりを探す
現地調査を終え、続いて郷土資料を調べるため中図書館に向かった。郷土資料コーナーはかなりの蔵書量だ。
カウンターで職員の方にハロー坂とアメリカ坂の由来を調べていることを伝えると、
「こちらで調べてみますので、関連の棚を見ていてください。」
と言ってくださったので、しばらく棚を見て待っていた。
そして、5分後に職員の方が現れ「すぐにはわからないので、後日改めて連絡します」ということになった。
中図書館外観写真
そして謎は解明された
1週間後、中図書館の職員の方から連絡があり、以下のような解答が得られた。
横浜市では、以前から市民に定着している通称や、新たに市民から提案された名前を道路の愛称として採用しており、中区にもそうした「愛称道路」が存在する。平成6年頃に採用された愛称道路の一覧に下記のようなものがある。
◆ ハロー坂 (全長90m)
摘要:米軍が接収していた頃、地元の人々はアメリカ軍人を「ハロー」と呼んだ時代もあった。挨拶の言葉ではあるが、友情や親しみを感じさせる言葉でもあった。
◆ アメリカ坂 (全長200m)
摘要:戦後、横浜は広大な土地を米軍に接収され、なかでも本牧は市内最大の面積を接収されていた。この坂は米軍が造った坂で、いろいろな見方はあるが、歴史的にはアメリカと切り離しては考えることができない。
最初からここに聞けばよかったのかも!?
「ハロー」とはアメリカ兵のことだったのか! 戦争をノスタルジックに振り返るべきではないが、敗戦後の厳しい状況で明るく活気に満ちて生きていた日本人たちが思い浮かぶではないか。アメリカ兵たちが闊歩する戦後の横浜で真っ先にその環境に順応した子供たちは、「ハロー、ハロー、ギブミーチョコレート!」とアメリカ兵を囲んでいるうちに、いつしか「あ、ハローが来た」などと呼ぶようになったのだろう。
追加報告
後日、米軍接収地とハロー坂の位置関係をどうしても確認したくなり、中央図書館で米軍接収地があった頃の地図を探した。そして住宅明細地図のコピーとGoogleマップを照合してみた結果、ハロー坂が間違いなく米軍接収地内部にあったことを確認できた。
現在の道路の様子と重なる部分が多いことがわかる。
ピンク色の部分が米軍接収地。 青い矢印がハロー坂だ
また、ハロー坂とアメリカ坂の道路標識が頑なにローマ字表記なのが気になったので横浜市道路局に問い合わせてみたところ、次のような回答が得られた。
「ハロー坂」、「アメリカ坂」の名前は、新本牧地区が返還された後「道路愛称事業」により付けられたものです。
ご質問のローマ字表記につきましては、「道路標識、区画線及び道路標示に関する命令」(一般に「標識令」)が、昭和61年10月の改正された際のローマ字併用表示に準じています。
ルールは厳格に守られているようだ。
取材を終えて
今回、名前が気になって「ハロー坂」の由来を調べてみると、敗戦後の横浜に辿り着いた。
当時の横浜は、日本人娼婦の肩を抱くアメリカ兵たちが闊歩し、暴行や略奪も頻繁にあったというから、決して「古き良き」とは言えない時代だっただろう。しかし、同時に「ハロー!」と呼びアメリカ兵を追いかける子供たちの心には、アメリカ兵に対する親近感も存在していたのである。こうしてみると、何気ない坂にも由来があるのだと感じた取材であった。
みなさんの周りにもちょっとキニナル坂はないだろうか。そんなキニナル坂があれば、はまれぽ編集部までぜひご連絡いただきたい。
― 終わり ―
ポスポスさん
2012年09月10日 15時41分
なんとなく・・そうじゃないかなと思ってた通りの理由でしたね(笑)