黒澤映画「天国と地獄」のロケ地はどうなってる?
ココがキニナル!
黒澤明監督の映画「天国と地獄」では、重要人物の住まいが浅間台と浅間町に設定されています。浅間町は<地獄>として描かれているのですが、実際にあのような光景があったのでしょうか(maniaさんのキニナル)
はまれぽ調査結果!
ロケ当時の面影はほとんど残っていないが、住宅地図と比較して作品を観ると、写真資料よりもリアルな横浜の街並みを垣間見ることができる。
ライター:ナリタノゾミ
捜査の中で見る、昭和30年代の横浜(つづき)
戸倉警部が、竹内を徹底的に尾行するための方針を部下に指示するシーンは、当時の神奈川県警本部(現・県庁)の屋上で撮影された。
なお、県警との関係につき、黒澤監督は、「(脚本を書いている段階から)県警には、いろんなことを絶えず相談していた」「あれだけ県警を売りだすんだから、県警が随分一生懸命やってくれたよ」と、語っている(「黒澤明」より)。
屋上で部下に指示する戸倉警部。背景には、横浜税関の建物が見える
マスコミの協力により、共犯者の死亡は明るみにされなかった。
共犯者がまだ生きている可能性を恐れた竹内は、証拠隠滅のため、共犯者を殺害すべく、純度の高いヘロインを入手しようと伊勢佐木町へと繰り出す。
クラブのような酒場「根岸屋」で違法薬物の売人と落ち合う竹内。胸元には、目印となる赤いカーネーションが・・・。
捜査員たちは慎重に竹内を尾行する。
根岸屋で売人を待つ竹内。メニューにはニッカ50円、ニッカコーク120円との記載
同店は実際に昭和後期まで伊勢佐木町4丁目にあった。もっとも、撮影は細部まで緻密に作りこんだセット内で行われたそうだ。
なお、同店の様子については、横浜の街の移ろいを“メリーさん”を通して追ったドキュメンタリー映画「ヨコハマメリー」(中村高寛監督)内でも詳細に語られている。
現在、「根岸屋」の跡地は、駐車場になっている
「根岸屋」があった区画で、唯一、現在も存在している洋品店
イセザキモールの「ピアゴ」は、当時「松喜屋」というデパートだった
さて、黄金町で薬物中毒の女にヘロインを打ち、その効果を実験した後、女を死に至らしめた竹内。その後、伊勢佐木町へ移動し、吉田橋に差し掛かると、靴のディスプレイされたウィンドウの前で権藤を偶然発見する。
相手が権藤だと知りながらタバコの火をもらう竹内と、犯人と知らずにタバコに火をつけてやる権藤。
竹内のしたたかさと異常性を印象づける、名シーンである。
「正真正銘の畜生だ!」と叫ぶ、戸倉警部
1950年代後半のイセザキモール入口(資料提供:横浜市史資料室)
1950年代後半の吉田町名店ビル(資料提供:横浜市史資料室)
現在のイセザキモール入口
その後、間も無くして、鎌倉の共犯者宅を訪れた竹内は、待ち伏せていた戸倉警部らに逮捕される。
取材を終えて
略取・誘拐罪は、古くから人身売買や人さらいをし、強制労働させることを目的とする行為の処罰を目的とするものであったが、昭和30年代に身代金目的での誘拐事件が頻発したため、1964(昭和39)年、「身代金目的略取等の罪(刑法225条の2)」の条文が新設されるに至った。
これは一説によると、竹内の犯行を模した模倣犯の出現があったためだと言われている。
現在の横浜には、ロケ当時の面影はほとんど残っていないが、作品の社会的影響力は法を改正させるきっかけをもたらすなど、今なお、史上まれに見るサスペンスとして色あせない。
―終わり―
参考文献
・「黒澤明」(黒澤研究会編)
・「黒澤明と『天国と地獄』」(都築政昭著)
・「刑法各論」(西田典之著)
Tockyさん
2015年02月11日 15時22分
さすらい日乗さん!! 権藤邸は全部で3セット作られた様です。セット①は見下ろす風景を作るため浅間台に造られました。セット②が逆に見上げる風景を作るため横浜市南区南太田一丁目に造られました。セット③は邸内の撮影用のため仰る通り、東宝スタジオ内に作られた様です。因みにセット②の見上げる権藤邸は京浜急行「南太田駅」北側の常照寺裏山の頂上に作られました。
Tockyさん
2015年02月11日 15時00分
hondarattaさん!!この手の話はたのしいですね。私も黒澤作品が好きですDVDで良く観てます。。色つきの煙が出る煙突のある場所ですが、DVDの画面を見みると、手前側に岡野中学、中央より左側に平沼高校が見えます。この線上に煙突があります。当時の地図だと、平沼高校の右の先には「横浜製糖」と言う会社の工場がありました。多分この工場の煙突ではないか・・と思います。(現在は横浜歯科専門学校)
さすらい日乗さん
2015年02月05日 10時22分
記述に間違いが多くて唖然としました。地獄は浅間町ではなく、南太田から黄金町です。東映のスタジオではなく、東宝のスタジオです。黒澤明が東映で映画を作ったことは、東宝ストの直後で、組合派だった黒澤が新東宝では撮影できずに、後に東映東京撮影所の当時の大泉スタジオで撮った『野良犬』と、撮影開始20日間で監督クビになった『トラ・トラ・トラ!』での東映京都撮影所だけです。因みに、黒澤の最初の撮影は、『姿三四郎』での、神社の階段のシーンで、西区の浅間神社でだそうです。