火事で焼失した伊勢佐木町の「根岸家」。その歴史とその後は?
ココがキニナル!
かなり昔に火事で焼失した伊勢佐木にあった根岸家について歴史とその後が知りたいです。それに付随してメリーさんについても調べてみてください。 (doramucanさんのキニナル)
はまれぽ調査結果!
戦後間もなく誕生し、隆盛を誇った根岸家も、1980(昭和55)年に火事で消失。現在、東神奈川にその血脈を受け継ぐ「大衆酒場 根岸家」がある。
ライター:松崎 辰彦
現在の根岸家
JR東神奈川駅から徒歩2分ほどの場所に「大衆酒場 根岸家」と大きく記された店がある。
JR東神奈川駅近くにある根岸家
「大衆酒場 根岸家」の大きな看板
こちらのご主人である新井正二さんは、伊勢佐木町の根岸家の経営者、坂元スミさんの縁者にあたる方。つまりここは伊勢佐木町の根岸家の血を引くお店なのである。
根岸家のご主人 新井正二さん
厨房でのご主人 料理中
「戦後間もないころから、この店はあります」とご主人。
ということは、当時二つの“根岸家”が横浜にあったことになるが・・・
「『根岸家』という店は二件だけではなく、戦前から戦後にかけていくつもあったんです」
──これはくわしい話を聞かなくてはならなくなった。
女傑だったスミさん──根岸家の発祥を求めて
お話を伺ったのはご主人のお母様である新井リヨさん。1919(大正8)年生まれの93歳だが、今でも店に出てお客の相手をしている。
新井リヨさん
「スミさんは派手で思いっきりのいい人でした。あの人は伊勢佐木町に出たくて仕方がなかったんです。伊勢佐木町は一番盛んな場所だったですからね」とリヨさんは当時の思い出を語る。
伊勢佐木町の根岸家で。立っている人物の右から新井正六氏(正二氏の父親)、
坂元スミさん、坂元明氏。(画像提供:根岸家)
伊勢佐木町の根岸家の従業員(画像提供:根岸家)
当時の写真を前に思い出を話してくれるリヨさん
リヨさんの話によると、伊勢佐木町の根岸家はスミさん(10年ほど前に死去)が中心となって開店され、運営されたものらしい。スミさんに関してリヨさんは、「取り巻きが一杯いました。つきあいがうまく、派手で、絶対に人を悪いようにはしませんでした」と回想する。如才ない人物像が伝わってくる。
一方で縁者には無料で料理を振る舞ったり、派手な催しを行ったりと、豪放な人柄でもあったらしい。
そもそも根岸家の発祥は──と伺うと、スミさんのさらに親の代からの話になり、現在では不明確な部分もあるが、スミさんの縁者が戦前から横浜で飲食店を経営しており、戦後になってスミさんが中心となって伊勢佐木町に「根岸家」を出店したということらしかった。スミさんの縁者の関係する「根岸家」という名前の店は当時、複数あったという。
ちなみに「根岸家」という名前は、ある重要な縁者が横浜市根岸の生まれだったからではないかということである。
当時の出来事を話して下さった新井さん親子
「今でも『若いとき(伊勢佐木町の)根岸家に飲みに行ったよ』という方が結構います」と正二さん。
多くの人に語り伝えられている根岸家。戦後の横浜を彩った不夜城であった。
取材を終えて
根岸家は、戦後の横浜を語る上で欠かせない店である。あらゆる人間が集まり、熱いエネルギーが渦巻いた舞台である。
松葉氏は、横浜が一番輝いていた時代の話をしてくれた。人々が夢を追い、憧れを持っていた時代。東京でさえ、横浜のファッションの後を追っていた。
根岸家に行けばいろいろな人間に出逢える、話ができる──それが人々には魅力だったようだ。現在の横浜に、こうしたコミュニケーションの結節点になるような店があるだろうか。
根岸家、メリーさん・・・戦後横浜の妖しい伝説は、これからも時代とともに語り継がれていくことだろう。横浜の光と影は、いまだに私たちを惹きつけてやまないのである。
― 終わり―
<取材協力>
大衆酒場 根岸家
住所/神奈川県横浜市神奈川区東神奈川1-10-1 ザ・ステーションタワー1F
電話/045-451-0700
<参考文献>
聞き書き/小田豊二 語り/松葉好市「聞き書き 横濱物語」(集英社)
西村雄一郎「巨匠のメチエ──黒澤明とスタッフたち」(フィルムアート社)
他
※根岸家に関してはメリーさんをとり上げた映画「ヨコハマメリー」の中で、松葉氏が当時を回顧しています。
※今回の取材に当たりましては、KMミュージック 代表取締役・下田等様に多大のご協力をいただきました。厚く御礼申し上げます。
十九三さん
2015年11月29日 11時23分
東神奈川の根岸屋が、あの根岸屋ゆかりとは知らずに一時通っていました。驚きですね。伊勢佐木町の店もチラリ覗いたことがあります。火事後に尾上町5丁目のバス停前に移ってきました?そう聞いて昼飯時に通っていました。火事のために職場を失った元従業員の方々が始めたと聞いていましたが?根岸屋の看板でしたが記憶違いカナ。(下田等さん!懐かしい名を聞きました)
帽子屋さん
2013年11月13日 19時39分
写真の「松屋付近」は「松喜屋付近」の間違いですね。赤トーダイがあって3丁目は松喜屋(ユニー→ピアゴ)、松屋は1丁目(松坂屋別館→JRAのエクセル伊勢佐木)です。
ももたろうさん
2013年08月31日 17時58分
当時私の母が根岸屋のご主人と中学校のPTAの役員仲間でよく噂話を聞いたものでした。なつかしいなあ。