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    毎日横浜公園でおもちゃを用意してくれたり、子供と遊んでくれるおじさんがいるのですが、キニナリます。子供に危害が加える人ではないですし、非常に助かっているので感謝していますが、素性を知りたいです。

    中居屋さん

    Instagramで「元町ラバーズ」と言う名前で横浜元町を紹介しているのをよく見かけます。いろんなイベントやお店を紹介してるのですが一度はまれぽさんも取材拒否してもらいたいなぁと思いました。双方向コラ...

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横浜のココがキニナル!

伊勢佐木モール入口にあるイセビルは昭和2年から現在まで使用されている歴史あるビルです。伊勢佐木町とともに歩んだイセビルの歴史をぜひ取り上げてください(マイコデラックスさん/ddさんのキニナル)

はまれぽ調査結果

火災と地震に強い構造の建築物として1927(昭和2)年に建てられ、横浜大空襲や戦後のアメリカ軍の接収からも免れ、現在もテナントビルとして営業中。

ライター:橘 アリー (2013年07月15日)

震災被害を教訓として建てられたビル

伊勢佐木モール入口の大きなウエルカムゲートの横に、さり気なく建っている「イセビル」。アーチ型のモダンな窓と、屋上の大きな看板はいささか不釣り合いであるが、そんな所が、かえって親しみを感じさせる。
 


吉田橋から見たイセビルの様子
 

裏側から見たイセビル
 

ビルの横面には「ルビセイ」と書かれていて戦前の雰囲気が漂う


イセビルが建てられた背景には、1923(大正12)年に起こった関東大震災がある。関東大震災で、横浜の街は甚大な被害を受けた。伊勢佐木町でも、ほとんどの建物が倒壊・焼失してしまった。
 


関東大震災直後の伊勢佐木町の様子(出典:横浜市史資料室)
<クリックで拡大>


ちなみに、上の写真にある道路は現在の伊勢佐木モールで、傾いている建物は、1931(昭和6)年に建て替えられ、JRAエクセル伊勢佐木(旧横浜松坂屋)として今も使われている。
 


現在の伊勢佐木モールの様子。奥のビルがJRAエクセル伊勢佐木


震災からの復興には、都市の不燃化と耐震化が課題とされ、その後、火災と地震に強い構造の建築物が建てられるようになった。

1927(昭和2)年に建てられたイセビルも、その一つである。



横浜大空襲をくぐり抜けて

横浜の、震災からの復興は早いものであった。
震災後、大正時代の間に、伊勢佐木町の通りは道幅が整備され、アスファルト・ブロックが敷き詰められた。

1935(昭和10)年には、震災からの復興を祝って、伊勢佐木町通り(伊勢佐木モール)に「金色の王冠を戴(いただ)くアーチ」が作られた。これは、伊勢佐木町に初めて設けられたアーチで、現在のウエルカムゲートと同じ場所である。

このアーチと一緒に撮影された、イセビルの写真が残っている。
 


アーチとイセビルの様子(出典:横浜市史資料室)
<クリックで拡大>


この写真の撮影年は不明であるが、終戦直後の写真にはこのアーチは無いので、戦前の写真のようである。

その後、震災から復興を遂げ、にぎわっていた伊勢佐木町も、1945(昭和20)年の横浜大空襲により、多くが焼失・崩壊してしまった。
 


爆撃を受けて炎上する横浜市内(出典:横浜市史資料室)
<クリックで拡大>
 

横浜大空襲直後の様子。ガレキに埋もれた伊勢佐木町通り(出典:横浜市史資料室)
<クリックで拡大>


そんな中でも、イセビルは被害を受けたものの崩壊することなく残った。
 


中央の運河に架かる右から3つ目の橋の左手前にあるのがイセビル(出典:横浜市史資料室)
<クリックで拡大>

 
終戦後、吉田橋より内陸側の関外地区は米軍に占領され、伊勢佐木町にあった不二家や野澤屋、松屋百貨店などの大きなビルは接収された。しかし、イセビルは運よく接収を免れる。当時のイセビルの中には、米軍やその関係者が買い物に来る食料品店などがあったそうだ。

この頃のイセビルの様子は、1946(昭和21)年7月4日に米軍によって撮影された写真で見ることができる。
 


 

吉田橋の上を行進する米軍のパレードの写真(出典:横浜市史資料室)
<クリックで拡大>
 

戦後初のアーケードを撮影した写真にも、イセビルが写っていた(出典:横浜市史資料室)
<クリックで拡大>


イセビルは、このような厳しい時代をくぐり抜けて、今日まで在り続けている。

イセビルの歴史について分かったところで、今は、どのような方がテナントを借りているのかキニナル!

 
 
イセビルの中に入ってるテナントに突撃!≫
 

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