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横浜に人工の島「八景島」ができたのはなぜ?

ココがキニナル!

八景島の歴史を知りたいです。人工の島と聞きましたが、なぜあそこに島を作って遊園地にすることにしたのか?の経緯を。島ができる前や、造成中の写真なども見てみたいです。(いひでさんのキニナル)

はまれぽ調査結果!

戦前からの埋立によって自然の海岸が失われたことから、横浜市南端の現在の場所に、人工の砂浜である海の公園とセットで造られることに

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ライター:ムカイカツヲ

「横浜は日本で一番有名なミナトマチだ」と断言しても良いと思う。それくらい貿易港・工業都市として、横浜の持つステータスは大きい。

しかしそれは、沿岸部の大規模開発があったからこそ成し遂げられた金字塔であるとも言える。ここで言う沿岸部の開発というのは、具体的には工場や物流倉庫、港湾設備の建設を目的とする埋め立てを意味する。大きな船が出入りでき、多くの物資を留め置くことができ、更には国内外へ届けられる様々なモノをこの地で製造できたからこその今の横浜の発展なのだ。
 


なぜ今の場所に?


 


港湾局は山下町産業貿易センタービルの4階


八景島の生い立ちについてお話を伺うべく、横浜市港湾局に取材をお願いした。今回は、同局みなと賑わい振興部の安斉さん、山口さんにお話を伺った。
 


急な取材のお願いにもかかわらず快く取材に応じてくださった(左から安斉さん、山口さん)


まず、八景島が、現在の場所に設けられた理由を考察するために、横浜市の埋立事業の変遷を説明する以下の図を見ていただきたい。
 


横浜市の海岸線の埋立
(横浜市政策局発行「調査季報98号」48ページ「八景島の整備について(中島実雄・田野口博臣)」)


この図から一目瞭然なのだが、国際貿易港・工業都市として発展してきた横浜は、戦前・戦後を通して、その代償として埋立により多くの海岸線を失っている。その結果、臨海部における憩いの場として、海水浴や潮干狩りができる「砂浜」がなくなってしまった。

そこで、横浜市は、1971(昭和46)年に開始した金沢地区の埋立事業において、従来の工業誘致型優先の埋立造成ではなく、新しい街づくりをテーマとした「海の公園」の整備計画を推進することとしたのだ。そしてこの計画の中で、「市民が水と交わる」ための憩いの場所として、砂浜を提供するための「浜部」とは別に、レクリエーションを提供するための施設用地「島部」の造成が決定された。それが八景島なのだ。
 


黒松の隙間から望む八景島アクアミュージアム


そして、人工の島、八景島がなぜ今の場所に在るのか? という疑問に対する答は以下のように推察できるだろう。

金沢八景が昔から市民に親しまれてきた景勝地であったことに加えて、上記図からわかるように、そもそも戦前から引き継がれてきた臨海部の工業地帯の埋立の総仕上げとして、横浜市最南端の現在の位置となったと考えられるのだ。

キザな言い方をすれば、横浜市の発展の歴史が八景島を八景島たらしめたのだ。