子安にある「八重地蔵」。事故現場周辺の実態、そして交通事故の現況は?
ココがキニナル!
子安通り1丁目児童公園という、道路にそって作られた公園があります。そこに祀られたお地蔵さんの名前は八重地蔵・・悲しい出来事があったそうですが、風化させぬよう、取材をお願いいたします。(三浦虎次郎さん)
はまれぽ調査結果!
八重地蔵のある場所は公園ではなく「子どもの遊び場」。事故のあった昭和39年と比べて、現在は幼児の交通事故は減ってきている
ライター:松崎 辰彦
前回掲載した八重地蔵の記事には、さまざまな反響があった。
子安通りにある八重地蔵は今から約半世紀前に、近所に住む岡澤八重ちゃんが交通事故で亡くなったことをきっかけに建立されたもの。その悲痛な由来が、多くの人の心を打ったようである。
岡澤八重ちゃん。1964(昭和39)年8月5日没。享年5歳
続編を望む声も多く、今回は地蔵の周辺に関して調べ、判明した事実をご紹介したい。
5歳で命を奪われた八重ちゃん
「八重の写真を見ると駄目だ、涙が出ちゃって・・・」
八重ちゃんのお兄さんである岡澤三喜男さんはいう。
強面(こわもて)の漁師で口は荒いが、いたって情に厚い人物である。
岡澤三喜男さん
今回、記事を制作するにあたって八重ちゃんの写真をお借りしたが、ご自身は見るのが辛いようで、わずか5歳で命を奪われた妹への思いは、やはりひとかたならぬものがあると窺える。
八重地蔵に手を合わせる三喜男さん
一方でこんなこともいう。
「写真を見ると婆さん(母親)がずいぶんいろいろなところに遊びに行っている。それに八重を連れ出しているんだ。おれなんか子どものころから働かされてばかりいたのに──」
幼くして亡くなった長男に替わり、小学校時代から船に乗り、親の手伝いをして一家を支えなければならなかった三喜男さん。一方で八重ちゃんは末っ子ということもあり、母親からずいぶん、可愛がられていたようである。
八重ちゃん お姉ちゃんと
しかしながら無邪気に笑う八重ちゃんの写真を見ると、肉親ならずとも心が痛む。あるいは早く世を去る八重ちゃんのために、神様が短い人生に多くの幸せな時間を与えてくれたのか。
まだまだ日本が貧しかったころに生れ、そして亡くなった少女は、地蔵となって幼子の、人々の安全と幸せを祈っている。
八重地蔵 命の尊さに合掌
今回は八重ちゃんが残してくれた遊び場の周辺の事実と、八重ちゃんの命を奪った交通事故の実態に関して見ていきたい。