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獲れたての魚が食べられる食堂もある本牧漁港ってどんなところ?

ココがキニナル!

中華街から車で10分もあれば行ける本牧漁港。美味しい食堂もあるとか・・港の周辺エリアのレポートもお願いします!(むらさんのキニナル)

はまれぽ調査結果!

本牧漁港は中華街から車で約10分。獲れたての鮮魚が食べられる「叶家」という食堂もあり、400年以上続く「お馬流し」の神事が行われる港だった!

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ライター:大和田 敏子

本牧漁港ってどこにあるの?



横浜といえば、海のイメージは切り離すことができない。けれども、多くの人が思い描くのは横浜港や大さん橋、みなとみらいといった観光地で、漁港と結びつける人はほとんどいないだろう。横浜は、開港以前の横浜村の時代、半農半漁の村だったというが、その名残を感じることはほとんどない。横浜の中心部に程近い本牧、その名のつく「本牧漁港」とは、一体どんなところなのだろう。

はじめに、本牧漁港の場所を確認。
 


それぞれの位置関係

本牧ふ頭は、横浜港内で最大級のコンテナターミナルであるが、本牧漁港のあるD突堤には、本牧海釣り施設、横浜港シンボルタワーなどの一般の人が楽しめる施設もある。
 


コンテナ運送のための施設が集積している
 

本牧海釣り施設で釣りを楽しむ人たち
 

横浜港シンボルタワー。展望室からは横浜港が一望できる


筆者は本牧漁港へ行くために、JR桜木町駅前から横浜市営バス26系統を利用した。中華街に最寄りの「山下公園前」から、本牧漁港の最寄バス停「港湾カレッジ前」までの所要時間は、2回の取材平均で約10~15分といったところ。投稿にある「中華街から車で10分」というのは、自家用車を想定すれば、ほぼ正しいように思う。

いよいよ本牧漁港へ。
 


本牧漁港の入り口




本牧漁港の歴史



横浜市漁業協同組合の副組合長理事本牧支所長を務める鈴木達治(たつじ)さんにお会いすることができた。15歳のころから漁に出ていた鈴木さんは「漁をするのが当たり前で、仕事が大変とか、厳しいという思いはない」と生き生きとした表情で話す。
 


本牧漁港についてお話をしてくださった鈴木達治さん、今年77歳


まずは、本牧漁港の歴史についてうかがう。

本牧周辺は、かつては漁村で、海苔の養殖も盛んな場所だった。
 


海苔乾し台が並ぶ本牧の浜 1955(昭和30)年(撮影:落合昭一氏)
 

浜に並ぶ和船 1955(昭和30)年(横浜マリタイムミュージアム蔵)
上の2枚、「移りゆく横浜の海辺 ―海とともに暮らしていた頃―」横浜市歴史博物館より


ところが、横浜市は増え続ける入港船舶や取扱貨物に対応するため、新しい港湾計画を立てた。1963(昭和38)年には本牧周辺の海岸も埋め立てが始まり、当時約600人いたという漁師たちは漁を止め、会社員などに転業せざるをえない状況となった。

それから10年余り、高度経済成長期が終わり、景気に陰りが見えてきたこともあり、漁師の仕事に戻りたいという要望を持つ人が増えてきた。そこで1975(昭和50)年ごろから、巻き網、底引きの許可を持っている人、船を所有していた人たちが中心になって漁が再開された。

当時の本牧漁港は、今の場所の向かいにあり、本当に小さな漁港、船がすし詰め状態で置かれているようなところだったそうだ。それまで砂揚場だった場所に、現在の本牧漁港ができたのは、1997(平成9)年のこと。今、ここで漁をする漁船は20艘(そう)。ほぼ毎日、漁に出て生計を立てている漁師さんは15人ほどだという。
 


今の漁港の向こうに見える青い建物の辺りが以前の漁港があった場所
 

現在の本牧漁港


本牧漁港の漁場は、横須賀の猿島から神奈川県側の多摩川辺りまで。年間を通すと一番漁獲量が多いのはタチウオだという。

技術向上で船や漁に使用する道具などの質が良くなり、本牧漁港の漁獲量は右肩上がりに増え、987(昭和62)年ごろにはピーク(正確な記録は残っていないが、漁獲高などから400トン程度と推定)を迎えたが、その後は減少の一途をたどり、2012(平成24)年度は、約87トンだった。