映画「コクリコ坂から」の舞台となった当時の横浜とは?
ココがキニナル!
映画「コクリコ坂から」の舞台、1963(昭和38)年頃の横浜ではどんな事が起きていたのですか?(はまれぽ編集部のキニナル)
はまれぽ調査結果!
オリンピック開催に向けて様々なインフラや施設が建設中でした。電化製品のエネルギー消費が高まっていった時代です。
ライター:河野 哲弥
2011年7月16日(土)に全国東宝系ロードショーで公開される、映画「コクリコ坂から」。
同作品は東京オリンピック開催前年の1963(昭和38)年、横浜港を舞台に高校生の少女「海」と少年「俊」の淡い恋の行方を描いている。高度経済成長の真っただ中、当時の横浜の街はどんな様子だったのか、横浜市西区にある「横浜市史資料室」を訪ねてみた。
同資料室のある、横浜市中央図書館外観
建設ラッシュに沸く横浜、西口は一大商業地域として成長
1965(昭和40)年ごろの横浜駅の様子、手前にステーションビルが見える
(画像提供:横浜市史資料室)
東京オリンピックの開催を翌年10月に控えた日本。
最大の課題は、まず交通網を整備することだったようだ。
首都高をはじめとし、全国に「オリンピック道路」の名が残る道路は、この時一斉に整備された。
神奈川県も例外ではない。第三京浜道路の玉川-川崎間が1964(昭和39)年に開通。
鉄道路線でいうと、根岸線も同年の開通となる。また、横浜ドリームランドも同年の開園。「コクリコ坂から」の舞台となった前年の横浜は、こうした様々な設備や施設の建設ラッシュで、さぞかし賑わっていたことだろう。
当時の新聞から、1963(昭和38)年の大きな出来事を拾ってみた
1959(昭和34)年に関内に移転した市庁舎の建設中の様子
(画像提供:横浜市史資料室)
現在も当時の面影を残している
年号が多少前後するが、関内に現在の市庁舎が移転したのが4年前の1959(昭和34)年。
元あった場所が整備され「反町公園」としてオープンしたのが1963(昭和38)年だった。また、同年4月にはバナナの自由貿易化がはじまり、中南米から大量のバナナが横浜港へ荷揚げされていたようだ。当時の見出しには、
「バナナ続々 値段やはり高い」
の文字が躍る。